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血糖値100の彼女と時計回りな彼 ~おいしいはたのしい~

先日受けた健康診断の結果を、テーブルの上にほったらかしにしていた私も私だが、それを勝手に見る彼も彼だ。

中には、体重やら尿検査や便検査、婦人科の検査結果だって書いてあるのだから、せめて見る前に「見てもいい?」ぐらいは聞いたらどうなのだ。

ま、スマホの中身を見られるよりかはマシだけど。

目立つように、わざわざ色を変えて表示された私の血糖値、それに彼も気づき、原因を尋ねる。

自分では何がどうなってそうなるのかはわからない。

今までオールAの「異常なし」を取り続けてきたのに、ここにきて、初めて「経過観察」のBが付いたのだから、何でかなんて知るわけがない。

しかも、血糖値の基準値は70~99mg/dlで、ほんの1mg超過したってだけのことだ。

しかし、健診の最後に面談した医師の話によれば、この数値ですぐさま糖尿病とかっていうわけではないが、このままではもっと高くなる可能性もあり、抑える努力をすべきだと、例えば、糖質を多く含む食べ物を多く摂らないとか、食べる順番を野菜からにしてみるとか、食べてすぐ寝ないとかしたらイイらしい。

という話を一通り聞いた彼は、さも「やっぱりね。」と言いたげな顔。

「炭水化物の摂取量を減らしてみては?」と言うが、そんなの無理、嫌だ、だって、お米好きだもの、麺類好きだもの、芋好きだもの、全力で抵抗を試みる。

「やめなさいとは言ってなくてー、減ら…」

「イヤです!」

すると彼はちょっと考えた後、何かが閃いたかのように言った。

「今度から僕が朝食を作るよ。」

私のうちに泊まりに来た時には、その翌朝のご飯は任せて欲しい、血糖値を下げるのに良い朝ご飯があると彼は声高らかに宣うが、この忙しい人が何を言っちゃってんだ。

時間的に無理だし、というか、アレだ、きっと何も食べさせてもらえないか、きっと不味いモノを食べさせられるのだろう。

そう直感で思った私は、思ったことは全部飲み込んで「大丈夫。自分の健康管理は自分でするから。」とだけ、にこやかに告げ、彼のオファーを断ろうとした。

「ダメです。自分で健康管理なんてできないでしょうよ。できてないからこうなってるんじゃないの? "You are what you eat." って言うでしょう。人の健康は食べ物で決まるんだよ。大丈夫、朝ご飯つくりに来るよ。でも、嫌じゃなければね。」と微笑む彼。

何だよ、「ゆーあーわっちゅーいー」って、何だよ、その笑みは。

私のずぼらっぷりを見透かしての発言に若干心のざわつきを覚えるが、嫌か?って聞かれれば、そうでもない。

「じゃ、お願いします。」


金曜日の夜、帰宅するともう彼が来ていた。

仕事が早く終わったらしい。

鍵を渡しておいて良かった。

冷蔵庫のドアを開けたり閉めたり、物を出したり入れたりしている。

床やらキッチンの上やらに、野菜やら何やら食べ物が散乱しているところを見ると、たくさん買い過ぎたのだろう。

冷蔵庫に入りきらないようだ。

「うちの冷蔵庫の大きさ知ってましたよね?」とも言いたくなったが、一人でスーパーマーケットに行って、このカラフルな野菜を、あれもこれもとかいがいしく選んで買い物かごに入れる彼の姿を想像したら、おかしくて、自然と笑いが込み上げる。

どんな朝ご飯が出来上がることやら。

でも、床にレタスをそのままでおきっぱなしにするの、邪魔だからやめてくれないかしら。


キッチンの方から、ナイフで物を切る音が聞こえる。

その物音で目が覚めたが、まだベッドからは出たくない。

結局、昨日は、彼が持ってきた、19世紀末のヨーロッパのどこかを舞台にした奇術師の映画のDVDを一緒に見ていたせいで、寝るのが遅くなった、というか、正確には、私は途中で寝落ちしてしまいストーリーの結末は分からないままだが、要は、まだ寝たりないのだ。

「起きてー。朝ご飯できたよー。」

彼の声がするものの、しばらく聞こえないふりをしてみる。

が、ついには彼がベッドルームまでやって来て、布団を引きはがされ、リビングまで連行されてしまった。

テーブルにつくと、その上には、たくさんの小鉢やら小皿やらの器が円を描くように並べられていた。

うわー、何なんだ、このインスタ映えしそうなオシャレな朝ご飯は!

「どうぞ、召し上がれ。」と満面の笑みで彼が言う。

「いただきます。」と言って、手前にある玄米ご飯の入ったお茶碗を手に取ると、「違うっ!」と言われる。

「違うとな?はて?」と彼を見ると、まずはトマトを食べ、次にもずく酢に行け、そして、生野菜のサラダ、茹でた野菜と食べて、納豆にアボカドを和えた物をご飯に掛けずにそれ単独で食べ、焼き魚に行って、お肉を食べてから、ようやく玄米ご飯に行け、と言う。

それで終わりじゃなくって、次に根菜類を食べてから、最後にフルーツを食べて、フィニッシュ!ということなのだそう。

先生、寝起きの私には、その順番が全然入ってきませーん、もう1回言って下さーい。

このフルコースを1時間ぐらい掛けて、ゆっくり食すと良いのだと、柴犬のような眼差しで私を見て言う彼。

真面目かっ!

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この食べ方は、彼が行った、あるクリニックの先生から教えてもらったもので、彼も時間のある時は、自分のうちでこうして食べていることはなんとなく知っていた。

そして、食物繊維が多く含まれる、野菜や海藻から食べると、血糖値の急上昇を防ぐ効果があるというのも知っていた。

でも、こんなの高齢者とかアスリートとか、身体のことをもっと気にする人向けなのではないのか。

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ちなみに、このサラダに入っている、白くて、端の赤いものはミョウガだろうか。

「私、ミョウガなんて、夏の素麺の薬味でしか食べ…」

「いいから、食べなさい。体に良いから!」

私のセリフに食い気味に言葉を被せる彼。

見ると、口は笑っているが目が笑っていない。

まるで、竹中直人の笑いながら怒る人みたいだ。

なかなか食べ始めない私にイラつき始めたのだろう。

「いつもは付けないけど、今日はお味噌汁も作っておいたよ。」と、玄米ご飯の横にはあおさのお味噌汁が置かれていた。

「じゃ、もう僕は行くね。それ、時計回りに食べていってね、時計回り!」

仕事に向かう彼を玄関で見送る。

「行ってらっしゃい。」


それ以来、時間が許す限り、彼は私のうちに泊まって、その翌朝のご飯を作るようになった。

食材も自分で買い出しに行く彼、自分の朝食は、私の朝食を用意しがてら、キッチンで立ち食いで済ましてしまう彼、仕事場へは、私のうちから向かう彼。

そして、今日も彼を見送った後、私は一人、時計回りに朝ご飯を食べる。

これが、うちでのルーティンだ。

この朝ご飯、彼と一緒に食べたことはまだない。


彼がうちを出てから15分、いつもの通り、そろそろ彼からLINEが来るころだ。

今日のチキン、味変わったの気づいた?
おいしい?

チキンって言ったって、このチキン、コンビニのサラダチキンだろう。

品数が多いのでそうは見えないかもしれないが、実は、この朝ご飯は、切るだけ、温めるだけ、盛るだけでできるという、料理というにはどうなのよというような代物の集まりだ。

でも、彼が私のことを思って、私の為だけに用意してくれる、私の朝ご飯だ。

彼にとっては、もっと優先すべきことがあるだろう。

なのに、私の朝ご飯のために時間を割いている。

食べる順番なんて好きにさせてよ、本当はミョウガは苦手、納豆はご飯に掛けたい、ご飯は白米の方が好き、フルーツはパイナップルにしてよ、そしてあおさのお味噌汁は毎日作ってって思うけど、そんなことは言わない。

時計回りに食べながら、ただ一言だけ、送る。

おいしい


♡♡♡

ぶっちゃけて言えば、朝ご飯は口実で、実は、彼女のうちの合い鍵を貰いたかっただけなんです。

ようやく、最近になって、うちに泊まらせてくれるようにはなりましたが、あともう一歩、踏み込んだ関係になりたかったんですよ、僕は。

合い鍵、欲しくないですか?

そのチャンスをずーっと狙ってはいたんです。

そしたら、この間、彼女のうちに行った時、そこに健康診断の結果が置いてあったから、見たんです。

あ、僕は彼女のことなら何でも知っておきたいと思うタイプなんですけどね。

束縛強そうだなぁって思ったでしょう?

んー、割とそのタイプかもしれないですが、僕は彼女のことが心配でしょうがないんです。

一歩間違えば、ストーカーって言われるんでしょうね。

健診の結果には、血糖値の数値が100って赤字で書かれていました、血糖値100って。

血糖値って糖尿病の診断の指標になるものですよね。

その年齢で、血糖値100ってどうかと思いましたけど、それって糖尿病予備軍ってことですよね。

僕の周りにいる糖尿病に罹患している人たちのことを瞬時に思い出しましたよ。

ある人はインシュリン注射を打っていましたし、ある人は足の指が壊死するかもと言って入院していました。

彼女がいつしかそんなことになってしまったらって思っただけで、もう僕はいてもたってもいられなくなりましたよ。

彼女の健康は僕の健康。

え?何、言ってんだって思います?

でもその通りなんです、彼女が健やかでいる限り、僕も健やかでいられるし、彼女が病める時があれば、僕だって一緒に病みたい。

あ、やべー奴が来たって思ったでしょう?

でも、僕は医者でも何でもないから、そんな僕に何ができるのかと脳みそフル回転で考えたら思い出したんです、前にお世話になったクリニックの先生に習った朝ご飯のことを。

そして、これは丁度いい!って思ったんです。

彼女は面倒くさがりだから、自分で朝ご飯を作るようなことはしません。

だから、代わりに僕が作ってあげないとって。

1回だけでは効果は薄いので、頻繁に食べてもらわないといけないし、そうするといちいち彼女がいるときを見計らって来るのも何ですよね、そしたら合い鍵をいつか僕にくれるかなーって思ったりしたんです。

あ、打算的な男だなぁって思ったでしょう?

理屈っぽい男だなぁって思ったでしょう?

僕、そういうタイプなんですよね、自分でもわかってるんです、あと押しつけがましいところも。

でもそれもこれも、出来る限り、彼女と一緒に時間を共有したいし、全ては彼女に健康でいて欲しいからですよ。

あ、重いって思ったでしょう?

やっぱ、そう思います?

彼女のことを好きになり過ぎる気(け)があるんです。

愛の重たい男、悪くはないとは思うけど、彼女はどう思いますかね。


食材は僕が買いに行きます。

その買い物も、楽しくて仕方ないんですよね。

夜遅くまで営業しているスーパーマーケットに行くんですけど、そこで旬な野菜や果物とか、珍しい野菜とか、あと、結構、調味料とかにも凝っちゃうタイプで、そういうのを見つけると、明日、彼女にどの組み合わせで食べてもらおうかって考えて嬉しくなっちゃうんですよ。

だから、気になったヤツは片っ端から買っちゃって。

空間認知能力って言うんですかね、あれ、僕にはないみたいで、いつも買い物の後、冷蔵庫に買ったものを入れようとすると、全然入らないんですよ。

何でかなぁって思うんです。

我ながらウケますね、毎回なんで。

でも、もうしょうがないから、野菜を床におくしかないんですよ、彼女はその野菜につまずくからって邪魔がられますけどね。


あれ、何でなんでしょうね、僕が借りてきた映画のDVDを一緒に見ると、彼女はすぐに寝ちゃうんです。

この間も、幻影師が出てくる話のDVDを見てたんですが、話の1/3にも行かないところで、彼女は顔を上に向けて爆睡してました、半分口開けて。

口の中が乾燥し過ぎてもよくないと思って、そっと口は閉じておいたんですが、手を離すとまた口を開けるので、しょうがないから映画が終わるまでずっと彼女の顎を下から支え続けましたよ。

僕が勧める映画では、大抵彼女は途中で寝てしまうのだけど、一応は一緒に見ようとはしてくれるんですよね、何でか知らないけど。


朝は、僕が先に起きて、ご飯を用意します。

ま、切って盛るだけの簡単なものばかりですが、食物繊維、植物性たんぱく質、動物性たんぱく質をバランスよく、なるべく糖質を含むものは少なめで、摂取するにしても最後の方に回して食べてもらうようにしています。

そうすると、食後の血糖値の上昇を抑制する効果があるらしいんですよ、ってこれも、お世話になったクリニックの先生の受け売りですけどね。

僕自身、この食べ方をちょっと前から続けていて、すごく体調が良いのが実感できたんですよ、眠たくならないし。

だから、彼女にもお勧めしたいなって、一生懸命に説明もしたんですが、何だか彼女はヒいてましたよね。

僕、やり過ぎましたかね、大丈夫かなって思いましたよ。


結局、僕、彼女から合い鍵もらって、週3ぐらいのペースで彼女のうちに通うようになりました。

良かったですよ、当初はウザがられるかと思いましたよね。

泊まった翌朝は、僕がご飯を作るようにしています。

全然、苦じゃないです。

買い物好きですし、早起きも得意ですし、僕の作ったものを彼女に食べてもらいたいですし、僕の朝ご飯は、彼女の分を作りながら、キッチンでちゃちゃっと済ませちゃいます。

彼女は朝が弱いので、なるべく寝かせてあげたいから、朝ご飯の用意ができてから呼んでます。

え、そんなに甘やかして大丈夫かって?

んー、どうだろう、でも、他にしてあげられることってあんまりないから、これぐらいはいいかなとも思うんですよね。

で、僕が出かけてから、彼女にはゆっくりと朝ご飯を食べてもらうんです。

本当なら、僕も彼女と一緒に、その朝ご飯を食べたいところですけどね。


彼女は低血圧だからか何だか知りませんが、起き抜けはあんまり頭が回ってないっていうか、完璧に寝ぼけてますね。

だから、朝ご飯も、食べる順番も間違わないように、時計回りに器を円状に置いておくんですよ。

朝は、なかなか彼女の口数が少ないものだから、会話のコミュニケーションはままならなくて、その代わりと言ってはなんですが、彼女がご飯を食べ始めて15分位経ったところで、たぶん、メニュー的には、サラダを食べ終わったかぐらいのところだと思うんですけど、その頃なら咀嚼で結構目も覚めた頃だと思って、LINEするようにしてるんです。

その日によって、色々話題は違いますが、最後には毎回聞くようにしてますよ、ご飯はおいしいかって。

そしたら、いつも彼女からは決まった返事が来ます。

おいしい

これだけです。

素っ気ない、一言だけしか返してこないんですよ。

ひらがなで四文字だけ、スタンプも何もないんです。

でもね、僕は知ってますよ、彼女の好きな食べ物も嫌いな食べ物も。

それなのに、本音を言わずに、こういう返事をしてくる彼女の気持ちも。

ミョウガを噛んで、徐々に目を覚ましつつある彼女がLINEで返してくるこの四文字を見ると、ニヤリとしてしまいます。

大げさに聞こえるかもしれないけど、この素直じゃない四文字で、僕は彼女と心を通わせられたなって思うんです。

僕は心底思うんですよ、彼女のために朝ご飯を作ることは、たのしいって。





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この記事は、「#おいしいはたのしい」というハッシュタグの投稿コンテストへの参加作品です。全くのフィクションです。

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