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やっぱりおかしな365日

2019年は、個人的に超絶怒涛な1年でした。
とんでもない迷走っぷりで、すごく楽しかった。
今読み返してみてもやっぱり超絶怒涛だなあと思います。

そこから1年。今年も終わるということでざっと振り返りをしてみたら…

あれ?ぜんぜん超絶怒涛じゃなくない?
めっちゃわかりやすく筋の通った一年を送れてない?

いや、悪いことではないんですけどね、僕ってこんなに筋の通った行動ばっかりできたっけ?と思い…

じっくりとスケジュール帳を見直しながら振り返ってみたらやっぱりちゃんと変でした笑

で、ですね。この2段階の感想を読者にも味わってもらおうと閃きまして、本日は2段構成です。

まずざっと2020年のあまりの順調っぷりを手短に、怒涛の勢いで書いていきます。その後で、詳しく書いた後半(目次以降)をお読みいただければと思います。

ではでは

まず、仕事おぉぉ!
1年前に始めたnoteと1月に始めた社長わらしべ対談(YouTube企画)がパーソナルライターの仕事につながり、書くことで生活するという中学以来の夢が叶いました。母に安定して仕送りできるようになるというラインを目指し、休学の延長も決定。今や口コミで依頼が舞い込み続ける売れっ子ライターです。(自分で言うか!)

そして、趣味ぃぃ!
趣味は、読書とnoteとおしゃべりです。
このnoteはちょうど開始1年ですが、僕の心が動いたことを書く、完全に趣味(ほんの少し社会貢献)の活動です。フォロワーもあと少しで1万人ですしあと9300人!!)、コメントもたくさんいただくようになりました。念願のサークルまで作ることができて、そこでの活動が楽しくて大満足です。これは完全に最初に乗ってくれた高梨さんのおかげですね。感謝感激です。
読書とおしゃべりは相変わらず。
たくさんの面白い本と面白い人生に出会いました。悩み相談をしてくれる方が急に増えたのも今年ですね。これも幸せなことでした。友人の悩みを聞くの、好きなんです。

ほんで、人間関係ぃぃ!
本邦初公開ですが、20歳を過ぎて人生で初めて彼女ができました。一生できないと思っていないので、意外性が高い出来事でした。実に面白い。実に幸せ。(照れ臭いのでちょっと上から目線)

去年のまとめと比較して見てください。いかがですか。

今年のなんという順調さ(貧乏なのには変わりありませんが)。
もうちょい変な挑戦してもよかったんじゃないの?ってくらいです。

今年怒涛だったのは実家の問題くらい。

実家の問題ぃぃぃ!
しょっちゅう書いていますが、コロナの影響で3月より父からの養育費がストップ。我が家は今現在もギリギリでやりくりしております。度々noteでサポートしていただき、読者のみなさまにかなり助けられました。ありがとうございます。

おかげさまで、実家の問題も来年にはもう少しマシになりそうです。皆様に生かされ育てられたおかげでおそらく僕が仕送りできる金額が増えるから!

その話とは別に、今はお金がないのだからお金では絶対できないお返しを母にしようと思い立ち。成人の日に母への3つのサプライズ企画を用意しておりまして、これについては最後の方でしゃべります。

さてさて。
こっからは時系列で振り返っていきたいと思います。

やっぱりおかしな365日にどうぞお付き合いくださいませ🙇‍♂️

1月、2月 社長わらしべ対談

今年のはじめ頃は、いずれ起業するかもしれないなと考えていたのでいろんな社長とじっくり話す機会を作ろうと決めました。

そこで、YouTubeチャンネルを作って社長と1時間くらい対談する動画を流すことにしました。対談の最後に社長に物々交換をしてもらうという企画を重ねることでそこを見たい人にも視聴してもらおうと考え実行。

物々交換は思ったよりすごいこと(家とか車とか)にならなかったのですが…。新品のチェキになりました。この辺に一応行動には移すけど臆病なため粘り強く交渉したり大胆な一手を打ったりできない僕らしさが出てます笑

結局2ヶ月で合計で10回、毎回違った業種の社長と対談しました。でも、縁あって一回きりでやったイメチェン企画が1番好評でしたね。服装、メイク、話し方、ウォーキングまでプロの力を借りて大胆にイメチェンしたものの、3日と経たずダサい状態に逆戻りしました。やれやれ。

最終的なチャンネル登録者数は50人、一番見てもらえた動画でも再生数300回くらいという超弱小YouTuberでしたが、社長としゃべるという目的は十二分に達成できたのでOKです。動画編集があまりに苦痛なので一旦終了することにしました。自分がしゃべる動画を何時間も見続けるのって苦痛です笑

ここからnoteに力を入れ始めます。

あ、沖縄から友達が来てくれたので、それに合わせて沖縄×富山の美味しいもの交流会を開いたりもしていました。友達が帰りの電車に乗った瞬間富山駅に行って、合計20キロくらいのお土産(お米とその他富山名物)を用意して送りました。貧乏なくせに笑。サプラ〜イズ。

3月、4月 何してたっけ

3月は、所属していたMiNSという学生団体から先輩方が卒業していくということで関連のイベントが多かったです。コロナで大学の卒業式がなくなったので”4人のための卒業式”をやったり。

一応他にもいろいろ誘われてイベントに参加したり食事に行ったりしたはずなのですが、あまり何をやったか記憶がありません。

あ、noteで初の投げ銭をいただいたのが3月でした。「投げ銭で生きていく」を目指す金巻泰蔵さんからです。自分の文章に価値をつけてもらったようで感動しました。投げ銭としては去年福山雅治のsquallを富山駅前で歌った時以来でした。

4月、昨年9月くらいからずっとゲストハウス寄処(よすが)で暮らしていたのですが、しばらく沖縄に帰ることにしました。別れは少し寂しかったような。

日本がコロナ禍に突入したのと同時に父から実家への仕送りが途絶えたのでいろいろ手伝うためにも仕方ないかという判断です。

帰る際、あまりに理不尽で憤っていたようでこんな記事を書いてしまいました。主張は一つ「同情するなら◯をくれ」。知らない方は無視して大丈夫です。結果、note内外から3万円近くサポートを受けました。世の理不尽さとその隙間を埋める人の温かさを感じましたね。それで贈与についての記事ばっかり書いてました。

5、6月 一筋の光明

ここから僕の人生に一筋の光明が差します。

はまのりさんとの出会いです。僕は個人専属のライターになりました。

さらっと書いていますが、時給数万円というバリバリの一流ビジネスマンであるはまのりさんが実績もない一介の大学生でしかない僕に仕事を任せるって奇跡としか思えません。それを物怖じせず引き受けたあの日の僕は無知だったんでしょうね笑

富山で出会いよくしていただいていたソフトバンクの丸山さんという方の紹介でそういう運びになったのでした。丸山さんもなかなか化け物級の方です。仏級と言うべきか。

発信媒体はどれが一番いいのか、どれくらいの頻度で書くのがいいか、どこを目指すのか、どうやって僕にクレジットを入れるかなどなどたくさんのことを話し合い、第一回の収録と執筆。

そして、6月。はまのりさんの初記事が公開されます。
投稿するとき嬉しくて涙が出そうだったのを覚えています。

結局、はまのりさんをインフルエンサーにすることもサポートがたくさん入る状態にすることもできなかったことが悔やまれます。絶対後々でどうにかしようと意気込んでいます。

7、8月 危機感高まる夏

7月11日、僕は成人しました。乾杯!
僕は沖縄にいたのに、今は恋人の彼女が富山から誕生日プレゼントを贈ってくれました。手作りの焼き菓子(ウィークエンドシトロン)と本2冊。そりゃあもう、嬉しくて嬉しくてたくさんツイートしましたよ。

7月は10代のうちに書けること全部書いてやるぜ!と思ってめちゃめちゃ長い記事を書いて大満足していました。7/9の記事です。

8月。世間の大学生は夏休みに入り、僕はようやく本気で焦り始めます。

そろそろ復学に備えなくてはいけない!

でも、はまのりさんのライターとしてはまだ1円も稼いでいない…。投げ銭があればもらえるという契約だったのです。※これでもすごくありがたい条件だったと思っております。

ライターをやりつつバイトをして、給付型奨学金と授業料免除を維持する成績を保ちつつ大学に通う、かつ親に仕送りするなんて無理!

これについて、僕はけっこう変なことばっかりしてるようですが得だと思えずしかも嫌なことをやるとか、体や精神を犠牲にするとか、そんなことは一切やらない人間です。その線引きは明確で、大切な人に余裕を持って接せられなくなるくらいならやらねえ!と決まっています。決めているのではなく、決まっていると表現するのがしっくりくる。それが今の僕の弱点であり、限界だとも思っています。彼女はそこを素敵だと言ってくれていて、7割型賛成なんですけどね。

余談はさておき、僕はこの時退学を覚悟しました。
まあ、退学したってなんとかやっていけるやろという楽観もありました。そういう変な自信もなぜだかずっとあります。

ここで考えた最善手は「休学を伸ばす」でした。
それができなければ退学しよう。そう一人で決めていました。

果たしてどうなる…?

不安を抱え富山に戻りました。

起死回生の9月

今年一番ドラマティックだった時期がここだと思います。

9月7日。その時歴史は変わった(笑)

大学はあと1年まで休学を伸ばせることが判明。
休学届けを急ぎ書き上げ、ゼミの先生からサインをもらい、提出しました。これで退学は免れました。

さらに、この日の朝、はまのりさんの記事で僕へのライティング依頼を募集しました。ここで依頼が来るかが運命の分かれ道…。果たして!

休学届けを処理した僕はスマホで状況を確認します。

そしたらなんと!

はまのりさんが記事をFacebookにシェアしてわずか2時間で…

なんと5件の依頼(検討)があったんです!2時間でですよ!

その喜びが爆発している記事がこちら。
一番スキをいただいている記事でもあります。

ちなみに、最初に依頼が来て、翌日にはもうミーティングをしていたのが茂木さんです。というわけで、僕は茂木さんの依頼でプロのライターとなったわけです。

初めてがいっぱいの10月

こうしてライターとなった僕。
はまのりさんからパーソナルライターという名称もいただきました。かっこよくて気に入っています。

その後紹介が紹介を呼び、順調に仕事は増え、10月から12月現在は8人の方のパーソナルライターとして活動しています。

そんな10月は、初めてがいっぱい。

まず、人生で初めて請求書を書きました。請求書ってサイトを使えばそんなに書くの難しくないんですね。ありがとうINVOY。

それから、人生で初めて大量の締め切りに襲われました。その中で、どうしても書き進まない記事と余裕で締め切りに間に合う記事があって、俺が書いてて楽しいのは自分の心が動いたこと・誰か好きな人について書くことなんじゃねえか?と考え始めました。

会計事務所のインタビュー記事を書いたのも初めてでしたし、ビジネス以外の記事をライターとして書くのも初めてでした。滝とか、フォートナイトとか。

自分がインタビューしたわけでもない、箇条書きだけが送られてきて記事化を頼まれた会計事務所のインタビュー記事はとことんキツかった笑

あと、初めてがっつりコーチングを受けました。それで感想を書く仕事だったのです。お金をもらってコーチングを受けるというお得っぷり。これはしてやったり😁

さらに、人生で初めて彼女ができたのも10月でした。料理が得意で、バイトが趣味(通学しながらよくあんなに働けるなといつも感心)、そして好きを表す表現については僕より何十倍も巧みな言葉を使う彼女。様々な面でいつも勉強になっています。

メイド服を着た11月

11月1日。ゲストハウス寄処がリニューアルして泊まれる図書館的な場所になりました。そのリニューアルオープン記念パーティで僕はメイド服を着ることになりました。

こんな恥ずかしい経験タダでは終わらせんと思って書いたのがこちらの記事。せめてバズってくれぇぇ!と思ったのですがダメでしたね。フォロワーが1万人くらいになったら本気でこの記事を拡散してやろうと思います笑

出だしが良かったのか、11月の記事はかなりスキが多かったです。読んでいない記事があれば是非読んでみてください。

仕事では初めて契約書を作りました。甲とか乙とか大変ですね。あれって僕と君とか、俺とアンタとかじゃダメなのか?

成人の日に母へサプライズを何かしようと思い立ったのも11月でした。こっから友人たちと会話しながら3つの企画を考え、ただいま絶賛進行中です。それにしても僕の友人たちはサプライズを考えるのが上手い。相手をよく見てたくさん考えているんだろうなあと思うと彼らをいっそう好きにならずにはいられません。

12月 再び沖縄へ

3ヶ月だけ富山にいて、また沖縄に帰りました。今回は初の大阪経由。夜行バスはガラガラでした。たこ焼きが美味しかった。

彼女を富山に置いていくのは心残りでしたが、致し方ない。理由はもちろん、富山にいたら生活で精一杯で親に仕送りができないから。彼女も理解を示してくれました。ありがたい限りです。別れの時涙を一生懸命堪えていた彼女を誇りに思います。

さて。
沖縄に戻っても仕事は変わりません。

ただ一つアクシデントとして、執筆の仕事でWordPressを初めて使ったのですが、操作が難しすぎてふてくされてました。一応なんとかやりきって納品しましたが、WordPressは勘弁しておくれと思っております笑

12月のハイライトは”書けるに至るには6ステップあって、僕の仕事はそれを一つずつ進ませることなのではないか”と気づいたことですかね。蓄積してきた経験と知識がスルスルっと結びついて「あぁぁぁぁっ!」ってなる瞬間が一番好きなんです。久々のそれでした。

あとは念願だったnoteのサークル活動を開始したのも12月。現在4名で「書ける人を増やす」をテーマに活動を続けております。メンバーからnoteを継続したくなるようなフィードバックをもらえたり、あなたがこんなものを書くのが読んでみたいと言ってもらえるのが魅力かなと思います。


さて。最後に。

沖縄に戻ってから母へのサプライズ企画を本格始動しました。

今回その全容をちらっと語ります。ついに。

企画は3つ。
1.なぜか自分の知らない人たちからエールがたくさん送られるサプライズ

これについては最近書きました。友人を中心に寄せ書きがどしどし集まってきております。まだまだ協力お待ちしてます!

2.我が子に昔歌った懐かしの子守唄を20歳になった我が子が歌うミュージックビデオ(1/11YouTubedで限定公開してnoteでリンクを貼ります)

幼い頃泣き虫だった僕を眠らせるため母がよく歌ってくれたという子守唄を歌ってミュージックビデオにします。久々の動画編集なうです。人生で初めて自分が歌っている動画を世に放ちます。正直恥ずかしい!今から言っておきます。温かい目で見守ってください。

実は、温かいコメントをもらって公開する勇気をもらうため、サークルの方ではすでに編集途中(歌だけ完全版)の動画を公開してます。

3.物々交換で炊飯器を手に入れてプレゼント

やっぱり、わらしべに始まった2020年はわらしべで終わらせようという魂胆です。僕はまだ稼げるライターではないので、物々交換でいろんな人の思いも背負いながら炊飯器を手に入れ、プレゼントしようと思います。

物々交換最初の品は、母の手作りマスク。
12月27日現在ですでにすごいことになっておりますが、炊飯器にたどり着けるかはまだ未知数。結果報告はあと1ヶ月ほどお待ちください。

もし上手くいったらきっと素敵な物語になるのでnoteで発表します。いえ、上手くいかなくても書きます笑。

今のところ、これが一番上手くいくか怪しいチャレンジです。

最後に

2020年は世界の情勢とは裏腹に僕にとっては順調な1年でした。
実家の問題ぃぃぃ!は大変でしたが、幸せな一年だったと思います。

ここまで順調に来られたのは、たくさんの人がいてくれたおかげだなとしみじみ思います。損というか変というか、そういう僕の性格や偏った出来不出来を生かしてくれ、寛大に見守っていただき、チャレンジさせてくれた人たちがたくさんいたこと心から感謝しています。

note読者の方には見えないかもしれないですが、僕けっこういろんな方に失礼と迷惑と負担をかけてきたと思うんですよ。それでも付き合ってくれる友人たちや大人たちは神か仏なんでしょうね。たぶん。僕は人間なりに誠意を持って接していこうと思います。

さて。感謝は止まらないのでこれくらいにして。

2020年は、僕にとって中学くらいからまき始めた種がようやく実を結び始めている感覚でした。来年は今年得たものを使ってもっともっと面白いことをしていきたいなと思います。今より洗練された自分らしいやり方で大好きな人たちの力になりたいですね。

果たして2021年はどんな世界になるのか。

未来予測本が好きでけっこう読むのですが、キム・ヨンソプ氏の『アンコンタクト 非接触の経済学』で語られていた未来が面白かったです。読んでみてください(唐突)。


最後の最後に。
noteで知り合ったみなさん、2020年ずっとnoteを続けて来られたのはみなさんのおかげです。たくさんのフォロー、スキ、コメント、サポート、購入、お手紙ありがとうございました。僕はみなさんに生かされています。嘘偽りなく、人生で一番多くの人からスキをもらいました。

ありがとうございます!

来年も(もしかするとまだ今年も)記事を書き続けていきますのでどうぞよろしくお願いします。

サポートいただいたお金は、僕自身を作家に育てるため(書籍の購入・新しいことを体験する事など)に使わせていただきます。より良い作品を生み出すことでお返しして参ります。