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思ったことや考えたこと

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日々暮らしていて、頭にふっと思いついた考えや、人から影響を受けて浮かんできた思考の断片などを書いたもの。
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2021年2月の記事一覧

忙しさの合間に出会う

今日はzoomで研修でした。 寺山修司さんの「幸福が遠すぎたら」 最近、惹かれて遊んでもらっている人に、研修で紹介してもらいました。 この詩はそっと私に近寄って、やさしく体を支えてくれた気がします。今日の私にやってきてくれてありがとう。いつでも出会いを大事にしたい。 今は支えてくれるものに頼ります。 さよならだけが  人生ならば また来る春は   何だろう はるかなはるかな 地の果てに 咲いている    野の百合  何だろう さよならだけが  人生ならば めぐり会

死について少し考えてみた③<みんな山の頂上を目指してる>

前回の続きです。 この私の大変失礼なわがままに対して、はなまるえさんは大きな愛で受け止めて下さいました。 その後、はなまるえさんといくつかコメントのやりとりをさせてもらいました。私はこんなに深い思考のやりとりをこの場でさせて頂いたことは非常にありがたいことだと感じていました。 このやり取りの中で考えたことがあるので、今日はそのお話をします。 その前に、私はなんでこんなに死の事を考えたいのでしょうか。 それは「死に向かう人たちの苦しさや悲しさを少しでも軽減できないもの

死について少し考えてみた②<考えるきっかけになった2つの記事と大悲>

前回からの続きです。 なぜ私はこのようなことを考えているのでしょう。 それは2つのnoteの記事がきっかけでした。 1つはおだんごさんの記事。 びっくりした。人の死に向き合う仕事をしている。死を間近に感じ、不安を感じる人や家族に寄り添う仕事をしている。 ゴールが見えなくとも、ゴールがあることを毎日意識して仕事をしている。 それなのに、私は、私たちのお母さんたちが本当には死なないと思っていたのか。だからこんなにも動揺しているのか。 ずっと死は、自分事ではなかったん

思いは連鎖するのだよ

思い思われ・・私たちは毎日を生きている。 私には2人の子供がいて、2人とも今は小学生だ。 子供が生まれた頃は、子供と一緒にいる時間が多かったし、母親は何かと子供のお世話をしながら毎日を過ごしている。 子供は育てる人がいないと、うまく育つことができない。親は一心になってかわいい我が子を育てようとする。子供も狭い世界の中で、お父さんお母さんに寄り添って甘えながら、精一杯の愛情表現をしてくれる。 「ママ大好き」 「ママあのねあのね」 「ママと一緒に遊びたい」 「ママにプレゼン

「死」について少し考えてみた①<私と死>

のっけから重たい話題ですみません。 今まで、目を背けていた訳じゃないですけど、目を背けたくなる「死」についてまた少し考えていきたいなぁと思っています。 少し思い出話をします。 私は十代の頃、母親から何をきっかけとした話だったかは忘れましたが、こんな話をされました。 「お母さんさぁ、死ぬことを考えると怖くてしょうがないのよ」 「死んじゃったらどうしようって考えるだけで嫌になっちゃう。わかるこの気持ち?」 私の妹が同意しました。 「そうだよね。私も考える。超こわい。おっかない

写真・しゃしん・シャシン

蝋梅と紅梅の写真をiPhoneで撮った。私はカメラマンではないし、普段から一眼レフを下げているような者でもない。趣味欄に「カメラ」等とは絶対書かない。 ちなみに私のiPhoneは壊れるきっかけをつかめないまま、時が過ぎてしまったので、型が古すぎてバッテリーがもたない。ヒヤヒヤしながら撮影する。 今回撮影した目的は、ある人に送るためだ。 私は施設の庭園の芝生に、手作りの藤かごに入った蝋梅と紅梅を置いて、ある時は俯瞰しながら、ある時は接近しながら、ある時は芝生に寝そべりな

備えあれば憂いなしだとわかっていても

時々、ある利用者さんと「宝くじ当たったら妄想」をしている。 「宝くじ当たったら妄想」とはその名の通り、宝くじがもし当たったら何をするかをひたすら妄想するだけだ。 「まず、旅行に行くでしょ。そして子ども達の家を買ってあげて近くでみんなで住むなぁ。」私の良き相棒である男性利用者さんは、みんなの頼りになるお父さんで、息子さんや娘さん家族ととても仲良しだ。 いい願いだと思う。 「でも実際に当たったら戸惑うと思いませんか?」と私は言った。 高額の宝くじに当たると「宝くじに当たった

書くことで気づいた私の塊

唐突で申し訳ないが noteを書いていて、最近やっと気づいたことがある。 私を動かしている原動力の元は「怒り」だ。 なぜ気づいたのかというと、今まで書いた記事の内容を振り返ってみると、どうやら私は「怒っていること」が多いのだ。 自分では全然気づいていなかった。 私は自分で自分のことを「面倒くさがり」だと思っているし「比較的おだやか」であると思い込んでいる。 「怒り」というのはパワーを使う。疲れることだ。 だから普段は人に対してめったに怒らない。真面目な後輩には「も

何かと何かのあわいに辿り着けば

私たちの訪問看護ステーションの名前には「くじら」という文字が入っている。 なぜ「くじら」か? この名前は私が尊敬している看護師さんがつけてくれた。 クジラの祖先たちは太古の昔、陸上に居たことが様々な研究から分かっている。ペルーで発見された化石で、再びその事実が裏づけられた。約4260万年に存在したと推定される、クジラの化石に関する論文が、科学誌の科学誌カレント・バイオロジー(Current Biology)に掲載された。 https://forbesjapan.com/