保育士の皆さん、子どもに自分の名前を呼んでもらおうと、自分の名前を教え込む人間にはなってはいけません。というお話

 保育園に勤めると、何度も何度も毎日毎日、自分の名前を呼んでもらおうと教え込む保育士の姿を一定数見る事があります。

そして、この行動をしている保育士は皆と言っても過言ではない位に、お気に入りの子どもがおり、その子どもに対して過度の関わりを持って保育をします。
そして、その行動を取っている保育士は、皆と言っていいほど残念な程に保育がプロと呼べる様なレベルではありません。
お気に入りの子どもに好かれよう好かれようという想いを、日々の保育の中で言動で表します。

人が何気なくする行動というものは、時にはその人の本質が顕著に現れます。

私たちは、聖人でもなくただの人です。なので私は、《保育士は全園児に完全な平等でいなければいけない》などという考えは持っていませんし、言うつもりもありません。勿論、少なからずお気に入りの子どもがいて良いとは思っています。

しかし、保育のプロとしての給料を貰って人様の大切なお子様をお預かりし保育をする以上、そのお気に入りをあからさまに体現するのは全く別問題であり、プロとしては失格です。そういう人は、《保育士ではなく、ただの子どもが好きな人》です。自分の感情や欲求をコントロールする事が出来ない、仕事とプライベートを混同してしまっているのですから。

子どもにとって本当の意味で良い保育をする保育士は、あからさまにお気に入りの子どもに過度な関わりを絶対に持ちません。勿論、名前を早く呼んでもらいたいという自分勝手な欲求の為に名前を教え込むということは絶対にしません。

理由は簡単です。人様のお子様をお預かりしている以上、出来る限りの平等の愛情で子どもと関わり保育をしないと、子どもにも保護者にも大変失礼です。

好かれようと媚を売る関わりを子どもにしていると、その子どもはその人に対しては《その人との関わりに興味を持たない》か《この人は甘やかしてくれるからワガママはこの人に言えば大丈夫(信頼関係はゼロ)》の大きく分けてどちらかになります。そして後者の場合、周りは気づいているのですが、当の本人だけはその事に気づけず《好かれていると勘違い》している状態に必ずなっています。

子どもは、人を大人をよく見ています。行動内容にもよりますが、子どもは良くない事をしていると自覚している事が結構あります。その時にしっかり正してくれる人を嫌う事はありません。寧ろ、間違っていない時には沢山楽しませてくれて、見守ってくれていて、良くない事をした時にブレずに注意してくれる人を信頼し好きになります。それだけその人に興味を持つという事は、自然と名前に興味を持ち、覚え、家でも保護者にその人の話をします。

子どもにとって良い保育が出来てさえいれば、子どもは名前を覚えてくれますし、保護者との会話の中でも名前を出してくれます。

なので、名前を教え込むなどという行動をしている時点で、その人は子どもにとって良い保育が出来ていない事を体現していると言っても過言ではないのです。

子どもに自分の名前を呼んでもらおうと、名前を教え込むという行動を取る保育士にはならないで下さい。


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