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大概のことは、恐るるに足らず。たぶん。

「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。」
新約聖書 ルカによる福音書12章4‐5節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教主義学校で聖書科教員をしている、牧師です。

先日我が家に「ゴ」が出ました。

あいつです。その名を呼ぶことも恐ろしい。
北海道にはいないという噂の。(北海道が羨ましい)あいつです。

この数年全然見かけないな、ありがたいなと思っていた矢先だったんですよ。ベランダから取り入れたシーツを置いてあって、さあ畳んで片付けようか……と思って、ぱっと持ち上げたらね、そこにね、いたんです。
ヤツが。
たぶんシーツにくっついて外からやって来たんですよね。そのシーツその後再び洗いましたわ。腹立つ。

ヤツはめちゃくちゃでかくてね。そこでじっとしててね。ひよひよ、と触覚だけが動くんですよ。
……思い出して書いてるだけでぞわぞわしてきたので、描写すんのもうやめます。冷や汗。

その日に限ってオットは不在で、下の子と私と二人きり。
頼れるものは我が身のみ。
私が子を守らねば。(大げさ)

目を逸らさないようにしながら殺虫剤を取りに行ったのに戻って来たらやっぱり姿を消してて、めちゃくちゃへっぴり腰であちこち探して、見付けては悲鳴を上げながらスプレーを振りかけて、そうしたらソファの下にもぐりこんでしまった。
ソファの下にスプレーを噴射しまくって、横からも裏からも出てこないか目を光らせてしばらく待っていたけど出て来なくて、こりゃヤツもさすがに息絶えたな、しかしその証拠を押さえんことには安心できん、そして死骸といえどもヤツがまだ一つ屋根の下にいると思うと耐えられん。
そう思ってオットに「かくかくしかじかでやっつけたはずだけど後は頼みたい」と連絡。
「もうすぐ帰ります」という連絡が来て、ちょっと安堵。
帰宅したオットに開口一番、ヤツがいかにでかかったか、私がいかに決死の覚悟で闘ったかを語り聞かせ、「あとは頼んだ、私はもう姿を見たくない」と託したところ、数分後に「始末したよ~」との報告。
感謝ーーーーー!!!!!

で、ここまではいいのですが、続いてオットが言うことには、「そんな、言うてたほどでっかくなかったよ。全然」。ですって。

嘘だ! めちゃくちゃでかかったし! 私の手のひらくらいあったし!

何か自分の闘いが過小評価されたように思って抵抗しましたが、死骸の始末を見ていた子どもも「うん、そこまでじゃなかった」。

私はあまりの恐怖から、敵を過大評価していたということのようでした。

そう、人は恐れているものを過大評価しがちなんです、たぶん。

このところ仕事でも何でも「上手くいかないな」と思うことが多くて。何でこんなあかんのやろな、私の何があかんのやろな、どうしたらええんかな、と泣きそうに落ち込む日々が続いていました。
でもそんな状況を同僚や友人に話してみると、「うーん、大変なのは分かるけど、くどちんが言うほど悪い状況じゃないと思うよ?」「あんまり気にしないでいいことのような気がする」というような返答をもらうことが多くて。
「そうか~、私は気にしてめちゃくちゃくよくよくよくよくよくよくよくよ(以下略)してるけど(し過ぎ)、そこまでヘコまんでもええ話なんかな~」と、ちょっと俯瞰させてもらったりして。

これもまた、「敵を過大評価」している例なんでしょうね。

冒頭の聖句は、そんな私に今こそ贈りたい言葉です。
「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない」。
かあああああっこいい!!! イエスさま、かっこいいっす!!!

目先の勝ち負けや損得。周囲の人間の評価。失敗への不安やプレッシャー。他人と自分を比較した時の劣等感。
そういうものに日々翻弄され、怯えさせられ、時に絶望してしまったりもするけれど、そういうものをはるかに超えた神さまの目から見たら、ぜーんぶ取るに足りないものなんだな、と思います。

もちろん、私たちは神さまではないから、目の前の小さな「敵」を大きくて恐ろしいもののように感じて、おろおろしたり逃げまどったりしてしまいます。
でもそういう時でも心の片隅で、「本当に恐れるべきはこれじゃない」って思い出せたら、少し落ち着いて息を吸い込んで、目の前の「敵」に対峙していく力が湧いて来そうな気がします。

忙し過ぎて余裕を失うと、俯瞰する余力も失われてしまって、こうして不用意に動転させられたりしちゃうんだろうな、と思います。
「お祈り」というのは、そんな日常の中の「心の深呼吸」みたいな効果があるので、信仰のある人はもちろん、無い人も、「自分、今落ち着いてないな~、無駄にビビってるな~」と思う時は、瞑想してみてください。
そうするとほんの少しずつ「敵」の実態が分かって来て、それを乗り越える気力や術が見付かるかもしれません。



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