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わたしやかぞくのはなし

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わたしやわたしをとりまく家族たちの話です。
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#映画

くまのぬくぬく日記11

3月中旬から後半の日記 【岸先生もくまだった】 タイトルにもさせてもらっている「ぬくぬく日記」は、私の好きな岸政彦先生の著書「にがにが日記」のパクリであることを以前noteに書き記したが、岸先生が最近20分程度のラジオを始めたので、喜んで運転中に拝聴している毎日である。 以前からつれあいのおさい先生が岸先生の「どんくま」のイラストを描いているのは知っていたが、とうとうそのイラストがLINEスタンプになった。 よく白いフリースを着ていたこと、内面的な部分、あと、食の嗜好

父の友人とデートした話

この記事の少し続きの話になります。 私には父と同い年の友人であるYさんという「おじさん」がいる。 今回の話は、その「Yさんと私がデートをした時」の話を書こうと思っている。 どういうきっかけかはっきりとは忘れてしまったが、あれは確かまだ感染症が流行する少し前。 その年は、私の住んでいる県がめずらしく大きな台風に見舞われた年だった。私の自宅は幸いにして大きな損傷は見られなかったが、近隣では家の屋根瓦が飛んでいってしまったり、山地では木が倒壊したり、農家の方のビニールハウス

シネマノスタルジア【出てこなかったお客さんとゴジラマニアと戦争映画】

私が10代の頃にアルバイトをしていた映画館の話を細々と書き連ねております。今日は印象に残ったお客さんたちの話です。 前回のお話はこちら。 1.出てこなかったお客さん今のシネコンに慣れている若い世代の方はきっと想像つかないとは思うのですが、昔の映画館はその場にいようと思えばいくらでも何時まででもその場にいられたんです。 私の勤めていた映画館はシネコンではなかったので、この上記の流し込み制のスタイルでした。 なので、シネコンではできないことなのですが、上映途中から入って鑑賞

シネマノスタルジア【ヒット映画と年齢制限】

私が若い頃にアルバイトをしていた映画館の話を、思い出せる範囲で綴っております。前回まではこちらになります。 今回は当時上映していた映画の思い出話をちょこちょこと書きます。 1.くま、知らず知らずにヒット映画のご意見番になる 次の上映映画は何の作品をもってくるのか? これは映画館経営者にとっては、毎回尽きない問題であると思います。 私のバイト先では、専務が次クールの上映作品を決めていました。 ここでは、専務のセンスや時代の流れを読む力、選択力が問われます。 そして、当然

シネマノスタルジア【愛すべき映写技師のおっちゃんたち】

しばらくお待たせしていました。 またこのシリーズをそろりそろりと再開したいと思います。 前回まではこちらをどうぞ。 今回は4回目になります。 今日は予告していた「映写技師さん」たちのお話です。 私が勤めていた映画館の映写技師さんは2人いらっしゃいました。お2人ともおじちゃんです。 お2人は主にB館とC館のフィルムの装填や上映のつなぎ操作を行なっておりました。 A館は当時の最新の映写機だったので、私たちアルバイトでも操作できるし、専務も常駐していたので、お2人は時々ハプ

シネマノスタルジア【ネコと従業員たちとロック】

20年くらい前に、私がアルバイトをしていた映画館のお話を書いています。 今回で3回目です。 前回はこちら。 今回は映写技師さんのお話を書こうと思ったのですが、その前に従業員の話を書いた方が良い気がしましたので、今回はそのお話をしたいと思います。 前々回のおさらいですが、映画館は3つありました。 【A館】 本屋さんとオムレツ屋さんに囲まれた映画館。専務(雇い主)が大体常駐している。なので、専務がいる時はまじめに働いている(フリをする)。おやつのショーケースが充実。一番映

ハムとチキンラーメンと冒険の浪漫

久しぶりに仕事帰りにTSUTAYAへ寄った。 DVDを1つ取り寄せ依頼をして、2つレンタルした。 レンタルしたうちの1つは「新世紀エヴァンゲリオン」だ。 実は私はこの作品を今までみたことがない。 遡ること、数十年。当時は中学生。 私は美術部に所属しており、美術部とは名ばかりの「漫画アニメ研究会」と化した部で、毎日放課後を過ごしていた。 私はどちらかというと一般的な「美術」を習いたくて、入学時に入部を志望したのだが、当時の顧問の先生は美術とは全く関係のない教員で、部活

ラビリンスの扉を開いて

私には、片脚の伯父さんがいる。 伯父さんは母の兄で、私が生まれた時にはもう片脚だった。 伯父さんは若い頃に交通事故にあってしまい、それ以来人生の大半を片脚で過ごしている。 先日記載したnoteで、私が片脚のハトについて幼少の頃気にしていたというエピソードを書いたが、これはもしかして、同居している伯父さんのことがあり、状況的に無意識でも重ね合わせる部分があったからこそ、片脚のハトに執着していたのかもしれない。 伯父さんは祖父母と同居していた。 祖父母が大好きだった私は、自