『新自由主義時代のオーストラリア多文化社会と市民意識 : 差異を超えた新たなつながりに向けて = Australian multicultural society and citizenship in the neoliberal era : towards new connections that transcend differences』の紹介
神奈川大学外国語学部英語英文学科です。今回の「Professors' Showcase」はオーストラリア研究が専門の栗田先生。今回は栗田先生の新書、『新自由主義時代のオーストラリア多文化社会と市民意識 : 差異を超えた新たなつながりに向けて = Australian multicultural society and citizenship in the neoliberal era : towards new connections that transcend differences』(2024年、法律文化社)について紹介します!本屋や図書館で見かけましたら是非一度手に取ってみてください。また、同じく栗田先生のご著書、『多文化国家オーストラリアの都市先住民―アイデンティティの支配に対する交渉と抵抗』(2018年、明石書店)もあわせて読んでみてはいかがでしょうか。
オーストラリア留学中にアボリジナル・スタディーズ(Aboriginal Studies)を学んだのをきっかけに、オーストラリア先住民に関心を持つようになりました。現在、オーストラリア先住民の約8割が都市部で生活していますが、長年、文化人類学における先住民研究は、遠隔地で伝統志向型の生活を送る先住民の研究が中心でした。都市に居住する先住民は、形質的にも文化的にも「白人」と区別がつきにくいため、「本物の先住民ではない」とみなされていたからです。しかし、都市で生活する「混血」の先住民には、都市特有の文脈で形成された文化やアイデンティティがあるのではないかと思い、南オーストラリア州都のアデレード近郊の先住民コミュニティでの現地調査を始めました。先住民コミュニティといっても、オーストラリアの都市に先住民のみが集住する地域はなく、多くの場合、先住民は低所得者層が比較的多い郊外で、白人貧困層や非白人系移民・難民に混ざって生活しています。その中で先住民独自のネットワークが形成され、日常的な交流が行われています。
アデレードでの現地調査を始めて少しずつみえてきたのは、都市の先住民のアイデンティティは一枚岩ではなく、複数的で多層的であるということです。都市の先住民の中には、先住民コミュニティの中で先住民の親族とともに育った人もいれば、過去の親子強制隔離政策によって親元から引き離され、白人の施設や里親家庭で育った人もいます。また、先住民出自を有する場合でも、先住民としてよりもオーストラリア人として生きることを選択する人もいます。博士論文では、このような多様な状況にある都市の先住民によって集団レベル・個人レベルで形成されたアイデンティティの諸相を、ポストコロニアル状況にあるオーストラリアの国家政策との関わりの中で考察しました。多文化国家オーストラリアでは、1980年代から独自の国民的アイデンティティを模索する中で、それまで忌み嫌われてきた先住民の文化を重要な国家遺産として位置づけるようになりました。都市の先住民の間では、教育機関を中心に多文化主義の下で称賛されたアボリジナル・アートやアボリジナル・ダンスといった「伝統的」な文化が再構築され、それを基にした集団的アイデンティティが形成されていました。しかしその一方で、日常生活では「ブラックフェラウェイ(Blackfella Way)」と呼ばれる、都市先住民独自の文化が実践されていました。そして人々は、状況や目的に応じて複数の多様なアイデンティティを使い分け、活用するという独自の交渉を行うことで、政府から強要されたアイデンティティに抵抗していたのです。詳しくは、『多文化国家オーストラリアの都市先住民―アイデンティティの支配に対する交渉と抵抗』(2018年、明石書店)をご覧ください。
都市先住民の状況を把握するにはかなりの時間を要し、博士課程での研究を終えた後も、断続的にオーストラリアの都市部で調査を続けてきました。その中で、先住民と同じ貧困地区に居住する白人貧困層やアフリカ人難民をはじめとする非白人系住民と先住民の間で日常的に集団の違いを超えた相互交流が行われていることがわかりました。1980年代後半以降、オーストラリアでも経済的合理主義の下、自助努力や自己責任等の価値観を強調する新自由主義が台頭し、公的な福祉サービスが抑制される中で、非白人系移民・難民や白人貧困層の人々も先住民と同様に社会経済的に不利な立場に置かれています。とりわけ、新自由主義的福祉政策では、福祉金給付者への義務を強調する福祉金受給者への「相互義務(mutual obligation)」の理念の下、全ての国民に経済的貢献を通した市民としての義務の遂行が求められ、そのような義務を遂行できない人々は「望ましくない市民」としての烙印を押されるようになったのです。しかし一方で、「望ましくない市民」とされた人々の間では、社会的排除の経験やそのような経験に由来する悲しみと苦難を共有する中で、人種やエスニシティといった差異を超えた新たなつながりが生まれていました。そのようなつながりを基に形成されつつある新たな市民意識や帰属意識の実態についてまとめたのが『新自由主義時代のオーストラリア多文化社会と市民意識―差異を超えた新たなつながりに向けて』(2024年、法律文化社)です。多様な市民の連帯は、「黒人性」や「非白人性」を媒介としたものや、他者のニーズに応答する心理的・行動的関与としての「ケアの倫理」によるもの、さらにはコロナ禍にデジタル空間で形成された情緒的連帯を介したものなど様々な形をとり、それを基に形成される市民意識は、貧困や差別の原因を個人の責任に帰する新自由主義的な市民意識に挑戦する可能性があるのではないかというのが本書の主張です。
第1章では、人類学・社会学における多文化社会とシティズンシップに関する先行研究を整理しながら、先行研究に対する本書の位置づけを明らかにし、第2章では、多文化社会オーストラリアにおける法的なシティズンシップの定義の変容を踏まえつつ、主流社会においてオーストラリア人であることがどのように捉えられてきたのか、その変遷を辿ります。第3章、第4章、第5章では、都市に居住する先住民、アフリカ人難民、白人貧困層のシティズンシップと帰属をめぐる経験について、各集団の歴史的背景、とりわけ「先住民性」、「難民性」、「白人性」といった差異に基づくアイデンティティの交渉の実態に着目しながら分析しています。その上で、第6章では、先住民、非白人系難民、白人貧困層のシティズンシップの経験をめぐる重複性に焦点を当て、それに基づいて集団間で形成された新たな帰属意識の意義や可能性と限界について考察しています。そして最後にオーストラリアの事例が日本の多文化共生にいかなる示唆を与えるのかについて述べています。なお、本書の英語版 ‘Longing for Belonging among the Marginalized in Urban Australia’が今年10月にLexington Books (Rowman & Littlefield) から刊行されます。
日本語版には書ききれなかった内容がこちらに含まれていますので、興味のある方はぜひ手にとっていただけると嬉しいです。
記 栗田梨津子
書評
愛知県立大学長で憲法がご専門の川畑 博昭教授の『新自由主義時代のオーストラリア多文化社会と市民意識 : 差異を超えた新たなつながりに向けて = Australian multicultural society and citizenship in the neoliberal era : towards new connections that transcend differences』に対する書評が毎日新聞に2024年7月27日(土)に掲載されました。こちらもあわせて是非読んでみて下さい!
書評は毎日新聞のウェブサイトからご覧になれます:
出版にあたり、今回紹介した栗田先生の著書は豪日交流基金からの助成を受けています。
今年10月出版予定の本著の英語版についてはこちらをご確認ください(英語のサイトとなります)!
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