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インナーチャイルド~私の中の小さな自分~

COCOちゃんは
元気いっぱいの女の子。

泣いたり笑ったり
怒ったりいじけたり
驚いたり不思議がったり…
そんな天真爛漫な
COCOちゃんを見ていると
それだけで元気になる。

私は、
COCOちゃんを
ラインのスタンプで
愛用している。

このスタンプを使うと
自分の心が
解放されていく。
格好つけたり、
出来るふりなんかしないで、 
ありのままの自分を
さらけ出せる。

どうして、
このスタンプが
COCOちゃんが
こんなに好きなんだろう…

息子にも、
「お母さん、また、これ?」
「他のも使ってみたらいいのに」
と言われるが、
だって、
これが好きなんだもん…

最近、
その理由がようやく分かった。

それは、
インナーチャイルドのワークを、
受けていた時だった。

私の中に眠っていた
小さな自分は、
まるでCOCOちゃんみたいに
自由だった。



小さな私との再会が
ある記憶を呼び起こした。

私は、
7歳の時、
近所の子と家出をした。

5年生の女の子
4年生の男の子
3年生の男の子
そして2年生の私。

言い出したのは
1番年下の私だった。
どうして
このメンバーになったのかは
おぼえていない。
そして、
そもそも、皆も本当に
家出をしたかったのかも
分からない。
とくに、
1つ上の3年生の男の子は
とてもおとなしくて
とても家出なんて大胆なことを
しそうには見えない子だった。

皆の本心は
分からないままだが
少なくとも、
私は本気だった。


私は、
ずっと、
自由になりたいと
思っていた。   
父の機嫌をうかがって
ビクビクして暮らすのは
もううんざりだった。
子どもだけで自由に暮らせたら
毎日がきっと楽しいものになる。
本気でそう思っていた。

その気持ちを
皆にどんな風に伝えたのかは
分からないが
皆が、私の話に賛成してくれて
一緒に家出をすることになったのだ。

嬉しかった。

持ち物
お金のこと
家出の日
大人に隠れて、
皆でこっそり相談した。
計画は、順調に進んでいった。

家出の日は、
9月15日に決まった。
当時は、
9月15日と言えば敬老の日。
祝日だった。

この日は
氏神様のお祭りの日でもあった。
小さい頃、私はこのお祭りを
とても楽しみにしていた。

でも、
大好きなお祭りよりも
家出を選んだ。

家出の数日前に、
母の引き出しから
3,000円を盗んだ。
お金を盗んだのは
後にも先にもこの時だけだ。
怖くて怖くてたまらなかった。

3,000円

物凄い大金に見えた。
これだけあったら
きっと楽しく暮らせる
幼い私はそう思った。

前の日に、 
大きな紙袋いっぱいに
服を詰めた。
泊まりに来ていた叔母は、
私が衣類を綺麗に畳み
袋に詰めている様子を見て
「自分で畳んでえらいね」
と褒めてくれた。
私は叔母に向かって
ニコッと笑ってみせた。
ここでバレたら全てが終わる。
内心、
心臓がはち切れそうな程
ドキドキしていた。

衣類の他に、
何を詰めたのかは
おぼえていない。

当日、
家族に見つからないように
小さな自転車の荷台に
大きな荷物をくくりつけ、
待ち合わせの場所に向かった。

皆ホントに来るかな…
約束の場所に向かう途中
急に不安になった。

4人が揃った時は
心からほっとした。

それから、10キロ以上離れた
隣の町へ自転車を走らせた。
長い道中のこと、
町に着いてからのこと、
何を食べて、
何をして一日を過ごしたのか
全くおぼえていない。
ただ、一つだけ
おぼえているのは、
長い夜を過ごすために
ロウソクを買ったことだ。

デパートに並んだ
見たこともないような
綺麗な色のロウソクを眺めながら
これから始まる未来を想像して
ワクワクした。

夕方、
皆で公園に行った。
夜は、そこでシートを敷いて
寝るつもりだったのだろう。
辺りが暗くなり、
いよいよ
あのロウソクを灯した。

ゆらゆらと揺れる
ロウソクの灯を見つめながら、
心から幸せだなと思った。

「どこから来たの?」

突然、見知らぬおじさんが、
声をかけてきた。 
優しいおじさんだった。

おじさんに色々聞かれた。

やがて、
その優しいおじさんが
警察官だと分かった。

しばらくして、
家の近所の人たちが
次々に、公園に集まってきた。
その中に父の姿を見つけた。

家出は、
そこで終わった。

その後どうやって家に帰ったか
全くおぼえていない。

家に帰ると
母は、ずっと泣いていた。

私は祖母とお風呂に入った。
「何でそんなことしたの」
祖母が怖い顔でそう言った。

この日、
子どもが4人いなくなったと
近所で大変な騒ぎになり
近所総出で、あちこち探し回ったらしい。
堤で溺れたのではないか…
川に流されたのではないか…と。

布団に入ってからも
母はずっと泣いていた。

たった一日で
母は、すっかり憔悴していた。

泣き続ける母の隣にいながら
その時の私には、
大変なことをしてしまったとか、
母に申し訳ないことをしたとか、
そういう後悔や謝罪の気持ちは
全くなかった。

その時、私の心を
埋め尽くしていた感情は


もう、全てが終わってしまった

という絶望感だけだった。


あの日の家出は
私が言い出したことだったが、
父も母も
一番年下だった私は、
皆にそそのかされてこんなことを
したと思ったようだった。

結局、私は、誰にも
本当の事を言えなかった。

そして、その後の私は
どちらかというと、
皆のお手本になるような
いい子だった。

皆の期待に応えるような
生き方をし、
羽目を外すことも
しなかった。

もちろん、
警察のお世話になるようなことも
2度となかった。

しかし、
家族への複雑な感情は
ずっと、私を苦しめ続けた。

やがてそれは、
心への深い関心へと
つながっていき、
許すこと、
愛すること、
幸せな人生を生きること
について自ら学びを
深めていくことになった。

様々な葛藤はあったが、
父母は父母なりのやり方で
私を愛してきたのだと、
今では思えるようになった。
父母自身も、決して
満たされていたとは言えず
それゆえに、
私たち子どもへの愛情を
上手に渡すことが
出来なかったのだと思う。

もう、70を超えた父母。
2人には、
幸せであって欲しいと
心から思う。

特に、若くして
大きな農家に嫁ぎ
ワンマンな父に
振り回され
苦労の絶えなかった母には、
せめて、残りの人生を
自分のために生きて欲しいと願う。


思えば、
家出をした時の私は
COCOちゃんのように
天真爛漫だった。
小さな決まりやルールを
守ることより
いつだって
自分の気持ちに正直に、
生きることを選んでいた。

でも、
あの家出の後は
そんな自分を
心の奥にしまい込んでしまった。

心のずっとずっと奥に。

そして、
いつしか
そんな自分がいたことすら
忘れてしまっていた。



でも、
長い月日を経て、
ようやく 
思い出すことが出来たのだ。


COCOちゃん。
私の中の小さな自分。

出ておいで。
もう、大丈夫だよ。
私は、
あなたが大好きなんだ。
一緒に生きていこう。




ラインのスタンプを
押す度に
私の中の小さな私が
キャッキャッと喜んでいる。

私は今
心から思う。

自由に生きていきたい

と。











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