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写真・しゃしん・シャシン

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蝋梅と紅梅の写真をiPhoneで撮った。私はカメラマンではないし、普段から一眼レフを下げているような者でもない。趣味欄に「カメラ」等とは絶対書かない。
ちなみに私のiPhoneは壊れるきっかけをつかめないまま、時が過ぎてしまったので、型が古すぎてバッテリーがもたない。ヒヤヒヤしながら撮影する。

今回撮影した目的は、ある人に送るためだ。

私は施設の庭園の芝生に、手作りの藤かごに入った蝋梅と紅梅を置いて、ある時は俯瞰しながら、ある時は接近しながら、ある時は芝生に寝そべりながら被写体を撮る。

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「あにやってんだ。」

声がして振り向くと、男性の利用者さんと同僚の子がたたずんでいた。
彼らは昨年畑に植えたわけぎを収穫して、泥を落とす為に、水場に来ていた。

「えーと。何をやってるんでしょうね。」

私ははぐらかすようなことを言ったが、状況を見ればわかると思う。写真撮影以外の何者でもない。

利用者さんは麻痺した手で泥を落とすのに必死なので、私の声はもう聞こえていなかった。

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昔、学生の頃、精神科の実習に行った。
精神科はデイケアで、場所は東京の都会のど真ん中だった。みんな電車やバスで通える位の症状としては軽度の患者さんが多かった。

その中で、「秋の公園に行って写真撮影を学ぼう」というプログラムがあった。プロのカメラマンの方を呼んで、病院の近くの公園で教わりながら楽しみながら各々撮影会をした。

その時は紅葉が咲いてた。私はファインダー越しに紅葉をのぞく。
カメラマンが近づいてきて「紅葉を撮る時は、紅葉の反対側に太陽をはさむと日の光が当たって、透明感がでるからやってみるといいよ」と教えてくれた。

私は教わった通りやってみた。光が葉を捉えて、薄くなったり濃くなったり濃淡となりグラデーションがついて、確かにきれいだった。

ふとそんなことを思い出したのだが、この日は曇天だったので、その技は使えない。

写真を撮ることはその場を切り取ってパッケージ化していることなんだと思う。

そのパッケージ化されたものを大切な人に届けたり、自分の思い出として振り返ったりしている。

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「届けるもの」

届け方は様々。

私は明日、写真を印刷して手紙を書こうと思う。


あなたは何を届けたいですか?

いつも何を届けていますか?

また、何を届けてもらっていますか?




※昨日の地震に関して。私のところは被害はなかったのですが、ニュース等で怪我人が増えているのを見て、思うものがあります。3.11を思い出しました。被災された方がどんなメッセージを発信しているのか、何を届けたいのか、私たちが何を届けられるのかをまた考えていきたいなぁと思います。


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