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聖霊の導くままに(?)書いてみた ~『ライティングの哲学』を読んで

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4:
すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
新約聖書 使徒言行録2章1-4節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教主義学校で聖書科教員をしている、牧師です。

先日、『ライティングの哲学』という本を読みました。

教会の礼拝説教などをはじめ、割とまとまった文章を書く機会の多い身としては、「分かる~」「あるある~」の連発で面白かったです。書き手の4人が使っておられる様々なソフトについては、機械音痴の私には分からないことがほとんどでしたが。こういうのも思い切って使ってみたらいいんだろうか。でも実はずっと前にEvernoteは手を出したことがあるんだよな。全然うまく使えないまま放置されているけど。

この本の中で、「書かないで書く」という言葉が面白かったです。千葉雅也さんの言葉。
「規範的な仕方で書かない」「書くことの脱規範化」。
「書くぞォ!」と思って書き始めようとすると、つい気負ってしまって、なんだか上手く書き出せない。でも、あまり「これを書くぞ」と思わずに「今日はフリーライティングしてみるだけ」と「気散じ状態」で書く。「構え」を消す。これによって「書き始めの負荷を下げる」というのがポイントなんだそうです。

なるほどなるほど、面白い。
私も今のところ毎週こうして記事を上げていますが、毎度毎度「書くこと無いな…」という気の重さを感じたりもして、「今週こそ書けないかもな~」と思ったりしています。でも、「まあ書けなくてもいいか~」と思いながら書き始めると、何となく(クオリティはともかく)とりあえず書けたりもする。
オットと何気なくだらだら喋っていると、日頃感じていたことや考えていたこと、実は疑問に思っていたこと、悩んでいたことなどがつるつる~っと言葉になって出て来てやり取りが生まれて考えが深まって、不思議と説教や授業のネタになる「テーマの生地」みたいなものが捏ね上げられたりする。

気構え無く動き始める、というのは、軽いウォーミングアップの動きのようなもので、自分の奥底にあったものがふわ~っと出て来るように「ほぐす」効果があるのかもしれませんね。

……と、ここまでで800文字ちょっと。実はこの記事自体フリーライティング的に、とにかくばーっと打ち込んでみています。
いつもこのnoteは2000字くらいを目安に書いています。「5分間の、読む礼拝」みたいなコンセプトで始めたnoteなので、そのくらいの分量が妥当かな~というのをイメージとしています。たまに1600字くらいで完結しちゃうものもあれば、3000字くらいかかっちゃうこともあるけど、まあ、目安ってことで。
あ、でもこの記事はまだ冒頭の聖句を入れずに書いているので、もうちょっと文字数増える見込みですね。
聖句は先に決めていることがほとんどですが、書き始めながら「やっぱりあの箇所だな~」と決めることもたまにあります。決めてたつもりで後から変える時もあります。
いろんな聖句に触れていただく機会を増やすという意味では、もっと考えて分散して取り上げなきゃなと思いもするのですが、やっぱり「私」という人間から出て来るものは有限なので、自分のこだわりのトピックとそれに繋がる聖句というのは自ずと何度も取り上げてしまいますね。その偏りも「私」ってことで。

ここまでで1300字(笑)。

当ても無く書くというのは、キリスト教的に言うなら「聖霊の導くままに」という感じなんでしょうね。
となると、聖句はあれだ、ペンテコステの箇所だ。「霊が語らせるままに」だ。
自分ではそういう福音を語ろうと思ってたわけじゃないけど、不思議と話し始めてしまったよ~、しかも自分が想定していた聞き手ではない人たち(外国語話者)に対して語りかけてしまったよ~、という感じ。
フリーライティングならぬ、フリー説教。フリー福音宣教。

振り返れば自分自身、礼拝説教で大きな養いを受けたことも多くあれど、牧師や信仰の先達との何気ない雑談、ぽろっと出てきた一言にハッとさせられて、生き方や信仰生活について教えられたということもたくさんあるな~と思います。

私もそうやって、気構え無く書いたりおしゃべりしたりしている中で、誰かがイエスさまと出会う機会、神さまの恵みを知るきっかけを手渡せていたらいいんだけどな。

……今、聖句をコピペしてきました。それでだいたい1900字。ちょうどいいな?!(笑)

というわけで、フリーライティングに倣って書いてみたところ、聖霊の導きをぼんやり感じられた、という記事になりました。
「書くことなんてもう無いな」と思ったら、「書けなくていいからなんか書こ」という精神でまたやってみます(・ω・)


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