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♪ここはオキナワ、みんなでおっきな和。

沖縄とわたし ④

沖縄に台風9号が接近し、かなり大型だということで、島に暮らす知人達も籠城を覚悟している様子が、SNS上で多く見受けられた。

現在のところ連絡をくれた友人含め皆無事だったけれど、家のガラスが割れたという話や、ニュースでも街中でそれなりの被害が報じられていた。
今日は、70m級の「吹き返し」(初めて聞いた言葉だ)の風が吹いているらしく、これ以上の被害が出ないことを祈りたい。

若干、不謹慎ではあるが、今回どれくらい危険な台風だったかというバロメーターが、沖縄ローカルスーパーチェーンの「ユニオンが全店舗閉店」という事態に沖縄の皆が驚きを隠せないでいるのが興味深かった。
どういうことかというと、ユニオンは大抵どんな台風でも開いているものらしく、「あのユニオンが…」という程の状況らしい。

ユニオンは僕も大好きなスーパーで(かねひでやリウボウも好きだが)、以前所属していた宜野湾にある事務所の近くにあったので、よく足を運んで沖縄でしか手に入らない豚肉や島豆腐を買い込んでは宿舎で料理してメンバーにふるまっていたものだ。

それにしても、あのお店で流れているテーマソングが中毒的に頭から離れなくなるんだよな…。


そんな沖縄への運命的な初巡礼からというもの、僕は熱病に罹ったように、琉球の国に取り憑かれてしまった。

文字通り、寝ても覚めてもだ。
もうあの気持ちは、恋といっても言い過ぎではないと思う。

しかし、それからなかなか再び島の地を踏むことは叶わず月日が過ぎた。
気持ちだけがとめどなく膨らんでいき、僕の性格的なところもあるが、手当たり次第いろんな書物を読みあさり、当時インターネット上でもぽつぽつと情報が得られるようになってきていたので、手さぐりで知見を広げていった。

「食」に洗礼を受け、想像を超える美しい海や心優しき島の人々に完全に魅了されてしまったわけだが、内地にいながら色々と調べているうちに、強烈に興味を掻き立てられたのが、いわゆる民俗学的な沖縄の側面であった。

前章でも書いたが、お墓の在り方や一部に残る風習など、それらは勿論後追いで得た知識であって、沖縄においての「宗教」そのものの存在が、本土から見るとかなり違った様相を呈しているという事実に、素人ながら驚嘆した。

はからずして、仏教の家筋に生まれた自分としては(とは言えブッディストではないのだが)、幼い頃から浅草の寺に里帰りすれば、先代の住職である祖父の墓前にお線香を上げ、本堂で仏像を拝みながらお経を唱えるのを当たり前として育ってきたのである。

が、しかし。
沖縄では、いわゆるお寺の檀家制度がなく仏像が飾られることも、そもそも「御神体」的なアイコン自体が存在していないのである。
(勿論それぞれの宗派は祀っているし、現代では那覇をはじめ都心部ではその限りではないだろう)

基本的に「先祖崇拝」、そして「自然崇拝=アニミズム」が成り立っているのだ。

沖縄ではその場所(ときには島そのもの)を、御嶽=ウタキと呼んでいる。
許可無くしては絶対的に不可侵な聖地である。
その地でノロユタといったシャーマン的な役目を女性が担っている習わしから、男子禁制が原則となっている。(これは実際に行くと無条件に感じるが、なんとも侵しがたい濃密な気がそこには流れている。)

これは個人的に、かなり衝撃的な事実だった。

その中でも、特に僕が無性に心惹かれることになった南に在る離島では、顕著な文化であるようだった。

*これはあくまで僕の浅学な知識が故、事実と相違があった場合は是非ご指摘頂けると幸いです。


そういえば、親戚である従兄弟が住職の位に就いてから、僕がまだバンドで生活も出来ていなかった頃、毎夏お盆になるとお檀家さんへお経をあげに廻るお手伝いをしに行っていた。
夜になりお疲れ様を兼ねて浅草の町に飲みに行った際、沖縄の話になり、どうやら彼もお坊さん衆の研修的な集いで本島を訪れたことがあったらしく、「歴史的にみても沖縄には仏教が根付かないんだよね。」という、リアルな愚痴ともつかぬ実情を、千束通りにあった沖縄料理屋で泡盛を傾けながら話してくれたものだった。


ますます全方位での沖縄への想いが募り溢れそうになった頃、ようやく僕はエアチケットを片手に南の島を目指す機会を得ることになった。

その行き先は、本島すら飛び越え、八重山の島々だ。

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そう、そこにはなんと絶対的な常識である筈のアミニズムを覆す、有像(?)の御嶽があるというのだ。

控えめに言っても、僕の好奇心の針はマックスに振り切っていた。



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