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冬の匂いがする

日が沈むのが早くなると、夜が長くなって嬉しい。と言うより、自分の中での感覚的な夜の滞在時間と、実際の夜とのギャップが少なくなるから嬉しい、の方が若干正しいかもしれない。そしてそれと同じ理由で、私は冬の冷たさが好きだ。まだちょっとだけ、息が白くなるには足りないけれど。

こんばんは、四月です。
最近の私は、帰宅早々に電気も消さないまま気絶するように眠り、夜中や明け方に目が覚めては、タイトルもつかないような詩を書いたり、絵の練習をしたりして過ごしています。
先日は二年ぶりに大好きなバンドのライブに行ったし、鼻のピアスも開け直した。選挙に行った。2002年製のジッポライターを買った。七センチ分身長を盛るためにヒールブーツも買った。相変わらず、後味の悪いニュースは多い。
あとは何となくで契約してしまったウォーターサーバーの、使いもしない水が毎月送られてくることに少し困っています。

近況報告、をするにはあまりにも代わり映えのない毎日。
何も変わらない、は幸せな気がするけど、端の方から緩やかに壊死していくような感触は拭えない。言いたいことはあるけど言うまでに至らなかった言葉たちの質量は、何処へ消えてしまうのだろう、そんなことを考える瞬間が貴方にもあるだろうか。あったなら嬉しいけど、その嬉しさを共有する手段があまりない。だってそういうタイミングは大抵、予告もなく突然訪れるから、いざ直面すると何から話せばいいかまるっきり分からなくなって、降り出しに戻る。喉元まで出かかった言葉が、実感だけになって、そのうち冬は終わるし、そのうち私はまた歳をとるだろう。三年前のこの時期、鬱でほとんど寝込んでいた時のことを思い出す。あの頃と比べれば幾分かましな生活をしていると思う。けれど、生活をしているだけで、「生きなきゃ」に急かされて生きるのは、本当に生きていることになるのかな。なんてもう、どうでもいいか。

とりあえず現時点で私は、叶えたい夢があって、こんな風になればいいなって理想もあって、それを応援してくれる人もいて、逆にそれをダサいってちゃんと言ってくれる人もいて、十分すぎるくらいじゃないか。鏡の前で自分に問う。
それでも淡々と積み上がっていく希死念慮の正体は、まだ掴めない。違和感を違和感のまま見過ごすことにまた違和感を覚えるのは、真面目すぎるのか、正直すぎるのか。それを突き詰める余裕もないまま、日付は変わり、昨日の私が今日の私になる。頭痛と瘡蓋だけを引き継いで。

結局、何かを綴ろうとするといつもこうなってしまう。
明確な目的があってペンを握っても、書けば書くほど全然違う気がして、上書きを繰り返して、次第に原型なんかどこにもなくなってしまって、でもこれが、ありのままの鮮度な訳で。それを残すことは、少なからず生きることに直結している。生きたい、と死にたい、は同じ濃度で内在していいはずだと、貴方を肯定するために言いたいし、何より私自身が、それに肯定されたい。

人それぞれ違ったグレーの傷跡。なのにどうしてこうも身に覚えがあるのか。もう自分のことでは泣けなくなってしまったけれど、顔も知らない誰かの切実な告白に、涙を流してしまうことがあるから、涙腺はまだ機能している。貴方は貴方の美学を大事にして。その生き方が私の生き方と重なった時、お互いのこれまでのことをお話しましょう。本当はお酒なんかなくてもそれができればいいけど。

写真は年始に引いたおみくじに書いてあったものです。
語呂がいいので気に入ってます。

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