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思いは連鎖するのだよ

思い思われ・・私たちは毎日を生きている。

私には2人の子供がいて、2人とも今は小学生だ。

子供が生まれた頃は、子供と一緒にいる時間が多かったし、母親は何かと子供のお世話をしながら毎日を過ごしている。

子供は育てる人がいないと、うまく育つことができない。親は一心になってかわいい我が子を育てようとする。子供も狭い世界の中で、お父さんお母さんに寄り添って甘えながら、精一杯の愛情表現をしてくれる。
「ママ大好き」
「ママあのねあのね」
「ママと一緒に遊びたい」
「ママにプレゼントだよ」

小さい頃は親にほぼ100%の思いをぶつけてくれた子供は、成長すると100%の思いのパーセンテージが少しずつ小さくなってくる。

その思いの矢印は、親の他に、友達であったり、好きな人であったり、先生であったり、様々な方向へ向かっている。

親に対する矢印は小さくなり、100%の思いは減少し、親はどんどんさみしくなってくる。

親バカ上等。子供はいつまでもかわいい。でもでも、親離れってどうやってやるんだろう。こうして少しずつ離れていくのかしら。

先日も息子が突然、夕食後に宣言をはじめた。
「今日からパパとママのことをお父さん、お母さんと呼びます。」
私たちはショックを受けた。夫は「そうか。でもまだパパって言ってもいいんだぞ」と未練たらたらであった。私もさみしくてあやうく夜に思い出して枕を濡らしそうになった。

我が子達が少しずつ変化しているのに合わせて、こちらも親のバージョンアップを図らなければならない。でも、携帯のアプリのようにボタンを押すだけでそう簡単にアップデートはできない。


この自分が変わってないのに相手がどんどん変わってしまって戸惑う事は他にもある。

たとえば実習生もそうだ。リハビリテーションの実習生は、実習に来た時はみんな初々しく、かわいらしい。
「よろしくお願いします」と丁寧におずおずと質問してくる様子は、まるで、生まれたてのひな鳥のようにかよわい。そしてカルガモの親子のように私たちについてくる。「国家試験に受かって臨床に出てからも頑張ってね」と実習終了後に学校へ送り返す。

何年か経ち、その実習生は国家試験に受かって、地元で有名な大病院なんかに就職する。そして研修会だか何だかで会ったとする。
でも、あの実習中にカルガモだった彼ら彼女らの姿はいまや面影もなく、挨拶をしてもそっけない。中には「維持期・生活期の作業療法士なんか興味もないですよ」と言わんばかりに、丸っきり態度を変えて接してくる子たちもいる。すかしたダチョウのようだ。何だかえらくなったんだなぁ・・。そういう姿を見ると、私の心にすきま風が吹く。
「寒い、世間の風が冷たい。結局病院様様かいな。OT界の見えないヒエラルキーが働いている!」
もちろん、そういう子は少ないのだが、学生のうちにできが悪かった子ほどそんな態度に出るもんだから、なんだかやりきれなさを感じる。

この変化する人たちは、いろんな場所で発生していると思う。

こういう変化に出会うと「私たちの思いは消えてしまったのかしら?」と不安に思ってしまうが、こういう時は、私の心をあたたかくした1つのエピソードを思い出すようにしている。


まだ、私が夫と結婚する前。夫が彼であった頃に、夫の実家に甥っ子が遊びに来ていることがあった。
甥っ子は初めてあった時は、幼稚園生であった。

夫は子供の面倒見が良いタイプだったので、よく甥っ子を公園に連れていってかくれんぼをしたり、私の家の飼い犬の散歩をしたり、NINTENDO64のマリオで遊んだり、甥っ子が作ったすごろくで遊んだりした。

3人でいろいろと遊んだ記憶がある。甥っ子は私にもなついて甘えてくれたので、私は嬉しかった。

私たちが結婚する時も「〇〇さん(私の名前)は〇〇くん(夫の名前)と結婚するの?おめでとう。」と喜んでお祝いしてくれた。

そんなかわいい甥っ子は、その後も半年に1回位のペースで実家に来ていたが、成長とともにどんどん口数は少なくなり、よそよそしくなっていった。特に中学から高校にかけては、以前のように遊ぶ事はなく、出会っても私たちの間の会話は少なかった。

「まあ、思春期だしな。これが正常な成長過程だ」と私はさみしい気持ちに折り合いをつけながら自分を納得させていた。

時は断ち、私は子供を出産した。

出産後初めて甥っ子家族と会った。

そこで、義理のお姉さんが私に1つのベビートイを渡してくれた。

赤や青や黄色のカラフルな布をつなぎ合わせた、中に鈴がついている7cm位の大きさのベビートイは、振ると「リンリン」と涼やかな音がする。手触りはやさしい。

「どうしたんですか?」と私は聞く。

お姉さんは教えてくれた。

「あの子が作ったのよ。〇〇ちゃんにあげたいって言うから。あげます。」

甥っ子は手作りで我が子にベビートイを作ってくれていた。

その時、私は思った。「ああ、こうやって気持ちがつながっていくんだ」と。

私たちの思いは返ってこないのではなく、次の場所につながっていく。

思いのバトンは次の走者へ運ばれていく。それで、思いは巡り巡って違う何かに幸せを運ぶ。

思いのリレーは、返ってこないけど、循環しているんだなと感じた。

だから、子供が私たちとたとえ離ればなれになっても、私たちへ対する気持ちが表面上は見えなくなっても、その思いのリレーは誰かにつながって、幸せを循環させ、大きな円となるのであれば、それでいい。

少しさみしいけど、そんなことを想像しながら年を取っていけたら素敵なことなんじゃないかなと思っている。




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