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挨拶をしない子に、挨拶をしなさいと言うよりも大切なこと

今から7年前のこと。

息子がちょうど
小学校に入学する年
区内の7つの小学校が統合し、
新しい小学校になりました。

新校舎の建設は
何とか間に合ったものの
校庭や通学路の整備が
間に合わず、
少しバタバタとした
スタートになりました。

新学期が始まる直前に
子ども会の歓迎会に招待され
親子で参加しました。

歓迎会の後、
子ども会のメンバーと
その親御さん全員で
下見がてら
新しい通学路を
歩いてみました。

道路は所々まだ工事中で
横断歩道も無く、
危険な箇所が
たくさんありました。

「ここを渡る時、恐いね」
お母さん方から
不安の声が上がりました。

そこで、
当時仕事をしていなかった私は
子どもたちの見守りを
引き受けることにしました。

入学式の翌日から、
横断歩道のない道路で
子どもたちの見守りを
始めました。

小学校に
見守り隊という組織が
あったのですが、
すぐにはそちらに入らず、
最初のうちは
個人的にひっそりと
見守りをしていました。

危険がないように見守ること以外
特に、指導などはせずに
笑顔で挨拶を交わすことを
一番の目的としました。

私が立っていた場所は
やはり危険な場所として
警察や学校でもマークして
いたようで、
統合当初は
警察官や先生が
頻繁に見守りに来ました。

警察官は主に車の誘導と
子どもたちの誘導を、
先生は、
集団登校の仕方、
横断歩道の渡り方、
挨拶の仕方など、
子どもたちへの指導を
しました。

そんな中、
私はただ笑顔で
挨拶をしているだけ。
そんな自分が
何だか後ろめたく思え
少しだけ、
先生の真似事をしてみたことも
ありました。
けれど
「やっぱり私には出来ない」
とすぐに辞めてしまいました。

一列になって真っ直ぐに歩く。
無駄話はしない。
左右を確認して手を上げて
横断歩道を渡る

安全に通学するための
ルールが
たくさんありました。

このルールは
本当に必要なルールなのかな…。
そう思えるものもありました。

私は、子どもたちを
たくさんのルールで縛るのが
好きではありませんでした。

目の前の歩道は
3、4人で並んで歩いても
大丈夫なほど
とても広い歩道でした。
そこを、お話もせずに
一列で黙々と歩くなんて
つまらないな…
正直、私は
そう思っていました。

だって、
そこを通る大人は
おしゃべりをしながら
楽しそうに歩いて行くのですから。

真面目にルールを守る子も
たくさんいましたが、
中には当然
ルールを守らない子もいました。
でも、私は
よほどの危険がない限り
注意はしませんでした。

私は
安全を確保した上で
子どもたち一人一人に
笑顔で挨拶をする
そのことを
何より大切にしていました。

毎日、60人くらいの
子どもたちが
私の前を通っていきました。

挨拶を返してくれない子が
意外と多いことに驚きました。

始めは、
見守り隊のベストを
着ていないから
警戒しているのだろう
と思っていましたが、
ベストを着るように
なってからも
さほど変わりませんでした。

なぜ?

私の心は日増しに
モヤモヤし始めました。

それは最初、
小さな小さな疑問でした。

しかし、やがて
大きな不満、苛立ちと
なっていきました。

なぜ、
挨拶を返してくれないの!


そんなある朝のこと。
理由は忘れてしまいましたが、
家を出る時に
息子を叱って送り出して
しまいました。

息子を送り出した後、
いつものように
自転車で先回りして、
見守りの場所に
行きました。

さっきのことが
まだ後をひいていました。

遠くの方に
子どもたちの姿が見えました。
「いけない、いけない」
私は気持ちを切り替えました。

間もなく
息子の登校班も、
やってきました。
朝、私に叱られた息子は、
元気なく、
トボトボと
私の前を通り過ぎて行きました。

あ~やっちゃった…

私は
朝、叱って送り出して
しまったことを
後悔しました。

そして、
ふと思ったのです。

きっとこんな風に
毎日、一人ひとり
様々な事情を抱えて、
私の前を通っていくのだろうな…と。

今日の息子のように
朝、母親に叱られて
家を出て来た子も
いるかもしれません。

それだけでなく
何かもっと大きな
家庭の問題を
抱えてる子も
いるかもしれません。

友達とけんかしてる…
いじめられている…
宿題が終わっていない…
勉強が嫌い…
先生が嫌い…
給食が嫌い…
これから始まる
学校のことを考えて
憂鬱な気分になっている子が
案外たくさんいるのかもしれません。

寝不足だったり
体調不良だったり
絶好調ではない子もいるでしょう。

一人ひとり皆
多かれ少なかれ
それぞれ問題を抱えながら
今日という日を生きている。

挨拶するとか
しないとか
そんなことで
その子を判断することなんか
出来ないんだ…

そう気付いたのです。

その日、私は決意しました。

たとえ
挨拶を返してくれなくても、
とにかく、
一人ひとりに
笑顔で挨拶をしよう。

一人ひとりが
今日一日を幸せに過ごせるように…
そう願いながら。

そう決めてから
挨拶を返してもらえないことが
全く気にならなくなりました。

あんなに
イライラしていたことが
嘘のように
毎日、
子どもたちを見守ることが
楽しくなりました。


ある日、
子どもから
こんな手紙をもらいました。

僕が、元気がない時、
おはようございます
いってらっしゃい
と笑顔で声をかけてくれて
ありがとうございます。
お陰で元気に学校に行くことが
できました。
嫌なことがあった時
笑顔で挨拶をしてもらって、
嬉しかったです。

毎日、生きていれば
色んなことがあります。

笑顔になれない時も
挨拶したい気分じゃない時も
誰かに意地悪をしてしまうことも
兄弟げんかをしてしまうことも。

そんな時に

どうして挨拶しないの?
どうして優しくできないの?

なんて、
聞くだけ野暮です。

そんな時こそ

どうか、今日一日を
元気に過ごせますように…
幸せに過ごせますように…
と願うことの方が
はるかに大切なような
気がします。


朝、一度も笑顔を
見せたことがない子が、
学校で会った時に
「あっ、朝立ってる人だ!」
と声をかけてきたり
「この人、おれ、知ってるよ。
朝、立ってる人だもん!」
と友達に自慢しているのを見て
え~朝と全然違う
と驚いたことがありました。

友達といる時は
こんなに元気なんだな…
私は、この子のほんの一面しか
知らなかったんだな…
そう思いました。

朝の姿だけを見て
この子はこういう子と
判断することだけは
絶対にやめようと
その時思いました。


6年間
子どもたちの朝を見守り
私は
子どもたちから
たくさんのことを学びました。
それは、
今でも、
子どもたちと関わるときの
助けになっています。


さて、最後になりますが、
もし、我が子に

挨拶をする子になってほしい

と望むのであれば
挨拶しなさいと
口を酸っぱくして言うよりも
親である大人が、いつも、
気持ちの良い挨拶をする
そういう姿を見せていく
それが
一番ではないかと思います。

たとえ、それですぐに
挨拶をする子に
ならなかったとしても
挨拶をされて嬉しかった
気持ち良かったという気持ちは
その子の中に
ずっと残り続けると
思います。

それは、
挨拶をしなさいと言われて
形だけ出来るようになることよりも
ずっとずっと
大切なことのように
思いますが…
いかがでしょうか。

子育てに
正解はありませんから、
皆さんも、ぜひ、
目の前のお子さんと
向き合いながら
自分なりの答えを
探していってくださいね。


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