シャーデンフロイデ/ぜんぶ夢
日が暮れる頃に家を出て、朝方、街が青く染まる頃に家に帰る。池袋駅東口には毎日のように若者がたむろしていて、もうほとんど乾いた吐瀉物の残骸をカラスがつついている。路肩に停車したタクシーの運転手がガードレールにもたれながら煙草を吸っている明治通り。まだ人気の少ない駅の構内を小走りで通過するスーツ姿の人たち。繰り返す風景を横目に飛び乗る常磐線。繰り返し、繰り返す、なんの変哲もない日常。すれ違うあの人も、あの人も、それぞれの守りたい生活があって、そのために汗を流しているのだろうと思う。幸せとはつまりそういう、必死に生き抜いた生活の端々に、少しずつ挟み込まれた栞のようなものなのだろうと思う。時折記憶を探れば、ああ、そんなこともあったなと、そう思えるようなものなのだろうと。
中和するだけじゃ足りなくて、相殺する術を探していた。東京に来てからもう一年が経つ。帰る場所もいよいよ本当に失って、何も無いから振り返る必要もなくなった。ただ前に進んでいけばいいのは楽とも言えるが、無理だったら引き返そうという選択肢を失くしてしまったのは想定よりもはるかに心細かった。幾らかある道からここを敢えて選ぶのと、辛うじて歩いていける道がそもそもこの一つしかないのでは大きく違う。天から垂れた蜘蛛の糸を必死に掴んだつもりが、その実操られた傀儡。心も、体も、その許容できる可動域などとうに超えて、それでも進まざるを得ない傀儡。いつかの僕を救ってくれるようにとせっせと挟み込んだ栞も、そのページごと捨ててしまったのでは意味がない。
ふいに考える。例えば僕が今ビルから飛び降りて死んだとして、生き抜いて寿命で亡くなることと根本的に何が違うのか。今際の際でもっとしたかったこととか、後悔とか未練とか言い出すのはどうくたばろうが同じだろうし、多少なりともいる僕を好いてくれている人が悲しむのも同じ。何も違わないのなら、もうそれを自分に許してやってもいいんじゃないか。生と死を同列に語るのなら、望んで生まれてきた訳じゃない僕らは、死に方くらい贅沢に選んだっていいんじゃないのか。
僕が小学校一年生の時に死んだ兄のことが頭に過ぎる。第一発見者は僕だった。両親は泣きながら祈っていた。僕はその時悲しいとは思わなかった。今までは状況に精神が追いつかずフリーズしてしまったのかと考えていたが、どうやらそうじゃない。僕はあの時、"ちゃんと終わりにできてよかったね"と、確かにそう思ったのだ。終わらせるのは怖いことだから。今となってはもう、二人で写っている写真もたった一枚、それだけが形見だ。
自殺配信が話題になったり、迷惑行為が流行ったり、右だ左だで罵り合ったり、押し付けがましい中釣り広告にも飽き飽きしてきたし、数年前の予言は結局的外れだったし、好きなバンドは解散した。五月にもなって東北では雪が降ったらしい。不穏な空気がずっとこべりついていて、見ないふりばかりが上手になる。それでも、このあいだ生まれた友人の子供はすくすくと育っていて、あいつが母親かなんて話をしたりもする。悪いことばかりじゃないのが人生の最も厄介なところだ。本当に。
たまに、昔自分で書いた文章を読み返すことがある。
世の中に対する漠然とした不満とか、自分に対する殺意とか、そういうのを隠さず、臆さず、ただ赤裸々に書いていた頃。読んでほしいと思って書いていなかった。寧ろこれを評価しないお前らはクソだとすら思っていた。その純粋さが、数年越しに意図せぬ形で自分に刺さる。あの頃は良かったと思える過去なんて一つもないけど、ただ単純に楽しかったなと思う。世間知らずで、身の程知らずで、素面の時間のほうが少なくて、天王寺駅の喫煙所であべのハルカスを睨みつけていた。あの時見えていた世界のことが、今はもうほとんど見えない。守りたいものも増えて、守らなければいけないことも増えて、そんな雁字搦めを愛せない瞬間がある自分のことが更に嫌いになった。こんな自分をどうにかこうにか屈服させて、その場しのぎで生き延びるには、この命は少し長すぎる気がする。
雨が続いた週明け。傘もささずに人混みに紛れる。
急にどうしようもなく叫びたくなった時に、その叫びを噛み殺すのが途轍もなく億劫なこと以外は、僕は都会の方が生きやすいと思う。木を隠すなら森の中。誰も彼も自分のことに必死で他人に構う暇がない。その暗黙の了解的な何か。最近はめっきり耳が割れそうなノイズだらけの曲ばかり好むようになった。
ずっと眠っていたいな。
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