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情なくも愛おしい、佐藤。/三浦春馬君主演映画「アイネクライネナハトムジーク」

去年の11月、私はこんなことをつぶやいた。
2019年に公開した、三浦春馬君の主演した映画「アイネクライネナハトムジーク」。
なんか好きなんだよね、この映画。
それこそ、この映画が醸す空気感ってのが見てて心地よいというか。
このツイートですべてを物語っていると言ってもいい気がするが、やはり、キーは「佐藤」なのだろう。
春馬君の演じた役はどれも良いけれど、私にとっては、この「佐藤」はかなり好きな方。
イケメンキャラでもない、お金持ちでもない、ちょっとズレてて煮え切らない、だけど、イイやつ、そんな「佐藤」が愛らしく見えて仕方ない。

映画のあらすじや、原作が斉藤和義と伊坂幸太郎のコラボ話をきっかけにした話やら何やらは、上の公式サイト(▲)にてどうぞ。

原作は、伊坂幸太郎さんの小説。

この原作小説の方は、やたらと登場人物が多くて混乱するが、短編5つが、あっちで繋がって、こっちで繋がってと、ご縁が巡っていく感じが面白かった。

筆跡がバレると嫌なので、ここではぼかして乗っけるけれど、これ、私が読みながら書いた、小説に出てくる登場人物の相関図。
凄いっしょ、この絡まり具合が。
最後の方で、左上から右下の方へギュインと線が伸びてるし。
あまりにたくさん人が出てくるとワケがわからなくなるが、繋がりを正確に理解できないと勿体ないので、書きながら読むと良いと思われる。
映画では、原作の幾つかのエピソードはばっさりとカットされていたりもするが、私が中でも好きだったのは、最後の伏線大回収が爽快だった「ルックスライク」。

ここでは映画にフォーカスして、まずは佐藤の佐藤っぷりが見事なシーンを振り返って参りまする。

佐藤が佐藤過ぎるシーン・その1

女性がハンカチでも落として、それを拾って、なんて劇的な出会いを夢見る佐藤が、友人の織田にけなされた次の日の朝。
街ですれ違う女性たち一人一人が、何か物を落としていないか、振り返りながら見て歩く佐藤。
そこに藤間さんがやってきて、「おはよう、佐藤君。落とし物?」と声を掛けられる。
その時の佐藤の反応がたまらない。

佐藤「藤間さん、おはようございます。…靴の調子が…。」
藤間さん「んっ?」
佐藤「あっ…、あっ、何でもないです…。」

何が、靴の調子だよ。
でも、「劇的な出会いを求めて、落とし物をする人を探してます!」なんても言えないね。
セリフの最後は消え入りそうな声になって、目がやたらと動いて、挙動不審さ全開で歩いて行く。
佐藤、変だよ!佐藤!
こういうお芝居、好き、たまらなく好き。
そんな佐藤、アナタが大好きだ!

佐藤が佐藤過ぎるシーン・その2

公園で、苛められている少年。
佐藤に助けられたその少年が、ウィンストン小野と握手しようと手を差し出すが、その手を握ったのはなんと織田。
その後ろで「何やってんだ、お前。」と言った後の佐藤の表情がとてつもなく良い。
目を細め、嫌な物を見るかのような、織田を憐れむかのような、しかし、そこには親しき友人であるからこそのジョーク混じりな、しょっぱいその表情、佐藤、そんなアナタが大好きだ!
ちなみに、佐藤が助けた少年は、かつてドラマ「わたしを離さないで」で、春馬君演じるトモの幼少期を演じた中川翼君だった。
更に、中川君の弟は「銀魂2」でリトル鴨太郎を演じていて、この兄弟、三浦春馬君となかなか縁があるもんだなと思う。

そして、この中川君が演じた少年が成長して青年になった時を、最近、私が気になっている若手俳優・藤原季節君が演じていたのだが、この青年が藤原季節君だったことに気づいたのは、たぶん、4回目か5回目に見た時。
気づくのが、遅い。
藤原季節君のシーンで言えば、ウィンストン小野の試合の後、青年が落とした木の枝を、藤間さんの娘の亜美子が拾って、青年に渡すシーン。
これはストーリーの前半に出てくる、誰かが落としたハンカチを拾ったのをきっかけにっていう、佐藤が望んでいた劇的な出会いを、青年と亜美子が果たしたってことなんだろうと思う。
これは原作にはないエピソード。

ご覧になった方はお気づきだろうが、この映画には、これに限らず、実はたくさんの伏線とその回収が入れ込まれている。
原作も、伏線とその回収がてんこ盛りなので、映画でも似たような感じで再現しようとしたのかなぁと推測するのだが、映画では、前半に張った伏線の回収が、これ見よがしな感じではなく、実に控えめな感じ、言い換えれば、暗示的な感じでなされていくのもあるので、1回見ただけでは、それが伏線で、これが伏線回収だと気が付かないこともあるかもしれない。
何度か見てみると、あぁっ!ってわかる瞬間が訪れると思う。
出来れば、この伏線と回収の話を、私は誰かとこの映画を観ながらじっくりとしたいのだけど、あいにくそんな機会に恵まれないのが残念。

佐藤が佐藤過ぎるシーン・その3

ここからは、怒涛の佐藤の連続であーる!
夜景の見える素敵なホテルで食事をする紗季ちゃんと佐藤。
こんなところで食事するなんて、もう紗季ちゃんはプロポーズされるって勘付いているだろう。
「おいしいねっ。」って言って、ニコニコもぐもぐステーキらしきものを食べてるが、その後、食後のお茶だかコーヒーだか飲んでる頃には無言になる二人。
紗季ちゃんは、佐藤のことチラッと見てるのに、どこ見てんだ、佐藤っ!
緊張してるのか、黙ったまま、瞬きだけが多い佐藤。
何か言えっ、佐藤〜〜っ!!!!

お会計も、初めはキャッシュで払おうとしていたが、思ったよりも高かったのか、ここで現金使い切ったら、あとで困ると思ったのか、それともポイントを溜めた方がいいと思ったのか、クレジットカードでの支払いに変えた、庶民派・佐藤。
ホテルのエントランスを出る時の紗季ちゃんの歩き方が、落胆したように見えるというか、紗季ちゃんの気持ちがどんどん下降というか、遠くに行ってしまいそうな雰囲気。
そして、家の前の駐車場で、どうしてここ?何で今?っていうグダグダなタイミングで、佐藤が言う、しかも横っ腹を押さえながら。

佐藤「本当は、さっきの店で言おうと思ってたんだけど。」
紗季「どうした?具合でも悪い?」
佐藤「いや、そうじゃなくて。なんて言うか、僕たち、出会ってからもう、今年で10年になるじゃない?」
紗季「うん、そうなるね。」
佐藤「だから。」
紗季「だから?」
佐藤「そろそろどうかなって思って。」
紗季「そろそろって?」
佐藤「つまり、僕と結婚。………(指輪を見せて)………どうかな?」
紗季「……、どうしてさっき言わなかったの?」
佐藤「いや、やっぱり、ああいう所じゃ、迷惑かなって思って。」
紗季「迷惑?」

「結婚、どうかな?」じゃなくて、「結婚してください。」ってはっきりおっしゃい!
しかも、迷惑って?
あ~~~~~~~~っ!佐藤!何やってんだよぉ!どうして?なんで?
プロポーズされて嫌じゃないんだけど、そう、佐藤、キミは何かがズレている。
指輪まで用意してたのに。
絶好のパスが来てるのに、ゴールを決めきらない。
紗季ちゃんは、仰々しいサプライズを期待していたわけではないと思うけど、あのレストランで、佐藤が「これからも紗季ちゃんと一緒にいたい」っていう意思表示をさり気なくしてくれるのを待ってたんだと思うよ。
こんなところでこんな感じで言われて、紗季ちゃん、この後、牛乳を買いに行ったのだろうか。
ちなみに、この横っ腹を押さえる演技は、今泉監督の、昔、好きな子に告白しようとしたら緊張でお腹が痛くなったという話を聞いた春馬君が取り入れたものだそう。
横っ腹が痛くなりながらも、プロポーズする佐藤って。
逆に、横っ腹が痛そうな人からプロポーズされた紗季ちゃんって。
当事者だったら悩んでしまうかもしれないが、傍から見ている私にしてみたら、こんな感じの佐藤が嫌いにはなれない、いや、佐藤、そんなアナタが大好きだ!

佐藤が佐藤過ぎるシーン・その4

佐藤「それはつまり、ダメってことだよね?」

眉間のところに縦に「絶望」と書いてあるようだよ、佐藤。
どうやら紗季ちゃんの快諾は貰えなかった模様。
さすがに紗季ちゃんも、あのグダグダなプロポーズを笑いに昇華して受け入れることはできなかったのかも。

紗季「突然だったから、ちょっと考えさせてほしいって。それだけ。」
佐藤「突然って。俺たち、もう10年付き合ってるんだよ。」
紗季「10年付き合ったら結婚するもの?」
佐藤「いやぁ、そうは言わないけどさぁ。」
紗季「……、何か、ちょっとよくわかんなくなってきちゃった。」
佐藤「わかんないのはこっちだよぉ…。」
紗季「……、私たちって、何で一緒にいるんだっけ?」

この時の佐藤の、怒りと落胆と不貞腐れと悲しみとをない交ぜにしたような表情が大好きだ。
小さな声で、絞り出すように「わかんないのはこっちだよぉ…。」って佐藤は言う。
このセリフの言い方がすごい好き。
本当にわからなくて、もう、土に埋まりたいってぐらいのその思いが滲み出るような言い方だ。
佐藤にしてみたら、10年付き合ったのに?一緒に暮らしても来たのに?なんで?って感じなのだろうが、佐藤よ、そこじゃないんだ、そこじゃ。

佐藤が佐藤過ぎるシーン・その5

きっとこの仙台の街中、13本、全力ダッシュっていうのは、紗季ちゃんが乗るバスを追いかけているシーンのことだと思われる。
誤字ですら愛おしい、春馬君のツイート。
10年前に、耳の不自由な少年を助けたのと同じように、やっぱり佐藤は優しいから、転んだ子供を放っておけなかったのだろう。
たとえ、紗季ちゃんの乗ったバスが行ってしまったとしても。
でも、紗季ちゃんも佐藤に気づいていた。

でも、暫く離れて暮らしてみて、はっきりわかった。俺、あの時、あの場所に居たのが紗季ちゃんで良かったって。心から思っている。あれから10年が経って、好きになった人が紗季ちゃんでよかったぁって、今、はっきりそう思う。それだけ、どうしても今夜伝えたくて。

そうだよ!佐藤!その言葉を待っていたんだよ!
なのに、すぐさま「バス来た。あれでもいいんだよね?」ってバスを呼び止め、一旦閉まったドアまで開けさせて、紗季ちゃんをバスに載せてしまう、佐藤。
素敵な愛の告白をしてくれたのに、余韻ってものに浸らせてくれぬのか、おぬしは。
「おやすみ。」と言って、満面の笑みで手を振る佐藤。
「えええええええ?」という表情の紗季ちゃんを乗せて、バスは動いていく。
あぁ、佐藤!
佐藤はやっぱり佐藤だ、佐藤、そんなアナタが大好きだ!。

佐藤が佐藤過ぎるシーン・その6

佐藤が家に着くと、紗季ちゃんが帰ってきていた。

佐藤「ただいま。」
紗季「おかえり。」
佐藤「おかえり。」
紗季「ただいま。」

この後半の2行は、台本にはなかったセリフで、リハーサル段階で浮かんだアイディアだったようだけど、このセリフを言い合える関係性って幸せね。

紗季「結婚、いいですよ。」
佐藤「え、いいんですか?」
紗季「え、ダメですか?」

この会話は、10年前のペディストリアンデッキで初めてやり取りした時の会話と同じ。
10年前の出会いの答えが、今、ここにある。
佐藤、ちゃんと「僕と、結婚してください。」って言えた。
そうだよ、そうはっきり言ってよね。
最後に、佐藤と紗季ちゃんの笑顔が見れて良かった。
「宜しくお願いします。」と頭を下げる、佐藤、そんなアナタが大好きだ!
原作にはない、10年後の佐藤と紗季ちゃんのストーリー。
特に、原作に書かれる紗季の描写はほんの少ししかない(名前すらついていない)から、この映画脚本とのギャップを埋める作業を要しただろうし、紗季という役をこの映画の世界観にハマるように膨らませてきた多部ちゃんの役作りも素晴らしい。

普通の人、「佐藤」を演じるにあたり。

とにもかくにも、春馬君が、普通の人、佐藤をどう演じるに至ったか。
春馬君のこのツイート

を見て、それは原作の第1話「アイネクライネ」に、

群れるペンギンのようにたくさんいるにもかかわらず誰も彼もが素通りだ。

という表現があるからだと思っていたが、そんな短絡的なことではなく、恐らく、春馬君の疑問はそのもう一つ向こう側のことを指していたのだろう。
もう一つ向こうの疑問とは、原作の著者の伊坂幸太郎さんが、通り過ぎる人たちを、どうして「ペンギン」に例えて書いたのか、ということ。
それを知りたくて、動物園にまで行ってしまったのかもしれない。
ある媒体の取材記事では、佐藤の役作りをするにあたって、「動物の身体的特徴を演技の中に組み込む」という方法を取り入れたと春馬君は言っているが、もしかして、その動物ってこのペンギンだったりするのかしら。
そう思うと、佐藤ってちょっと前かがみだし、猫背っぽい、手は真っ直ぐ、歩き方もちょこまかしている感じで、ペンギンに見えなくもない。
ペンギンは市井の人々の象徴。
そうだとしたら、動物の身体的特徴を取り入れるにしても、春馬君が原作小説からインスピレーションを得て、ペンギンに着目したのは大正解だった。
本当に、そこらへんにいる人に見えたのだから。
この「佐藤」に関しては、春馬君の役作りの過程での思考回路みたいなものが、その演技から見て取れたのがとても良かった。

あなたの隣にも、佐藤はいる。

いきなり私の話に飛ぶが、春馬君の演じる佐藤を見ると、必ずK君のことを思い出す。
K君とは、私の職場の同僚で、年の頃は私とほぼ同じ、中肉中背、それなりにお勉強はできたようだし、真面目に働きはするが、ダサくはないけどオシャレでもなく、堅物ではないけど人を笑わせるほどまでの話術はない、性格は比較的穏やかで、特徴が無いのが特徴というような、どこにでも居そうな男性なのだが、そんなK君にも佐藤と同じように10年以上付き合っていた恋人がいた。
なかなか煮え切らなかったK君も、四十歳を目前にした頃、きっと彼女も恐らく同じぐらいの年頃であろうが、二人は結婚をした。
決して、K君は春馬君のように見目麗しい人ではないのだが、春馬君の演じる佐藤が、実にK君っぽい。
逆に、K君に会うと、佐藤に似てるって思う。

役者にとって、誰もが「自分のようだ」とか「あの人みたい」と感じるような、人々の最大公約数みたいな役柄を演じるのって、際立ったキャラの役作りをする時よりも、焦点を定めにくいかもしれない。
この作品以前での役柄へのアプローチとは異なる方法で、春馬君は「佐藤」にチャレンジしたのだろう。
「どこにでもいそうな佐藤」って、現に思わせてくれた春馬君の演技、好演だったと思う。

また、これは今泉監督の作品に共通して思う感想なのだが、映画の登場人物を、自分や自分の周りにいる誰かに重ねてしまいがちになる。
例えば、「アイネクライネナハトムジーク」では佐藤は同僚のK君だし、「愛がなんだ」のテルちゃんはいつぞやの私だし、「mellow」の夏目に恋心を打ち明ける宏美ちゃんは、かつての私の旧友Tそのものだし、「his」を観たら、知り合いの、ゲイであることを隠されたまま結婚して結局は離婚した女性や、男の子と女の子を養子に迎えたゲイカップルのことを思い出す。
今泉監督の映画って、劇的な何かがあるわけでもないけれども、どこにでもいそうで、体温低めそうな人たちが淡々と過ごす日常を切り取って、しかも、ちょっとだけゆっくりなテンポでストーリーを紡いで見せてくれる。
身近な誰かが、いつも今泉監督の作品の中にいる。
そう思わせてくれるのが、今泉作品の面白さなのだろう。

出会ったのが君で本当に良かった。

「大切なのは出会いなんかじゃない。後になって、あの時にあそこで出会えたのがこの人で良かったって幸運に感謝できるのが一番なんだよ」

織田が一番良いことを言っている。
この映画は、普通の人々それぞれの日常にある「出会い」に光を当てた物語。
大泣きするでも、大笑いするでもない、地味と言えば地味なストーリー展開だけれど、この映画が放つメッセージは、心には深く届いている。
この受け取ったメッセージから着想を得て、更に、私が自分事として具体的にどのように思ったかは、あまりに私の核心深いところを突くことになってしまい、それを正直に晒す勇気はなく、また、それを表現したところでマウントを取られるのも嫌なので、今回はここには書かない。
そんな風に、人に邪魔されたくないくらいの強い気持ちを、この映画が抱かせてくれたってことだが、とにかく、仙台のちょっぴり冷たい空気に頬は晒されながらも、胸の真ん中あたりだけはじんわりと暖かくなるような、そんな気持ちではいることはお伝えしたい。

そんな気持ちになれたのは、この映画に出会えたから。
佐藤が、全身全霊で伝えてくれたから。
出会えたのが、この映画で良かった。
出会えたのが、春馬君の演じる佐藤で良かった。

そして、この映画の舞台が、仙台で良かった。
仙台に、行きたい。

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