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吐き出してもまだやるせないまま

最近、父の生活事情を知る機会がありました。

両親と縁を切り、単身で県外へ赴いてからもう何年にもなるそうで、どうやら工場に勤務しているそうです。

といっても、特別になにかしらの技能があるわけでもないので大変な重労働の毎日なのでしょう。かなり痩せているみたいです。

コロナの煽りを受け、出勤する日は減り、生活もギリギリの賃金しかもらえていないとも聞きました。いつクビになってもおかしくないため、転職情報を見ているとも。

僕の記憶にある父はヘビースモーカーで、今はどうか知りませんが、父方の祖父が心筋梗塞で倒れタバコを止められたことを考えると不安になります。

孤独もタバコも失業も人の心身をひどく蝕みます。

それで自殺する人や突然死に至る人も少なくありません。

もし父が病気になった時、あるいは絶望の淵に立っている時、僕以外の誰が父のそばにいてやれるのだろうと想像します。僕以外の誰が身銭を切って彼を助けるのだろうとも。

明るい想像は広がりません。

僕が父と再会し、再び楽しく会話できる日は来るのでしょうか?



ライターとして、自分の生活費くらいは稼げるようにはなってきました。

でも、母に十分な仕送りをしたり、復学し大学に通いながらも自分で生活していけたりするためにはまだまだ足りません。

数ヶ月前に始めたnoteサークルは、結局メンバーの善意に甘える形で、ほとんどなにも提供できないままです。

ここしばらくは、ぐったりとしてしまう日が多く、活動できる時間が減っています。

2週間前に気を失って倒れてしまったこともあり、シェアハウスに一緒に住む後輩や彼女には、いつも心配ばかりかけています。

それで、元気な時にはおもしろいことを言ってみようとしたり、明るい話題を空想して話したり書いたりしてバランスを取ろうとするのですが、どうにも上手くいきません。あとでどっと疲れたりします。



小学生の頃足の病気だったこと、中学の頃不登校気味で外出が怖かったこともあって、運動が億劫になって、以来体力は減っている一方な気がします。休学してからはそれがかなり加速しました。

もっとたくさんの本を読んで、いろんなことを知りたい。もっとゆとりを持って友人と楽しく話したい。一刻も早く父や母や弟の力になりたい。彼女と暮らしたい。書くことで生きる夢は捨てたくない。優しくありたい。ユーモアを持っていたい。

こうしたいという思いとは裏腹に、体は思うように動いてくれません。

僕の動けない間にも、両親は老いていくし、復学の日付は近づくし、弟の青春は終わりに近づいています。

それでも、たぶん、今の僕に必要なのは焦ることではないのだろうとわかっています。

少しずつ体を鍛え、仕事を積み重ね、ゆっくり考えることが結局近道なんだろうと感じています。

その間に僕や僕の家族が失ってしまうものは「仕方のない」ことなのかもしれません。

世の中の人に言わせれば、それは、

僕のがんばる力や覚悟が足りないから。

あるいは、僕の頭が悪いから。

もしくは、世の中にはもっとうんと苦しい状況にある人が他にいくらでもいてがんばっているのだから?

なのかもしれません。

もっとポジティブに捉える人なら、苦しんでいる間にも得ているものもあるとか、いずれ必ずよかったと思う日が来るとか言うかもしれません。

そんなになんでもポジティブに捉えられるなら、ギリギリ生活できる以上のお金は全部寄付すればいいんじゃないの?

・・・・・。

今自分がすごく卑屈になっているのはわかります。頭の中でいくらでも悪態をつけてしまいます。

たくさんの方に助けてもらっていて、返しきれないくらいのサポートを受けているのに、情けない限りです。

でも、切り替えようと思っても、すぐ次の瞬間には、

「もうたくさん助けられてるし、恵まれているだろう?あとはお前自身ががんばるしかないんだ。時間はないんだ。決断せよ」

と頭の中で繰り返す声が、僕にはとても恐ろしいのです。


誰か、僕をもっとゆっくりと歩ませてはくれませんか。



先日、大学の保健管理センターでカウンセリングを受けてきました。

カウンセリングの前に全部に答えて書き込むのに30分もかかるようなシートを渡されてモルモットになった気分でした。

カウンセラーの女性に今のこの状況を伝えながら、どんどん気分が重くなりました。微笑みながら話し続けるのは至難でした。

受けたアドバイスは、「状況を紙に整理してみること」と「これから取れる選択肢を洗い出してそれぞれのメリットとデメリットを書き出すこと」でした。

ジャーナリングや書いて状況を整理することの効果は、僕も知っているつもりです。

中学、高校の時に通っていた心療内科でも同じことを言われました。あの時は書くことでかなり心が楽になりました。

しかし、それは今も毎日やっていることなのです。紙のノートにもこのnoteにも毎日散々書き出しています。

書いて、状況を把握して、その上でまだこんな気持ちなんです。

首を絞めている紐の素材がわかったところで呼吸は楽にならないのと同じようなものなのでしょうか。



この前、サークルのメンバーで、ずっと僕を支えてくださっている方に愚痴みたいなのもnoteに吐き出していいと思いますよ的なことを言っていただきました。

それで、なんとか嫌な自分を全開にして、こうして書き上げてみました。

思い腰を上げたはずなのに、いつもよりすらすらかけてしまったのがまた嫌になります。


安心してください、と言ったら変なのかもしれませんが、僕は死にたいとは思っていませんし、世の中を恨んでもいません。

微力でも家族の力になれていることには感謝していますし、僕を心から応援してくれる人がいること、何より僕を心から愛してくれている人がいることはあまりに幸運なことで、恵まれているなと感じています。それを手放すつもりもありません。

ただ、ちょっとだけ疲れているんだと思います。


こんなどうしようもない、やりきれない文章を最後までお読みいただきありがとうございます。


スキや優しいコメントをいただけると少しは楽になれそうな気がするので、よければお願いします。

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