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死について少し考えてみた③<みんな山の頂上を目指してる>

前回の続きです。

この私の大変失礼なわがままに対して、はなまるえさんは大きな愛で受け止めて下さいました。

その後、はなまるえさんといくつかコメントのやりとりをさせてもらいました。私はこんなに深い思考のやりとりをこの場でさせて頂いたことは非常にありがたいことだと感じていました。

このやり取りの中で考えたことがあるので、今日はそのお話をします。

その前に、私はなんでこんなに死の事を考えたいのでしょうか。

それは「死に向かう人たちの苦しさや悲しさを少しでも軽減できないものか」といった事が発端になっています。
私が普段仕事で接している方たちは、年齢を重ねていて、病気もたくさんあって、健康な若い人たちと比較しても死に近い存在であるなと感じます。そして、臨床でそのような方たちと接していると、心がふさぎこんでしまい、人間関係が絶たれて孤独に陥ってしまう場面があったり、ご自分のしたいことが叶えられずに悔しさをあらわにする人たちがいます。

また、身内を亡くされる方も同様です。ご家族が死に接する時に悲しみで心を病んでしまう人がいます。悲しみが来るのはもちろん当然の反応ですが、その事が自身を滅ぼしてしまうような大きな反応であると、あまりいいことではありません。

もちろん、私が何かできることなんてないに等しいと思っています。その方の悲しさや苦しさをなくすことはできません。「あんたは若くて幸せなくせに、俺の何がわかるんだ」と正直な気持ちをぶつけてくる方もいます。

その通りだと思います。私はその人の苦しみはわからないし、同じ思いをもつことはどんなに想像しても得難いものです。

でも、必要としてくださるのであれば、思いを受け止めて、一緒に伴走すること位はできるかもしれない。同じような苦しみをもつ人たちをたくさんつなげることができるかもしれない、とも思っています。それはわたし1人の力ではできません。たくさんの伴走者が必要です。

この考えは私自身の驕りです。「死は自分事にできない」という結果は、もう決定的なものです。死は誰しもが体験したことがないんですから。体験してないことは自分事にできないものです。自分事にできないということは、コントロールできないものであるとも考えます。それなのに何を考えたいんでしょう。

同じ医療福祉職の方は、おそらく私と一緒に同じ問題で悩んでいる方がたくさんいます。販売されている書籍の中で「死」に関する書物が多いことがそれを表しているのではないのでしょうか。

医療福祉職は、日々生死の「死」に触れることも多いため、現場で患者さんと気持ちを同調させることで苦しみを味わったり、あえて機械的に感情を平らにしながら業務を行っている人を何人も見てきました。私たち専門職も結局のところは、死が怖いのです。

ここで「死」というのを山の頂上だと例えてみます。

(詳しい内容はこの上記の本に載っています。)

山の向こう側は「死」の世界です。みんな峰のふちのラインは見えている。そこを目指して歩いています。でも山の向こう側の世界は誰にもわかりません。

だから医療福祉職というのは頂上の向こうの「死」の世界を考えているというよりも、その峰にたどりつくまで、頂上に至るまでの「生」の道のりのことをどちらかというと考えているんだと思います。

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はなまるえさんが思ってくださった慈悲の心は「自分事にしきれないことを責めないでほしい」という医療福祉職に対しての気持ちです。それがおだんごさんをつないで大悲となり、みなさんが包まれました。

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私が思った悪あがきはこれです。むしろ「自分事にする事」を自分はすすめているような気がしていました。それは「人生会議」や「終活」などもそのような作業の部類に入るのかなと思います。

この私がしようとしていた「自分事にする事」は「死」ではなく「生」に向けられていたことがはなまるえさんとのやり取りの中でわかりました。

だから目指している方向はたぶん一緒なんです。

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みんな山の頂を目指している。頂が怖くて考えたくない時ももちろんあります。そういう時は棚上げして考えなくていい。頂をしっかりと見据えたい時は、頂を見つめすぎずに今現在歩いている道を確かめるように踏みしめていくことが必要なのかもしれないと思いました。両者は今をより良く生きるためにもお互い必要です。

生きていく道筋を、時には頂上への思いを馳せながら、毎日毎日踏みしめて歩んでいくこと。

医療福祉職はその道筋の険しさやタイムリミットが当事者よりも見えやすいことがあるので、そのサポートに回ること。

それが私が考える「悪あがき」なんだと思います。

自分自身も山の頂への道の事を考えたいです。

夫の病気で、夫の道のりは山への頂がすぐ迫ってきたような感覚でしたが、思ったよりはまだ道のりがありました。

身内の死を自分事にとらえられない人は先ゆく人に何かてがかりをもらえるかもしれません。

頂へたどる道のりは人によって全然違います。

みなさんの死に対する思いを教えてほしい理由は、この簡単ではない道のりに関しての情報や思いを共有しあうこと。共有することで、頂へ通ずる道のりへの不安な気持ちを少しでもほんの1mmでもいいから軽くすること。

そのことがどうつながっていくのかは私もわかりませんが、今はそうしてみたいと思ったのです。

今回は読んで下さった方を巻き込んでしまい大変申し訳ないです。

ここまで考えるきっかけを頂いたおだんごさんやはなまるえさんに深くお礼を伝えたいです。そしてコメント欄でも書いて下さった方たちにも感謝しています。ありがとうございました。

サポートは読んでくれただけで充分です。あなたの資源はぜひ他のことにお使い下さい。それでもいただけるのであれば、私も他の方に渡していきたいです。