【20代のLOG】海外ボランティア 天国と地獄の日記 Part5@スリランカ ~お経の声で起きるのも今日で最後~
今回のテーマは
「海外ボランティア 天国と地獄の日記 Part5 @スリランカ ~お経の声で起きるのも今日で最後~」です。
Part1ではスリランカに滞在するまでの流れ、ひょんなきっかけをご紹介。Part2以降は、当時書いていた日記を記載し、何を思い、感じ、体験したのかをご紹介したいと思います。
2021年に地方大学を卒業した新卒会社員がどのような生活を送り、悩み苦しみながらも理想の生活を手に入れるか。
その過程を記していこうと思います。
孫や子の成長を見守るような気持ちで読んでもらえたらなと思います^^
【内容】
・日々の生活(VLOG、仕事、休日)
・kuen の海外エピソード(留学、ボランティア、旅行)
・投資結果公開(つみたてNISA、米国ETF、米国個別株)
22日目 12/14 体調が回復
■午前3時頃体調回復に向かう。寝すぎたのか頭痛はひどい。
■身体を動かさないと健康に悪いと思い、街に出る。
■街の騒がしさが、病気明けだからか、一層やかましい。
■日本人の『繊細さ』って世界的にみても珍しいものだと感じる。そして自分がすごく良いなと思える日本の一面。ちょっとした気遣い、静かなほうがいいという感覚、すれ違うとき、、音楽で繊細さはヨーロッパでも感じたりできるけど。テリーも言ってたけど繊細さが日本人のいいところ。
■電線にぶら下がっている焼け焦げたコウモリ
■スリランカでは髪の毛が長いのが流行りなのか、美しさなのか、女性は
■お店でもスリーウィーラーでも値切る。
■そういえばイタリアかスペインに行ったときもスパゲッティ食べて吐いたのを思い出した。あのとき食べたのはアンチョビピザ。
■腰が痛い。
23日目 12/15 どうしたら変わるのか
■自己紹介2.0を読んだ。自己紹介は未来→過去→現在の順番で話す。期待を相手に持たせる。
■機織り機を使っていた。
■森の中の田舎に行くと子どもがマニーマニー言ってきて正直うざい。孤児院の子供でも言わないのに。ずっとついてくるし。
■外国人にお金をくれと言えばもらえると思わせたらダメ。次に来る人もそう言われる。非情になってもダメだと言う。
■あういう子供たちが何かをきっかけに変わってくれることを祈る。が、この地域にいる限り当分は変わらないだろうな。
■勘違いしてはいけないのが、彼らに責任は無いということ。そういう環境でそういう教育で育てば当然そのように育つ。
■日本と同じだけど、田舎だと外国人に慣れていないからか、目つきが違う。
■優しいのに親がいなくて寂しい思いをしている子供。傲慢でずるいけど親がいる子供。
■マニーマニーと言われたら、何故?と聞く。アイスクリームアイスクリームと言われたら何故?と聞く。まともに答えられた子供はいない。
■言葉が分からないと表情から何とか読み取ろうとする。フレンドリーに接してくれる人、恥ずかしがっている人、警戒してる人、怖がってる人、企んでる人。
■キングココナッツ
24日目 12/16 変な夢を見るように
■とんでもなくすごい夢を見た。ひとつはありえない流星群の夢。流星群というかもはや輝く動物がそのまま空一面に流れる。めちゃくちゃきれいだったな。自分の感性がおかしくなってる。
■2つ目の夢は嫌な夢。前半は地元の人と森で懐かしいものを見ていたシーン。そのあと何かが起こっていつも通り自分は不機嫌になる。そのあと化け物が出てくる。何を目的としているのかわからないまま、そこにいる人全員から逃げる。場所はいつの間にか森から家、家から体育館に。逃げまくる。
■教会が意外と多い。
■すぐゴミ捨てる、学生も
■なんか治安悪いなと思ったら刑務所があった。銃もってる警察官、高い塀。
■先生のための学校もあるっぽいなあ
■今日は10km歩いた。歩き過ぎ。でも、新しい道通って新鮮さは少しあった。が、怪しい道過ぎてちょっとビビってた。
■少し大きな通り抜けるとかなり汚いし、人の目つきが変わる。
■生活に慣れたはいいが、ネット環境がなさすぎる。Wi-Fi増やしてほしいが、それ以外に改善するべきところが多いのだろう。
■サムスンなどの外国系企業の店は音楽をドンチャンかけてるし、店もかなりきれい。
25日目 12/17 スリランカのお金持ち
■日本でも新しいと思われる自動車がある一方で、ディーゼルの古いバスや自動車。
■今日過ごせば明日にはバンテ来るだろう。
■金持ち(海外企業)だけがステップを飛ばして先進国と同じようになっている。蛙飛びの発展。
■日本と同じように地域格差が出てきた。
■日本車を持っているような金持ちは海外に出て、3,4年お金を稼いだり、部品を持ち帰ったりして帰ってくる。
■そういう金持ちは10000₨稼ぐ。一般人は2000₨。銀行員は6000₨。工場は2000₨とのこと。
■50人に1人くらいが大学に行く。大学に行ったあとは政府の銀行や工事などで働くらしい。
■日本語を勉強している人も多い。大学やプライベートスクールで勉強する。
■原稿を書く。
26日目 12/18 コーシーとアスティ
■ああ、信号がないんだ。
■ソリヤポクナ村、ハンバントタへ。
■コーシー、アスティたちと写真を撮ったりバイクに乗ったり。楽しかった。
27日目 12/19 大学のレポートを忘れずに
■プレスクールの子供たちが食器を洗いにメッタにきた。自分のことを覚えててくれた。
■Keelsまで買い物がてら散歩に行った。新しい道を通る。
■大学のレポートを書き進める。年内に書き終わらせる。
■メッタの男性たちとかなり仲良くなれたのに明日の朝でお別れ。残念。
■マータラの街へ行く。バンテに誘ってもらった。時間が無駄にしないで良かったー。
29日目 12/21 お経の声で起きるのも今日で最後
■ついに来た最終日
■長かったな、短くない。
■帰ったらやることいっぱいあるぞー、がんばれ未来の自分、覚悟しろ未来の自分
■お経の声で朝を迎えるのもこれで最後か。(お寺に1ヶ月住んでいた)
■変な夢を見る。まずはショッピングセンターと古代遺跡で鬼ごっこ。それから新潟から神奈川、神奈川から金沢までヘリコプターを操縦して移動。午後7時に金沢の飲み屋で酒を飲む。 明日1限で授業あるのにーと。おっさんたちと若いねーちゃんたちと。それから走って建物を出て、なんとか新潟に向かおうとしてるところで起きた。
■バンテの弟の知り合いの葬式に参加した。日本の葬式と似てた。服装は白ければなんでもいいみたい
■どれくらい重いかスーツケース持ったときのバンテの顔が忘れられない。めちゃくちゃ重いからね笑
■予定通り4時間前に空港到着。
■お疲れ自分。
この記事を読んでいただいたみなさんへ
まず、
この日記を読んでいただき、ありがとうございました。
スリランカに滞在して約1ヶ月。
自分一人でスリランカに飛び込みました。
初めての経験だらけで刺激的な1ヶ月でした。
便座のフタを開けるとカエルが3匹くらい出てくるトイレにも慣れ、
シンガポールチャイニーズの方々とVIPのように過ごした1週間。
全身の痒みや腹がちぎれる程の激痛。
大勢の子供たちを一人で喜ばせることの難しさを痛感する毎日。
その年の5月にはテロがあったり、言葉が分からなかったりで、
行くと決断したものの、不安と恐怖に襲われ、
渡航までずっと後悔していました。
しかし一方で、
Part1から書き残した通り、貴重な体験ができたのも事実です。
一生の思い出であり、ただボランティアに行ってきたという1ヶ月ではないのです。
帰国後には自分の経験を踏まえて高校で授業を行うなど、
あの時に決断していなければできない体験もさせていただきました。
スリランカ滞在日記、楽しんで頂けましたでしょうか。
スリランカと関わりがある方、興味のある方、海外ボランティアに行く方など、自分の経験が誰かの役に立てば幸いです。
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