「知りたい」好奇心と、「知らない」不安の間
私は昔から「知りたがり」でした。
なんでも知りたいというのとは少し違うのですが、何か面白そうだと思ったことや、分かりそうで分からないこと、人から不意に尋ねられて分からなかったことなど、レーダーに入ったものを知ろうとする習慣があります。
知りたいことを調べるときに第一に取る選択肢は、「自分で調べてみる」ということで、人に直接答えを聞く前に本やらWebやらでアレコレ調べることが基本行動になっています。
この背景には知的好奇心が潜んでいるいることは間違いないと思いますが、実はそれだけではないのではないか? と最近は考えています。
このnoteでは、私自身の「知りたがり」の構造を紐解いてみました。
知りたがりの功罪
さて、「知りたがり」の解明に入る前に、それによって何が良いことがあったのか考えてみました。
一番のメリットはものごとを調べる力が向上したことだと思います。そして、調べること自体が楽しく苦でなくなったということもあります。
その結果、仕事においても自分自身の武器になりました。
例えば、先日クライアントの方から「人事業務のことをよく勉強して理解している」とポジティブなコメントをいただきました。また、何か疑問や問題にあたったとき、何とか調べたり考えたりして工夫するところがよいところだと評価いただきました。
これはスキルとしての調べる力に加えて、そのプロセス自体に楽しさを感じているからこそ達成できているように思います。そして、その背後には私自身の「知りたがり」があることは確かでしょう。
一方、知りたがりが過ぎてしまうとスピード感が遅くなるとか、情報を得るのにコストがかかるなどのデメリットもあります。特に、本の購入については、お財布と収納スペースに圧力を与え続けていますが、趣味でもあるのでなかなか改善が難しいところでもあります。
知りたがりの構造
ところで、この自分自身の「知りたがり」という特性について冷静に考えてみると、次の2つの掛け算で成り立っていることに気づきました。
ひとつは、知りたいという好奇心。
もうひとつは、知らないという不安。
不安というと何かネガティブに感じますが、それは必要なものではないかと感じてます。
むしろ、この2つのバランスが絶妙に噛み合ったとき、心地よい違和感が頭から離れなくなるように感じます。この状態になると、その違和感を解消しようとして探索の日々が始まるというわけです。
「知りたい」好奇心と「知らない」不安の間。
自分自身の原動力はここにあるのでしょう。
この点について、心理学の理論を用いて掘り下げてみましょう。
フロー体験としての調べもの
心理学でフローという概念があります。
フローとは、人が何かにのめり込み集中しているような状態をいうのだそうです。スポーツでいうとゾーンに入るようなもの。
フローでは集中力が増しパフォーマンスがあがるだけでなく、本人にとって充実した時間になることは間違いありません。時間も自分自身も忘れて没入するわけですから。
私が何かを調べているとき、しばしば時間を忘れてしまうことがありますが、そういうときはフロー状態になっているかもしれません。
不安から成長へ
それでは、フロー状態に入るための条件とは何でしょうか?
この分野の第一人者であるチクセントミハイ教授は、著書[1]で次のように述べています。
ちょっとむずかしい表現ですが、ざっくり言うと自分自身の成長につながるようなチャレンジのプロセス自体に意味があるということです。
そのチャレンジというのは、自分の今のスキルレベルと比べて高すぎても低すぎてもいけないとも言われています。フローに入るには、手が届きそうでまだ届かないちょうどよいチャレンジが必要というわけですね。
もし、今のチャレンジが自分のスキルで難なくこなせるものであると、人は「退屈」に陥ってしまいます。この状態では生活に支障はないわけですが、フローを得るためにはよりチャレンジングな活動を見つける必要があります。古来より人は退屈を耐え難い性質を持っているので、自ずと見つけるのかもしれません[2]。
逆に、自分のスキルでは到底こなせないテーマがあることを知った人は「不安」になると言われています。不安を感じてしまった時点でその脅威を認めているわけですから、それを解消してフローを得るにはスキルレベルを上げるしかありません。
すなわち、登るべき新しい山を発見して不安になり、それに到達するために腕を磨く行為そのものにもフローのヒントがあると言えます。それはまさに自己の成長を促すものですね。
不安があってこその「知りたがり」
私は末っ子のためか、小さい頃から「お前はものを知らないな」とよくいじられたものでした。そう言われると決まってプンプン怒ったものでしたが、気が弱い私は内心不安になっていました。
もちろん、自分が全く興味がないところでそう言われても何とも思わないのですが、少なからず好きな分野でそう言われると目をそらすわけにいかず、不安になってしまうのです。
しかし、フロー理論に照らして考えると、不安に感じていること自体が成長機会であるといえます。単に好奇心があるだけではフローに入るのは難しいのかもしれません。
つまり、私は好奇心と不安があってこそ、楽しい知りたがり生活を送れるということなのでしょう。
参考文献:
[1] フロー体験 喜びの現象学
[2] 暇と退屈の倫理学
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