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抑止力とは何か

facebookで、

武器を持つことは本当に抑止力になるのでしょうか



という問いかけで盛り上がっているところがあったので
コメントしました。

以下コメントです。

抑止力というのは

相手に対して対等以上、あるいは圧倒的に優位性の時に成り立つものです。

でなければ、単に相手を刺激して軍拡競争を仕掛けているに過ぎません。

そして常に下位に立つ。

馬鹿にされ、侵略対象にされるだけでしょう?
日本はどこに対しても対等以上の抑止力を持つ力はありません。

そもそも抑止力などというものに実態はありません。

世界中を股にかけて、政治も経済も動かし稼いでいる軍需産業が

その『抑止力』という言葉を操り、

武器の在庫がある程度高水準になる度に主役はだれであれ戦争が起き、在庫を一掃して新たな需要を創出します。

世界中の軍需産業に唆されたり洗脳されたりおこぼれを預かっている政治家と

その政治家やその周りの御用学者や御用評論家たちに洗脳された多くの民衆が

彼らの手先になってその言葉を使っているだけです。

日本のやるべきは早く丸腰になって、世界の軍縮外交を先導する事です。

原発という火薬庫を日本中に抱え、それを防御する術もない、

2−3個原発を直接攻撃するだけで、日本の政治家は手を挙げるでしょう。

海上を封鎖されればあっという間に食糧とエネルギーが底を尽き、餓死者が山のように出ればやはり日本の政治家は手を挙げるでしょう。

実践能力のない自衛隊が右往左往する暇もなく、日本は降参するでしょうね。

今回のロシアのように、なんでもありの狂気の国はウクライナを攻めるのにアメリカやEUが前面に出ないよう核抑止力を有効に使っています。

片やウクライナを守りたい方のアメリカやEUは、表向き戦争には加担しようとしていません。

ウクライナは他国と地続きで国民が他国に避難することもでき、食糧生産国ですから、飢え死にも出ません。
それはやはり真面目に「自国民に被害の及ぶ範囲や、この地球上で核兵器を使うべきでない」と考えているからかもしれません。

軍拡と重税で国民が貧しくなるのか

軍事を放棄して、その予算と人材を教育や新産業に注入し未来をつくるのか

後者の選択は相当腹が据わった政治家でなければ選べないでしょうね。
その国の民主主義のレベルや政治家のレベルはその国民のレベルに比例すると言われています。
つまり、国民のレベルを引き上げることから始めなければならないわけですが、
今のところそれをしている人は見当たりません。

長い道のりですね。
逆に始めればすぐに到達できるかもしれません。

私は到達できる事を信じてやれる事をやります。

私が言ったっことは、自公政権でない、私の作りたい政権を作った後のことになります。
なかなかそこまで行けない現状では、日本を実行支配している政権のやり方をみているしかありませんね。
「力が無い」とはそういう事です。
私の郷土の偉人、坂本龍馬も、その力による抑止力と言う考え方をしていました。ですから千葉道場で剣の免許皆伝になったのですが、結局、免許皆伝でない者(?)に刀で斬り殺されました。
その時、使い方によっては刀を上回る武器の拳銃も持っていましたが、防ぎきれませでした。
抑止力は理性を持って交渉ができる相手、あるいは圧倒的弱い相手にしか通用しません。
銃規制の緩いアメリカで毎年大量の銃の犠牲者が出っているのも、
防衛のためと言って許される武装競争は、世界に犠牲者が出る確率を増やすことでしかない事を示しています。



この宇宙で、ありえないほどの奇跡の確率で地球のような環境ができ生物が生まれ進化しました。
地球の歴史(一年に例えるなら除夜の鐘が鳴りはじめてから)のほんの少しの間に
地球上に現れ、溢れかえった私たちホモサピエンスは、
爆発的な道具の発達を手に入れましたが、
その道具の威力ゆえ、すでに、
ある日突然絶滅する瀬戸際にあります。
そんな火遊びの道具を、
使いこなす能力がないのに使える地位につけるのが、この1世紀ほどの世界です。
欲望をコントロールできない支配者を産む構造はロシアや日本や北朝鮮だけでなく世界中にあります。
日本では原発事故を起こし、世界のあちこちで戦争は絶えず、地球温暖化は止まる事を知りません。
これを変えられるかどうかで、
ほんの少し未来、
人類がいた地球になっているのか
人類が住んでいる地球になっているのか
決まるのだと思います。

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