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#35 川口市のモダン建築【たてもの探訪】

近くで面白そうなところはないかなと探すときに、私はいつもGoogle Mapのローカルガイドを使っています。
今回発見した「旧田中家住宅」もそのひとつ。
自宅から意外と近い場所にこんな素敵な建築物が見れるとは!!と思い、早速出かけてみました。

ちなみに、川口駅はおそらく初めて降りる駅。同じ埼玉県内という以外は、全く縁もゆかりもありません。
いつもそうですが、初めて降りる駅はワクワクしてテンションが上がります〜⤴️

バス停を降りると徒歩3分もしないうちにすぐ目的地が見つかりました。異彩を放っている3階建ての洋館と樹木の生い茂っている庭は、周りの景色から浮いていいるのですぐにわかります。

正面入り口から見た建物の洋館部分
現在は洋館の奥に立っている日本家屋、土蔵、茶室が残されている。
周りを囲んでいる味噌の醸造スペースは取り壊されていた。

スタッフの女性が1階部分だけガイドしてくれ、その際にいろいろと質問もできたのでとても助かりました。

入り口を入った場所が昔の帳場。
土間で靴を脱いで見学する(素足NG、靴下必須です)

田中家では代々嫡男が家督を相続し「徳兵衛」を襲名しています。農家であった初代の跡を継いだ2代目徳兵衛さん(文政11年〜明治38)が、大麦と豊かな地下水を利用した麦麹味噌の醸造と木材商を始めたのがきっかけで、その後の田中家発展の基礎を築きました。

(リーフレットより引用)
帳場には珍しい扉付きの神棚が。
天井の模様をよく見てください、アルファベットのTの字に見える。
実はこれ、田中徳兵衛の頭文字、T・Tをデザインしたものだそう。
帳場に置かれていた机も大正時代のものらしい。
素材の良いものはいつまでも長持ちするんだね〜
帳場と建具を隔てた隣にある食堂部分(スタッフルーム)の細工をスタッフさんが説明。

この大阪格子は、二重構造になっており、夏には裏部分の小障子を外し通気性の良い格子戸、冬には機密性の良い戸として使用できます。
また、プライバシーを守りながら適度な人の気配も感じることができ、優れものの建具といえます。

(ネットより引用)
小障子をはずすと、格子の隙間から店の様子がわかる。
格子の下のすりガラスは、食事中の時ちょうどスタッフの顔の高さにあたり
客側から見えないように工夫されている。
食堂の部屋には金庫と、その隣に桐のタンスが収納されている。
収納扉は1枚板のケヤキを使用。
これも大正時代のものと思われるが、触った感触もつやつやとしており
全く古さを感じさせない素晴らしい造り(木材商も営んでましたからね)
1階の応接室。二重窓になっている部分は後から増設。
この内窓と外窓の厚みの分(20センチ位?)だけレンガが積まれている。
日本建築の天井様式である格天井に、漆喰による洋風中心の飾り。
植物のデザインは、庭に植えられている珍しい植物がモデル。
店舗側の入り口の外に通用口と、来客用の専用ドアが設けられている。
ステンドグラスは夕方になると西日が差し込んで美しいらしい。
ステンドグラスのある出入り口のドアを開けると右側に蔵が。
中に入ることができず、外観のみの見学。
洋館部分を外から見上げる
通用口だか客用の玄関だかは確認できなかったが
外側のデザインもなかなか凝っている。

スタッフさんの説明はここで終わり、後は1人で増築された日本家屋部分を見学しました。
和館は木造の数寄屋造りの建物で、貴族院議員として政界に進出していた4代目徳兵衛さんが昭和9年に増築したもので、茶室、文庫蔵、煉瓦塀、池泉回遊式庭園により構成されています。

6代目徳兵衛さんが平成17年まで自宅として使っていたそうです。

木造2階の和室
2階の洋室の天井。それぞれの部屋の照明器具が凝っている。
応接室に置かれていた、おそらく電話を載せていた台と思われる。
天袋と違い棚。右は床の間。この部屋の照明器具もおしゃれ!
これは明障子と言うのかな?意匠が凝ってる
客間の地袋、天袋付きの棚板はケヤキを使用
客間の天井は、屋久杉の竿ぶち天井
座敷・次の間・仏間と3部屋続いている
欄間は透し彫り
明障子と透かし彫りの欄間
トイレは飾りではなく実際に見学者も使える

現在は国指定重要文化財となった洋館は総煉瓦造りで、4代目の徳兵衛さんが大正12年に建てたもの。
煉瓦と言えば渋沢栄一も関わっていた埼玉県深谷市の煉瓦製造も有名ですね!
この煉瓦は市内の工場で1枚1枚焼いたものらしいです。

スタッフの方が1番力を入れて説明していたのが煉瓦について。
煉瓦の積み方が覆輪目地という工法で、セメントが外に膨らんでいる

【覆輪目地の参考サイト】

麦味噌醸造は昭和35年でやめて、今は松屋銀座などの百貨店に卸し売りのみしているそうです。
ちなみに、現在の徳兵衛さんは7代目になり、不動産業を営んでいるとか。

最後は建物の外に出て、庭園と茶室を見て帰りました。

高そうな鯉が大量に泳いでいた
茶室は大きい部屋と小さい部屋がある(貸し出しもしているらしい)

今回のまとめ

和洋折衷のモダン建築は、最近だと館林で見たのを思い出します。
日本建築は川島町の遠山記念館の感動に比べると少し(感動の程度が)劣りましたが、田中家住宅の一番の見所は洋館の煉瓦造りでしょう。
覆輪目地という手法を覚えたので、早速東京駅の駅舎も見に行きたくなりました!

そして興味深かったのは、この建物を使っていた田中家の歴史。
やはり人があってこその建物ですものね。

【田中徳兵衛商店の歴史】

そしてもうひとつは、川口市の歴史。
川口というと地場産業として鋳物が有名ですが、その昔は地下水が豊富で、麦味噌の店がたくさんあったというのが意外でした。

【川口の味噌作りの歴史】

鉄道が敷かれ街の発展とともに産業も変わっていくのは世の常。
さらに時代を遡ると、江戸時代には日光御成道として川口宿や鳩ヶ谷宿が置かれていました。

次回川口に行く機会があれば、歴史散策をしてみようと思います。


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