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探求してきて思うこと、

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#自我

言葉遊びの始まりはじまりー♪

言葉遊びの始まりはじまりー♪

「わかっていることをわかっている。
わかっていることをわかってない。
それは、わかってるんだから、わかってるよな。
だけど、そういうことを言うためには
それを見ていなくちゃいけなくなるね。
だとすると…
わかっていることをわかってないのは
わかってないということかー!」


もうね、おかしいでしょ笑
でもこういうことをやって
頭は納得したりするんだな。
こういう考えなんかが起きて
「なるほど!」

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この話を本で理解しようとしてる人、お勉強にしてしまってる人へ。

この話を本で理解しようとしてる人、お勉強にしてしまってる人へ。

「あいうえお」
「あ」の時「いうえお」はない
「お」の時「あいうえ」はない

言葉を追いかけるな
メモを捨てろ
思い出して追跡しようとしても
それはどこにもない

思い出して追跡しようとしてる時
「思い出して追跡しようとしてるだけしかない」と
気づければいいけど

そうでないのなら
言葉を追いかけるな
メモを捨てろ
読むな
答え合わせをしようとするな

逃げるな
そこで起こってることに全力であれ

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「無我」って「私を幸せ」にしてくれないよ。「幸せになる私」がいない話だしね。

「無我」って「私を幸せ」にしてくれないよ。「幸せになる私」がいない話だしね。

無我っていうのは
自分が消えてしまうのでもなければ
考えが浮かばないのでもないし、
何も感じなくなるということでもないですね。

今から何かがなくなるんでは
全然ないですね。

ハナから無我だったと気づくだけなのですが、

それに気づいた時

「なんや…ずっとそうやったんか…」
と、思う人は思うでしょうし、
なかには
「ああ!そういうことか!」
と、ちょっとガツンと来る人は来るかもですね。

でも

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特別感はどこにでも顔をだす♪

特別感はどこにでも顔をだす♪

自分が凡人であるということに
気づきたくなかったり
認めたくなかったり

とにかく特別でいたい思いに
「悟り」や「非二元がわかった」は
もってこいのアイテムだね。

お山の大将でいる間は
そういうのに陥ってるということに
気づけないんだ。

だけどある時ふっと
そういうメッキが剥がれるときが来ると

なんだ…

自分はただの人間だ、ということに
気がつく。

これまで通り、
笑って、泣いて、怒って

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言葉にしがみつくと自我コレクションになっちゃうよ

こういうのが「空」で
こういうのが「無」だ。

そういうことを
頭でわかったら
満足してしまうのが私達。

でもそれでは
ただの自我のコレクションです。

でね、
私達は「無」はわからない。
消えゆくのかどうかも知らない。

だから
「空」とか「無」とかの「説明」は
補助輪みたいなものなんですね。

言葉に真実があると思い込んで
しがみつくことがなければいいなと
思います。

「夢みる私じゃいられ

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そういうことでしかないという……

そういうことでしかないという……

例えば宇宙人とか得体の知れないものとか
そういうのが見えたとしたら、
そこではそういうことなんだろうなと思う。

目標を持って生きることが大切とか
本当の自分に出会うのが幸せだとか
そう思うなら
それがそこでの真実なんだろうと思う。

どんな思いだって沸く可能性があるし
どんなことだって起こるなら起こるんだろう。

なんたって
今このnoteを書いてるこのこれが
なんだかよくわからないんだから笑笑

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