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【読書感想】地球へのSF

おなじみハヤカワアンソロジーの第4弾です。
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進行していく温暖化と、世界各地で相次ぐ戦 乱。われわれは地球と共に生きていく資格が あるのか?――22人のSF作家が考察する。

1.新城カズマ「Rose Malade, Perle Malade」

前漢の初期、『淮南子』というテクストが、『漢書』芸文志には「内二十一篇、外三十三篇」とあるが、「内二十一篇」しか伝わっていないことを題材に、失われた「外三十三篇」の内容を、宇宙科学・地球科学に関する先進的な研究であったと空想する筋。

こういう歴史書を編纂した人々の物語(彼ら自身も歴史の荒波に呑まれていく)は好きなテイスト。

天空は九天すなわち九重の天界から成ると謂う。そこに無限の星があるならば、そして星がすべて遠い太陽であるならば、闇を埋め尽くして夜空は明るくならねばならない。答えは二つに一つ。天空は無限で星の数が有限であるか、無限の星は太陽も含めて遂には衰微して焼失するか。劉安は後者を好んだ。常ならざる地上のあらゆる事象と平仄が合っていたからである。
彼は独りごちた。「一理あるな」

P22-23

2.粕谷知世「独り歩く」

地球をテーマにする以上、いかなる時代(地質年代)をモチーフにするかが作家の独自性になるところ、本作は古生代石炭紀、ヒロノムスとメガネウラの時代を、コロナ禍の日常と接続させる。
疫病により人通りが少なくなったことで、人間の移動による揺れが極小化し、地球のエネルギーが直に地表へと表われてくることで、古生代の記憶が散歩者に天啓の如く降り注ぐ。

刻々と行う選択。たくさんの種類の情報とエネルギーが飛び交うなかから、命を繋ぐのに有益なものを選び続ける。快と不快。重力を感じ、水流に従い、うまいものに触れれば吸収する。揺れてねじれて、浮かんで沈み、寒暖や明暗を感じて心地よいほうへ動く。・・・長い両腕と長い尾で木々の枝を渡り、森から出て槍をつくり、立ち上がってマンモスを狩った。雪原を渡り、山が火を噴くのを見た。舟に乗って海を越え、仲間の血を流しもしたが、飯はうまいし、子はかわいい。そうして、今、ここにいる。

P47-48

3.関元 聡「ワタリガラスの墓標」

地球温暖化による海面上昇によって多くの国の可住地が減少し、反対に南極大陸の流氷と凍土が溶けて沃野へと変貌した曾孫の時代、南極を中立の土地として保護する国際秩序が臨界点を迎え、土地を巡る醜いる争いが勃発する寸前の南極調査基地が舞台。
3人居た調査員のうち、1人は母国へ情報をもたらすために出航し、もう1人は着岸の容易な港湾候補地へ赴く。環境保護団体による独善的な生態系保護と、それすらも生命の生きようとする意志として研究対象とする生物学者の視座。

「種子を蒔いているの」
「・・・・・・タネ?」
「そう」
・・・
「もうすぐ・・・ここは戦場になる。この浜から、たくさんの兵士が上陸して・・・・・・私が蒔いた種子を軍靴につけて、大陸中に拡げるの。そして・・・・・・」

P75-79

4.琴柱 遥「フラワーガール北極へ行く」

悪環境における狩猟のために誕生したヒトDNAを埋め込んだシロクマである新郎と、重度障害者が中に入って肥育しているクジラである新婦が行う「迷考」(ミーカオ)という誘拐婚による結婚式に、地球の各地からリアルやメタバースで1億人が参列する祝祭。

温暖化による環境変化を、ディストピアではなく、シロクマ人の法的な権利の拡大や、障害者の雇用包摂など技術革新と社会の変化を希望とともに描き出すとともに、誘拐を成就させたい新郎側と、阻止したい新婦側のドタバタバトルが明るく展開する。

北極のオーロラの下に集う数千頭もの海獣のスペクタクル、少数民族に伝わる迷考。花嫁側の参列者は公社への支援を行っている機関から取引先まで多岐に及び、花婿側の支援者には北極海を巡航する船舶会社からチュクチ海沿岸警邏隊までが名を連ねる。そして一般の参列希望者はどちらについてもよい。ご祝儀の持ち込みは常に大歓迎で、提供される衣装パターンやレシピ、楽曲に装飾品は共有状態になっている。
・・・ただ参列するだけではなく、何かを持ち寄ることができれば楽しい、ということだろう。

P101-102

5.笹原千波「夏睡」

過酷な環境になった地表から逃れるように、地下に文明が築かれるなか、「地表で暮らした記憶」を持つ視点人物が、その過酷な四季を振り返る中で、自分たちの一族が、遺伝子操作によって地表での生活可能性を実験するために都市により投げ出された者たちだったのではないかという真相に迫っていく。

狩猟により渡り鳥を狩り、草を編んで雨露をしのぎ、秋に孕み春に産み、夏には洞窟に籠もり睡るという原始時代に戻ったかのようなサイクルが人新世の結末であると想像するとともに、地下都市の文明と地表の原始が対比されて格差の拡大を示唆する構造にもなっている。

夏の何を知っているかと問われたならば、睡り以外には何も、と答えるのが適切なのだろう。地表のことごとくを灼き尽くす盛夏の太陽も、干からびて、砂煙のほかに動くものがなくなった平原も、私は見たことがない。・・・夏は意識のない私たちの上を通り過ぎていった。されど私は、夏の確かな感触を覚えている。
・・・睡りは強靱な糸で季節と季節を縫い合わせた。夏は睡りであって、睡りとは完璧な無だった。私たちは年ごとに死んで、秋の訪れとともに蘇っていたのではないか、とすら思う。

P118,P130

6.津久井五月「クレオータ 時間軸上に拡張された保存則」

時間軸上に拡張された保存則(Conservation Law Extended Onto the Time Axis=CLEOTA)とは、エネルギー保存則を、別の時代にエネルギーを飛ばすことで保つことができるという構想で、温暖化によって2℃上昇した21世紀後半の気温を、小氷河期の最盛で2℃低かった17世紀後半に飛ばすことで、両世紀の死者数を抑制するというアイデアで”実用化”しようとする物理学者と気候学者のふたりの老境の夢が描かれる。

エッシャーの「滝」のだまし絵や、気候変動による飢饉や疫病による社会不安から捉えた歴史観、バタフライエフェクトによる青年アイザック・ニュートンの運命の転換など取り入れられたガジェットは多彩だが、ラストは「マモレナカッタ」のトゥルーエンドへと単純化されてしまうのが残念といえば残念。

たとえある場所で水位が下がって何千万人かが助かろうと、その分だけどこかで水位が上がって何千万人かが溺れ死ぬ。その系(システム)の中では水の総量だけでなく、悲劇の総量も不変だった。

P159

7.八島游舷「テラリフォーミング」

(株)デンソー先端技術研究所で実施されたSFプロトタイピングが元ネタとなっているとのことで、AI村でAIに育てられた女の子が、プラネタリウム・メタバースに入り込んで外界の人間と交流し、現下の破壊的な地球環境を”テラリフォーミング”しようとした果てに、自分自身が資本主義にとってとてつもなく価値のある資源と化していることを知る、といった筋。

二酸化炭素を回収する藻類のズメラルドや、スペースデブリで星空が埋め尽くされるケスラー・シンドロームなど、未来技術のブレストのシーズがスーパーフードのように散りばめられており、多数の頭によってプロットが組まれているのが仄見える。
とともに、ラストのボーイミーツガールがドラゴンカーセックスのように無機的なガジェットに魂を宿らせようとするのが、自動車メーカー系企業の面目躍如といったところか。

「・・・気づいているだろうが、メタバースの湖は、新ヤハギ湖のデジタル・ツイン、つまり閉鎖系ビオトープをほぼ正確に再現したものだ。私たちSAIボットはあのメタバースを使って藻による環境再生シミュレーションを行っていた。だが生態系はあまりに複雑であるため最適解を見いだせていない。もちろん、最も簡単な方法は人類を取り除くことだけどね」ジェイナスはいつものように笑えないジョークを言った。
「もしかしたら、私、その方法分かるかも」アイは真顔で答えた。
ジェイナスが驚いたように一瞬、動きを止めた。
「あ、人類を取り除く方法じゃないけどね」

P175-176

8.柴田勝家「一万年後のお楽しみ」

マップソフトのリアルタイム情報から1万年後のその場所の姿を推定する『シムフューチャー』において、1万年後に暮らす人類が発見されたことにより、当該人類パッチマンに影響を及ぼそうと、プレイヤーが様々な写真や、物理的に1万年耐久しうる石版を設置するレースが始まるが、やがて1万年後の人類が部族を形成し、戦争を引き起こすことによって、1万年前の我々の遊戯に道義的責任が生じるとの筋。

『オンライン福男』しかり、著者の想像する、多数のプレイヤーが動くことで形成されるトレンドを見据えた視点は説得力がある。本作はポケモンGOを始め位置情報ゲームが現実世界に及ぼす影響を、現代の住民の”迷惑”といったフレームに留まらず、人類史の歩んだ系譜になぞらえながら、後世にまで負の遺産を残すのではないかと示唆したものになっている。

未だに効果は現れていないが、熱心なユーザーたちは次々と石板を設置していった。これを商機と見込んだ地元の石材屋は、石板に希望した文字や絵を彫った上で、ニューポート郊外の土地に建てるサービスを展開し、全世界から注文が殺到したという。
無数の石板が墓標のように立ち並ぶ光景は、ニューポートの新たな観光名所だ。

P205

9.櫻木みわ「誕生日(アニヴェルセル)」

突如現れた地球のホログラムにおいて、地表は、黄色く光る場所と、黒く塗りつぶされた場所に塗り分けられていた。黒く塗られた近江八幡に住む老人と、黄色く光るフランスの田舎に住む幼子の文通を通じ、その塗り分けは、過去に爆発など、地表に対して人間が暴力的な改変を及ぼした場所を指しているのではないか、との推理が施され、やがて老人は、竹生島の石切場跡が、透明な鉤爪によって抉り取られる「地球の自浄作用」たる結末を目撃することとなる。

読者は上記のような展開から、老人から幼子への時代のバトンの受け渡し、あるいは新陳代謝のモチーフを想起することになるが、老人は若い頃「マッチングアプリを使うことを辞退し」、継承を拒否した人物として造形されていることも思い出す。
老人が幼子との交感によって継承に思いを馳せたまさにその瞬間、それに呼応するかのように、あるいはそれをあざ笑うかのように、人間の意志とは無関係な、地球の新陳代謝が発動することになるのである。

Hassakuさんは、九十さいだから、ひなんしなくてもいいと書いてたけど、ぼくはHassakuさんに百さいになっても生きていてほしいです。十年後、Hassakuさんの百さいのたん生日パーティをしに、日本に行きたいからです。

P240

10.長谷川京「アネクメーネ」

地磁気変動の影響で、人類の多くが方向感覚喪失症を発症した世界で、「遺伝子間の相互作用ネットワークを機械学習システムによって効率的に解析することで生物の情報を読み解き、その祖先の持つ特徴を詳らかにする」技術の特許を持った主人公に、「世界中のデジタルマップを開発する大企業」が接触してくる。その背後には、北極近く、大企業がアクセス制限をして「地図上から消して」いるエリアで発見された古生人類の遺骸を解析し、方向感覚喪失症の機序を手中に収めようとする思惑があった、という筋。

主人公が特許を持つに至った、学生時代の友人との絆のエピソードが、最終的に大企業の陰謀にNoを突きつけ、古生人類の解析情報をオープンソースへと公開する原動力となる展開はエモく作ってはあるのだが、そもそも北極点で古生人類を見つけなくても、自分たちの祖先の情報を解析すれば足りるのでは?といった骨組みが迷子になっており、個々の設定(ガジェット)のオシャレさに頼っている印象。

「他の奴らは、先輩から聞き出したルートのメモを隠して持ち込んでいたぞ」僕がそう指摘すると宝木は振り向き、爛々と輝く瞳で見つめてきた。
「んー、でもさ、こういうのって、自分で一から全部見つけたほうが、断然、面白いよな。俺、裏技は好きだけど、ズルは嫌いなんだよ」

P257

11.上田早夕里「地球をめぐる祖母の回想、あるいは遺言」

テラフォーミング半ばの火星社会において、移住第一世代の祖母が、孫娘に語って聞かせる「人間から精神の自由を奪う政策がある」地球の物語。格差が拡大し、貧困層による犯罪の増加が憂慮される中で、下層社会の人々に対して、健康状態と精神状態が良好に保たれるようになる新型の生活管理デバイスを身体に埋め込むことが強制されるようになる。祖母はその政策から逃れるために山中へ逃げ込もうとした間際、行動力を評価されて火星移住のメンバーに選抜されたという。
そして現在、火星において当該デバイスをアンインストールするテロリズムを企図していたところを、治安維持の網に掛かって頓挫するものの、孫娘のデバイスだけは「錠前を開けるように」無力化され、精神状態を安定させる機能を発揮せずに、祖母の死に違和感を感じ続けている、という話。

中心となる着想は『ハーモニー』なのだが、子ども食堂が乱立し、それが下層社会の食生活のスタンダードになるとか、料理の仕方も分からず、栄養バーを囓るだけだとか、「国語」の授業はなくなり「有用言語コミュニケーション」という科目で、機械翻訳に頼らずに、支援してくれる国の言語を操れる能力が知能の評価基準になるとか、暴力を奮う側、奮われるなど、極端な体験をする者にセンサーを取り付けて「仮想体験アプリ」に使う感覚を採取するというアルバイトが貧困層に流行始めるが、それはお金のために仕方なくというよりも、刺激を得る為に自ら積極的に選び取られたのだとか、生活管理デバイスの導入に至るまでの地球の物語に、ディストピア的なリアリティがあって非常によかった。

「人類にはそれが必要だったのです。人道的熱意も冷静な交渉も完遂できず、何千年も戦争や犯罪を克服できなかった人類にとって、これは最後の、勇気ある決断でした」
「私はこれを最後の答えだとは思わない。デバイスによる人間の精神状態を至上とすることは、人間の人間性に対する侮辱だ」
「では、他に何ができたのですか。・・・社会に失望し、世の中を嫌うのも、たいがいになさってはいかがですか」
「私を誹るよりも先に」と、祖母は悠然と言い返した。「何がそうさせているのか、その原因が社会のどこにあるのか、少しは考えてみちゃどうだい」

P299-300

12.小川一水「持ち出し許可」

星新一ショートショートに出てきそうな、一見友好的に見えて、本質的に分かり合えない異星人との接触。主人公タテキ(建樹)は同性パートナーのニンナ(仁和=ヒトカズ)と小姓洲という湿地帯を憂さ晴らしの秘密基地しているが、生物オタクのタテキは同時にコウギョクガエルというアカガエルがまだ生息していると信じて、探すという目的も同時に抱えていた。
そこにエゾオオカミのカタチをした異星人が現れ、「コウギョクガエルの絶滅を宣言してくれ」と頼んでくる。口車に乗せられて哀惜の意を込めタテキが絶滅を宣言したとき、「その星の主力種が絶滅と見なした種は、星の外に持ち出すことができるようになる」といって、異星人は口の中に捕獲していたコウギョクガエルを取り出す。
騙されたことに怒り、驚きはしたものの、地球でただ絶滅を待つくらいなら異星人の整えた環境で繁殖(1匹だけでも、クローンよりももっと精度の高い技術で繁殖できるらしい)した方が良いのでは?と心は傾くのだが、コウギョクガエルを捕食するキリゲラが教えてくれた違和感から、異星人がやがて人間をも持ち出すことを狙っていることが明らかになる、という話。

タテキが感じた、生物オタクのコウギョクガエルに対する愛着をダシにされたこと、同性カップルは繁殖可能性は無いと、ニンナとの付き合いを利用されたこと、そして「地球にだってまだ見てない生き物はいっぱいいる」のに別の星へ連れ出そうとされたこと、という3種類の怒りが物語のテーマとして集約されている。同性カップルのくだりはなんか場違いだなぁと思っていたら、ラストでニンナも実は異星人では?と示唆されることで、繁殖可能性の教条化になおさら強く釘を刺す仕掛けになっている。(そしてニンナにも実は隠された目的があった、まで行けたら神作品になっていた。)

「僕たちは最強でも主人でもない。人間はゴリラにもクジラにもモグラにも勝てない裸のヒョロヒョロザルだし、生き物たちの代表面をする権利も能力も意志もない」
「さすがにモグラには勝てない?」
「一日に体重の半分のミミズを食える?」
ツッコミを入れたニンナを抑える。宇宙人を自称するオオカミは目を細める。
「謙虚なのはいいことだ。でも本当にそう思っている?」

P313-314

13.吉上 亮「鮭はどこへ消えた?」

死刑囚の最後の食事をふるまう料理人が、その雇い主である司法代行企業の幹部にいざなわれて新潟へと旅行する。目的は<嵐の時代>の大量絶滅の後、北極圏で保存されていたが盗み出された野生原種の鮭の卵が孵化し、新潟へと母川回帰してくるのを捕まえようとするもの。夜行列車を降り、朝靄の中にボートを出して釣りを始める流れの中で、上記盗難テロの首謀者が美食家の国際民間軍事企業のオーナーであり、実行犯が自分を連れ出した人物自身であることに気づく料理人は、彼らの賭けの結末を目撃するというもの。
ストーリーは単線的であるが、朝の河口を母川回帰する大量の銀色の鱗、という景観や、釣り楽しいね、といった描写がキレイで、自分が村上に旅行した朝のことを思い出せて楽しかった。天然と養殖という視点の人間中心性などは、”鮭”は人造肉のモチーフとしてメジャーでもあるのでもう少しみっちりかくと思ったが、説教っぽくない程度に挿入されている。

粘土が割れる。湯気が噴き出す。濃厚な鮭の香気を帯びている。暗色の粘土の殻が割られ、スプーンによって皮ごとほぐされる鮭の身は鮮やかに紅い。身の紅さはカロチノイド色素のアスタキサンチンによるものだと言われるが、わたしはこれを太陽の色のようだと思う。夜明けの空は、鮭の身と同じく紅い。

P362

14.春暮康一「竜は災いに棲みつく」

読んでいる途中は迷子になるのだが、最後まで読むと読み直したくなる。宇宙を漂う貨物船から視点がスタートするのだが、その貨物はどうもタイトルにある”竜”のようだ。次にコミュニティ・オブ・コージー・カタストロフィ(CCC)という「終末論カルト集団」のニュースフィードが流れることで、「こいつらこそがカルト集団なのでは?」というミスリードを受ける。
そこに突然、マグマだまりを行ったり来たりする”竜”のような”ADS-1”や、ハリケーンの中に棲む”ADS-2”、そしてついにはプレートの沈み込む海溝にへばりつく扁平なクラゲのような”ADS-3”までが登場し、視点人物たちがいましも”ADS-4”を投下し、小惑星激突を予防するミッションにあることが判明する。その過程で、CCCとは「テロリスト」だ、という彼らの視点も明かされる。
<ボイコット>というAIの反逆を経験した人類は、「キメラ工学」を発展させ生物による科学技術の推進へと舵を切った模様で、ADSシリーズは人類が地球に住み続けるため、激甚化する災害を沈静化しようとする機能性生物システムであった。(ADSはAnti-Disastarまでは分かるが、SはSeibutsuでなければSystemとしか思えない。)
ただし、CCCを始めとする「災害による終末を救済と信じる」勢力や、生命倫理を是とし、AIの可能性を復権しようとする勢力などが示唆され、キメラ工学の主流が相対化されているのも面白い。彼らが次に沈静化しようとする”災害”はCCCへと向いており、自然科学への介入がやがて社会への介入へと傾斜していく兆しが現れている。

わたしは五百メートル先ですっかり常態に復帰した美しい竜を見つめる。本当に、美しい。信じられるのは生物だけだ。生命のシステム以外に、いったい何が数万年スパンの事業をこなせるというのか?

P392

15.伊野隆之「ソイルメイカーは歩みを止めない。」

背中に樹木を植えられた巨大昆虫の下でテナガザルが生態系の世話をしながら、別の巨大昆虫と遭遇し、同じく世話をしている別個体と番う日を夢見るという世界観。
ようやく出会った別個体は、自分たちの生態系維持の努力がやがて地上環境を改善させ、地下に避難したニンゲンの復権をもたらすのだから、巨大昆虫を殺し、ニンゲンの意図を頓挫させ続けなければならないとの相容れない思想の持ち主だった。
ビオトープによる地球環境の改善という視点は、一つ前の「竜」(こちらは”予防”を是としていた)と繋がるものの、生態系の描写に紙幅が費やされ、相容れない雄の思想を「狂ってる」と断ずるのも含めて、ストーリーは単線ではあった。

ソイルメーカーは、形だけで言えば巨大な昆虫のようなものだ。大きな四枚の羽に六本の脚のある幅広の胴体。小さな頭にはシダの葉のような触角がある。けれど似ているのはそこまでだ。胴体の背中側一面に生えている共生樹はまるで森のようだったし、胴体を貫く共生樹の根は、何百本もの気根になって胴体の下に伸びている。

P402

16.矢野アロウ「砂を渡る男」

アルジェリアの砂漠を舞台にした開発経済モノで、「地球」というテーマで上手く異国情緒を演出している。かつてのダイヤモンドラッシュ(発見はされず)で息子と生き別れた主人公が、「砂の中の二酸化ケイ素から効率よく太陽光パネル用のシリコンを精製する手法を開発した」ことによって独裁者が目論む売電利権に巻き込まれる。魔術的な砂嵐を起こして開発予定用地に居座る先住民然とした男は、かつて生き別れた息子であった、という筋。『砂と人類』に着想を得たような砂×経済に、『ワンピース』のクロコダイルの着想が乗って、見た目は『ストⅡ』のダルシムではある。ラストの描写がやや駆け足で散らかっているが、短編として適度なSFだった。

あの日、サイディは息子のリヤドと一緒だった。機織りに夢中なリヤドに我慢ならず、強くなってほしくてサハラに連れ出したのだ。サイディにとって織物は女が代々受け継ぐもので、男がすべき仕事ではなかった・・・

P436

しかし、サイディの目を捉えたのはダイヤではなく、薄汚れた布切れのほうだった。それは彼の家に代々伝わる織物の模様に違いなかった。サイディの母から妻に伝わり、息子のおくるみにも使った布だ・・・

P447

17.塩崎ツトム「安息日の主」

「ロハスでサステナブルな生活」が戒律となり、「付加価値」を生み出すために効率を度外視した実践が聖職者によって行われる世界における医療について。聖職者が「患者の身体を徒に傷つけたり、わざと病の根治を避けるなど」といった命令をしたときに、「ヒポクラテスの誓い」(はこの時代まで形を変えずに生き残っているらしい)との抵触に医療者はどのように折り合いを付けるのかがメインテーマ。
そのサブテーマとして、中世ファンタジー的な世界観に突然「サステナブル」やアーリーアダプター、フリーライダー、FIREなどの軽薄な経済用語が挿入される違和感を上手く面白みに変えている。

<シリーウォーク>とは運ぶ貨物の「付加価値」を高めるための儀式的な歩行で、・・・足の大きな振り上げや足踏み、三歩進んで四歩下がるなどの所作を何度も何度も繰り返し、一歩ごとに万物に対する感謝を込め、その祈りにより「付加価値」が生産されるという。

P463

18.日高トモキチ「壺中天」

地球の裏側にはメビウスの輪のように表面と連続した世界が拡がっていることを若手研究者の学会発表に寄せて提示する。やがて時間の止まった裏側世界を通じて、タイムトラベルできることが明らかになり、それを悪用したのがクラインの壺の発見者クラインであった。彼は論的のポアンカレを裏側世界に幽閉し、自らの解けなかったポアンカレ予想が解かれる様を目撃させて復讐するが、それはポアンカレにとって単なる歓びだった。最後にクラインの発見し独占した裏側世界への結節点は、すでに1世紀以上前にライプニッツにより発見されていたことがあきらかになり、学会の議長役を務めていたライプニッツがクラインの悪用を誅すために、裏側世界へ彼を閉じ込めることにする・・・という筋。クラインの関係者及びシンパたちは彼が悪役にされたことにクレームを付けそうだがそれはそれ。

「まったく、無茶をする」
いつになく楽しげな声で応じたのは、瓦礫の上に胡座をかいた議長ゴットフリート・Rその人である。
「この時空の座標自体にダメージを与えて来たな。なるほどクライン君は正気ではない。先に我々が防禦空間を展開しておいたのにこの始末だ」
 「ちょっと、あなた達」
花壇の中から、呉月桃博士がこれも不機嫌そうに立ち上がった。
「なんかぜんぶ想定内みたいな顔しているの不愉快なんだけど。知らなかったの私だけ?」

P504

19.林 譲治「我が谷は紅なりき」

火星に移住した人々が団体ごとに部族を作った世界。ヒ一族という『産霊山秘録』を思わせるネーミングの部族は原子力エネルギーを掌握することで40以上の部族を統合し覇権を得た。そして人口問題を解決するため、”禁星”(地球)への帰還を計画する。一足飛びに数十年の時が経過し、海洋を失った地球への帰還、都市の形成、そして彼らにとって毒である「酸素」の復活の兆し、地下世界に逃れていた地球人の末裔との交戦などが語られるスケールは『三体』的でもあり、また『産霊山秘録』的でもある、歴史小説として読めた。

ヒロノは本人の遺言により、橋頭宮近くの渓谷に埋葬された。葬儀の日は、前日の砂嵐もおさまった穏やかな天候で、酸化鉄の赤い砂が朝日を浴び、鮮血のような美しい紅に染まっていたという。

P536

20.空木春宵「バルトアンデルスの音楽」

『2084年のSF』における『R__ R__』が非常によかった記憶を元に読み進めると、こちらも非常によかった。前作はディヴィッド・ボウイのタイトルを並べていたようだが、今回もルビを検索にかけるとロックンロール関係のタイトルがヒットする。もともとついていく気もないのだが、雰囲気を楽しむ。そしてタイトルに触発された展開も奮っている。地下へとボウリングを進めると、ある帯域で「地球の音」が聞こえる。採掘した道楽者の金持ちはその場所でフェスを開催し、人々は熱狂する。「地球の音」がカネになると気づいた人々は、各地で大地を掘削する。地中の音をナマのまま地表に伝えるため、筋肉などの生体によって築かれた「花」という伝送管が乱立する。やがて「地球の音」を楽しんだ人々の概日リズム(24時間±αに設定されたヒトの体内時計)が短くなり続け、ついには短日化した人々の身体の一部が楽器化する。クライマックスでは楽器化した人々は羽を生やして空を舞う・・・
人の意志を介在させず、自然現象・物理法則・生体反応に基づいて進展し、訪れる予想だにしない破局を丹念に追っていくプロセスが楽しく、また客体化した人々が快楽をむさぼって破局へと歯止めがきかない様には恐ろしさがある。バラバラだった人々がシンクロしていく過程には、例えば「合唱」のような心地よさではなく、財もサービスも均一化していくことへの反逆が込められている。そしてラストシーンも音楽で締められる。テーマ作として意欲があってよかった。

「この身体になってみて、よく判りました。わたし達は繋がっているんです。同期し、共鳴し、同調し、個であることを超えて調和されているんです。愛と平和に満ちた世界が来るのです。それが体感的に知覚できるのです。素晴らしいですよ」
・・・
「ああ。確かに最初は面白いと思ったさ。だがそれは、あれが混沌としたメチャクチャなものだと思ってたからだ。いつだって、既存の概念を壊していくものは面白い。けど--違った。規則を持った音に過ぎないなら、そんなものは面白くも何ともない。作為がなく、飛躍がなく、皆をぶっ飛ばしてやろうっていう気概がない。そんなもんは--音楽じゃない。だから、化けの皮を剥いでやりたかった。・・・」

P563-564

21.菅 浩江「キング 《博物館惑星》余話」

「既存宇宙のすべての美を集め、保存や展示、研究をおこなう博物館苑惑星」へ、子どもの頃「王」になりたかったが、成長するにつれ慣れないことに気づき労働に従事するが、ストレス診断に引っかかったために休暇に向かった主人公は、ここでもイマイチ乗り切れなかったものの、ガイドロボットに地元感たっぷりに案内されることで回復する。そしてガイドロボットの操縦士が実は地球に居たままで、博物館苑惑星には来たことすらなかったことを知ると、主人公は彼こそが「キング」の精神を持っていると尊敬するのだった。舞台が惑星になっているのでSFだが、物語の構造としては貴種流離譚というか、都市と田舎というか、魂の救済の物語ではある。

彼にガイドを頼んでよかった。
彼といると、ぼくは美術品を見に来たお客さんではなく、ここに住んでるかのように感じることができる。地球ではあんなに居場所がない感覚だったのに、最初はここでも余所者のような疎外感があったのに、キングのお蔭で自分がいてもいい場所に溶け込んでいるように思える。自分が踏んでいるタイルの歩道が、ぼくが立っていることを許してくれているのを、ずっと感じ続けたかった。

P582

22.円城 塔「独我地理学」

地球は平らなのか球体なのかを思索するサザと、春に飛ぶ綿毛を観察し微少な蜘蛛の糸であることを知るスタンは、世界を高く上って観測する視点が複数在れば、その視点が認識しいずれかが崩壊するという仮説にたどり着く。途中までは判るのだがキー概念が出た瞬間に意味不明になる円城節が健在だった。とにかく人が空を飛ぶようになると、「サザの仮説」は顕在化するので、現代がどうなっているのか、読者は放り投げられて終わる、という作品が巻末に収められているという編集であった。

どこかからの「預かり物」として扱われている。
サザが同時代に二人出現したことはなかったために、スタンはサザと呼ばれなかった。

P602

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