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"まち" を形づくるもの

廖 怡鈞(リョウ イ キン)
92年桃園生まれ。2010年國立政治大學 外国語文学部 日本語学科に入学(新聞学科も同時専攻)。14年から同志社大学へ留学。帰国後は大学へ通いながら、まちづくりNPOの職員に。16年に退職し、上智大学大学院で地域におけるメディアの役割について研究をはじめる。現在、修士課程。本屋で出会った友だち。


まちを多角的に見る

加藤(以下、か): リョウさんとは本屋ではじめて会ったんだよね。そのとき、台湾のハンドサインを教えてもらって、かっこいいなと思いました。今日はリョウさんのこれまでのことや研究について聞きたいなと思います。よろしくお願いします!

リョウ(以下、リ): ちょっと緊張(笑) よろしくお願いします。

か: まず、リョウさんが日本に興味をもったきっかけって何だったんですか?

リ: これがね~漫画やアニメなんです。

か: それは意外。 リョウさんとはデザインの話をよくしてるから。

リ: 中学生のときは『銀魂』や『ハチミツとクローバー』、『涼宮ハルヒの憂鬱』など幅広くみていました。それに、アニソンの歌手グループ「JAM project」が大好きで、彼らのライブには何回も行ったなあ~。思い返せば、ライブでのできごとが日本語を勉強しようと決めた原点だったと思います。

か: と言いますと?

リ: ライブのMCで何が話されているのか、わからなかったんです。「あなたたちは何を言っているの? 知りたい!」と思って。

か: すてきな動機ですね。

リ: 高校へ入ると、関心は漫画やアニメから日本の建築やデザインへ向かいました。ちょうど私が中学生のときに、台湾にはじめて無印良品のお店ができたんです。そこから日本のデザインを紹介する雑誌が目立つようになって、よく読んでいました。

か: なんていう雑誌ですか?

リ:『Shopping Design』というデザイン誌で、「日本でデザインを学ぶならどの大学に行くか」とか「日本で見たい建築100」みたいな特集もあったんですよ。当時の私は、雑誌を眺めながら日本という国について「なんて美しいものをつくる国なんだろう」「なぜこんなに美しいものをつくれるのだろう」と思っていました。

か: それで大学では日本語学科を専攻したんですね。ちなみに「なぜこんなに美しいものをつくれるのか」という問いの答えは見つかりましたか?

リ: ん~~~。国民性から説明することも可能ですが、そういう理由づけはしたくないなと思っています。「台湾人だから~」「日本人だから~」じゃなくて「あの人だから」という説明はできます。今の私にとって、その問いは問いにならなくなりました。

か: うん、うん。

リ: 夏海さんには話したことがあると思うけど、2年前の私は東京で暮らすことにかなり抵抗感がありました。そのときの「東京」のイメージは、わけがわからないくらい人がいて、まちを歩く人のスピードが速い新宿や渋谷、池袋のような場所を思い浮かべていたんですね。でも、東京には下町の情緒が残された谷根千や、下北沢や高円寺のようなサブカルチャーが盛んなまちもありますよね。つまり、東京は実に語り切れないほどいろんな側面を持っている。その固定されたイメージがないということこそ、東京の魅力だと、ようやくわかりました。

か: そうですね。 このインタビューも高円寺でやっていますが、すてきな場所ですよね。

リ: それはもちろん、そこに住む人たちも。夏海さんと出会った下北沢の本屋にはいろいろな生き方の人がいますよね。大学を出て就職して、結婚をして、子どもを産んでという「ふつう」だと思われる人生とは違う人が。人には、まちには、さらに国にも一言で言いあらわせないものがあります。

か: リョウさんはそうした多様で、複雑なまちや人の生き方に魅力を感じているんですね。

リ: そうです。だから、「台湾だからああだ」「日本だからこうだ」など、場所にかんするイメージの話にはいつも反論しています。

特別なまち

か: 東京の話が出ましたけど、はじめて留学で日本に来たときは京都に住んでいたんですね。

リ: そうです。どうしても京都に行きたくて(笑) 他の外国人もそうだと思いますが、京都には日本の古くて美しい文化が詰まっていますから。私の大学の交換留学制度は成績の高い人から行き先を決められたので、がんばっていい成績を取ってなんとか同志社に留学しました。

か: やっぱり京都は特別なんですね。

リ: まちがコンパクトだし、家賃も安く、癒される場所がたくさんあります。住んでいた寮が鴨川から3分ほどの場所にあって、よく川を眺めていました。一方で、人間関係に疲れてしまったのも京都なんです…。

か: え。それって聞いてもいいですか。

リ: いいですよ。えーと、留学中にサークルに入っていたんですが、一緒に入った友だちはかわいくて明るい子で。それでたまに自分だけが無視されてしまったり、話を聞いてもらえない"空気"になってしまったんです。

か: うお~~~。

リ: 日本には「空気を読む」習慣がある、ということは知っていたのですが、まさにこれかと思いました。

か: 台湾の学校生活ではこうしたことはなかったんですか?

リ: わたしが学生だった頃は、全くなかったですね。同じ趣味の人同士でグループになることはありましたが、グループ間でも交流がありましたし、いじめなどもなかったです。

か: なるほど〜。リョウさんが留学中に体験したことの重大さを理解しました。

リ: そんな感じでヘトヘトになっていたときに、京都の本屋・恵文社で「せとうち暮らし」というフリーペーパーを手に取りました。そこで瀬戸内国際芸術祭が紹介されていて、行ってみようとなりました。それもまた私にとって大切な旅になったんです。

か: うん、うん。

リ: 直島・小豆島・豊島などへ行ったのですが、道を歩いているといろいろな人に声をかけられて、立ち止まって話す。そしてまた歩き出す、というくり返しでした。そのなかでも、特に印象的だったのが豊島でのこと。当時は豊島には飲食店もほとんどなく、売店も15時になると店が閉まっていたんです。あらかじめ買っておいた食パンを食べようかなと宿泊先の民泊でぼーっとしていたら、同じ宿に泊まっていた女子大生が「一緒に魚焼きませんか?」と誘ってくれて。彼女は大学の研究で1か月近く豊島に泊まっていたそうで、豊島の村社会についていろいろと教えてくれました。

か: そういう偶然の出会いってうれしいですよね。

リ: はい。そうやって話しているうちに、京都での人間関係のしんどさについても相談したりして…。さっき会ったばかりなのにとても深い話ができたんです。「こんなにいい人もいるんだな」と思うと同時に、もう自分と気の合う人とつき合えばいいんだ、といい諦めがつきました。ちゃんと自分のことを認めよう、自分のままで行こうと。

か: おお!

リ:それから、小豆島では「せとうち暮らし」の編集の方にお会いできたんです。

か: それはうれしいですね。

リ: さらにその編集の方が編集長につないでくれて、2回目の訪問時には編集長ともお話しすることができました。そこから少しずつ仕事をお手伝いしたりなどして…。そういう人のつながりに感動しましたね。

か: 瀬戸内はまちがもつ魅力を教えてくれた場所だったんですね。

"まちの思想"をつくるもの

か: 台湾に帰ってきてからは、大学に通いながらまちづくりのNPOで働いていたんですよね。

リ: そうです。私が所属していたNPOは行政や大学などの研究機関、市民などの間に入って、都市開発やまちづくりを進めるという団体でした。職員の多くは都市計画などを専門にした大学院卒の人ばかりで、学部卒は私だけだったんです。

か: へえ~~~かなり高度な知識を求められる場所だったんですね。

リ: そうですね。レベルの高い専門家ばかりがいる職場だったので、学部卒の私ではできないことも多く…。職場における自分の身の置き場に悩んでいました。そのときに、たまたま友人が日本の大学院を目ざすと言いだして、「それはいいな」と思って勉強して大学院に入りました。

か: 大学院では地域におけるメディアの研究をしているんですよね。以前にもお話を聞いて、すごくおもしろいな~と思いました。この研究をはじめるきっかけは何だったのですか?

リ: 出発点は、さっき話に出た「せとうち暮らし」などの存在です。日本には地方紙やラジオ以外にも地域情報を扱うさまざまな紙やウェブのメディアが存在しますよね。そうしたローカルメディアがどのように地域に貢献しているのかを論じている人がほとんどいなかったので、書きたいと思いました。もう一つは、自分自身が地域に貢献できることはなんだろうと考えたときに、「書く」という能力で貢献できるなと思っていたんです。

か: なるほど。リョウさん自身がまちに貢献するためにも必要な研究だったんですね。

リ: 先生からも「リョウさんの研究はリョウさんの人生だから」と言われています。

か: わ~~~すてきです。

リ: ただ、研究をはじめてすぐに「メディア」の定義に苦しみました。

か: そうですよね~。

リ:「メディア」とは媒介するものですが、地域において何を媒介しているかというと、その地域の歴史や文化、風土などを含めた"まちの思想"のようなもの。で、それは実媒体だけではなく図書館などの空間や祭りなどのイベントも形づくっているのではないかと思ったんです。

か:ふむふむ。メディアというものは、紙やウェブなどの実媒体だけではないと。

リ:そうです。 現時点で "まちの思想"をつくっているものは、紙やウェブなどの実媒体、祭りやイベントなどの活動、空間(公共空間や店舗)、人的ネットワークのようなものだと考えています。すべてが動的なもの、運動のようなもので、これらが"まちの思想"を拡散し、共有しているのではないかと。

か:へ~~~おもしろい! リョウさんと半年前くらいに研究の話をしたときは、これほど分析が進んでいなかったように記憶しています。どうしてここまで分析できたんですか。

リ: 一つのきっかけとして、HAGISOでのできごとがあって。

か: 谷中にあるカフェですよね。この前お邪魔しました。 

リ: 1970~90年代の谷根千では地域雑誌『谷中・根津・千駄木』が発行されていました。これらの地域は行政区画でいうと台東区と文京区が入り組んだまちなんです。行政区によって図書館や公民館の配置が決まるので、根津(文京区)に住んでいても文京区の図書館よりも谷中(台東区)の図書館が近かったりする。実際の生活感からもう一度地域を取り戻そうとしてできたのが地域雑誌『谷中・根津・千駄木』だったんです。その雑誌の編集者である森まゆみさんは市民活動家でもあり、今でもこの地域にとって重要な人物なんですね。

か: はい。

リ: で、HAGISOは2013年にできたカフェなのですが、彼女のような人ととのつながりを大切にしていて。2018年の6月からは「まちの教室」というプロジェクトをやっていて、そこに彼女を招き月2回連続3か月で谷根千の歴史を教えてもらうというレクチャーをしました。

か: おもしろそう!

リ: レクチャーには地元の多くの人が参加して、地域内で進行している再開発などを中心に活発に議論がされていました。私はそうした人の姿を見て、この場がまさに「メディアだな」と思ったんです。

か: リョウさんの実体験にもとづいて、さっきの分析が進んだんですね。

リ:「せとうち暮らし」などの実媒体への興味からはじまった研究でしたが、掘り下げてみると活動や空間、人的ネットワークなどの重要性に気づかされましたね。

か:さっき「リョウさんの研究はリョウさんの人生だから」という先生の言葉もありましたが、この研究を終えるときには、リョウさんのこれからの方向性がわかるんでしょうか。

リ:ん~わからないですね~。

か:あ、困ってる(笑)

リ: 研究が終わったあとのことはわかりませんが、私にとって"まち"という概念はかけがえのないものなのだと思います。今日、夏海さんと話していても、私がまちの話ばかりしているなと思って、改めて自覚しました(笑)

か: 書いていくなかで新しい問いに出会うかもしれませんしね。

リ: そうだといいな。

か: 読者としては、リョウさんの論文の完成をとても楽しみにしています! 今日は長い時間おつきあいいただいて、ありがとうございました。これからも、リョウさんと色んなまちへ行きたいです!

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