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料理をしない機械化人間と賃労働ができない異常人間。

おはようございます。ことよみです。

ここ数日、仕事について考えることが多くなってきました。
理由は明確で、所持金の低下です。
やはり生きるためにはお金が必要なんだなと思い知らされます。

手元の資金が目減りしていくのを見ていると、どうにも穏やかな気持ちになることが難しいです。

なのでとりあえず求人サイトを眺めてみたりするのですが、どの仕事もどうせまた潰れてしまうんだろうと思って詳細を調べる気にもなれません。

この状態が数日続いています。

困りました。

同居人の給料も決して多いわけではないので、いつまでも家事労働だけで生きていくのは厳しいだろうと感じているのですが、まともに働いている姿も想像できません。

そもそも、賃労働をしていることがまともなのでしょうか。

賃労働は必要かもしれませんが、それだけがまともで家事労働はまともじゃないんでしょうか。

どうにも、働いて給料をもらって、年収が増えて、としている方がすごくて偉いみたいなイメージがまん延している気がします。

いや、最近は代わりつつあるのかもしれませんが、しかし、賃労働をしていない人は偉くない、だめだ、みたいなイメージは以前よりも強くなっているように感じます。

共働きが当たり前になってきて、家電やコンビニなどの進化で、家事はしなくてもいい便利な世の中になってきましたが、そのことと、家事労働を下に見ることはイコールではないと思うのです。

代替できるからやらなくてもいい仕事ということにはならないはずです。

例えば家事の中で料理をしなくても外食やデリバリーや冷凍食品があるからといって、料理ができなくてもいいということにはならないと思うのです。

料理は生きることの基本です。
生きるために必要な行為のはずなのに、それを誰かに完全に任せてしまうというのは、間違っている気がします。

今は時代的になかなかだれでも野菜を作って動物をさばいて、とすることは出来ませんが、買った食材を調理して食べられるものにすることはできるはずです。
そうしたことさえせずに、インスタントな食料だけに頼ってしまうことは、労働力として飼いならされている家畜と同様なのではないかとさえ感じてしまいます。
言い方がきつくなってしまいましたが、これは働いている側の問題というより、雇用側の問題だと思っています。もっというと社会の問題です。

社会が人を生物としての人間から労働力としての機械に変えてしまったのだと思います。

そんな社会だから、機械になれない、変化についてこられない異常な人間は見下されてしまうのではないか、そんなことを偏見マシマシで考えてしまったりしています。

頭が混乱してきたので、今日はこのあたりで終わりにしたいと思いますが、私の思う理想的な状態は、中庸です。
つまり、適度に働いて、余裕を持って家事もする。これが本来あるべきシンプルな形なんじゃかいかと思います。
共働きが選べる社会には賛成です。しかし、残業が当たり前の社会には反対です。そして、料理はできるようになったほうがいいと思います。

本日もお読みいただきありがとうございます。

書いている記事の温度差で風邪を引きそうですが、皆様は暖かくしてお過ごし下さい。

それでは。




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