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京城軌道の、おはなし。

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-경성궤도의 이야기- 日本統治時代の京城、解放後のソウル、その街に、ひとつの私鉄が走っていました。時代の波に揉まれ、消えていった鉄路が残した「ものがたり」です。
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京城の電車ゆめ語り -京城軌道- 1

京城の電車ゆめ語り -京城軌道- 1

 ソウルの街を縦横に駆け巡る地下鉄、郊外へひた走る電鉄。いまのソウル都市圏は世界トップレベルの電車ネットワークを誇る街。そんなソウルにも、昔、市内電車が走っていました。

 ソウル(いや当時は漢陽の時代ですね)の市内電車は、朝鮮王朝(大韓帝国)時代の1898年に王室とアメリカ資本との共同出資で設立された電気会社「韓美電気」によって企画され、翌年4月に西大門−鍾路−東大門−清凉里間で開業と、かなり早

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7年ぶりの訪韓ドタバタ劇【13】高速電車からまた昔の電車へ

7年ぶりの訪韓ドタバタ劇【13】高速電車からまた昔の電車へ

 長々と続けているのに未だ3泊4日の2日目夜の話をしているこのシリーズですが、まだまだ2日目の夜の話を…

 しかし、地下鉄に乗っていたのに何故また地上に出ているのか。まだ東大門どころか往十里でもないのに…

 ソウルスp(ソウルの森)の放送に、つい吸い出されてしまったココは、聖水洞の南東端。おおお見えているのはSMエンタの本社が移ってきた「アクロソウルフォレスト」かぁ…と7年ぶりの聖水洞に感慨し

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7年ぶりの訪韓ドタバタ劇【7】Oh...東大門、トンデムンよ...

7年ぶりの訪韓ドタバタ劇【7】Oh...東大門、トンデムンよ...

 仁川空港に14時半に着陸し、あっちやらこっちやらアソコの裏側とか色々と巡っていて遅くなった「ソウル中心市街」入り…

 いろいろあって7年ぶりの渡韓初日の東大門到着が22時過ぎという…

 コロナ禍前だと22時を過ぎた東大門ファッションビルエリア/DDP周辺なんかは「これから買い物して夜中まで遊ぶぞ~!」な観光客がそぞろ歩いていたのに、本当に「ほとんど居ない」のですね…

 DDPのUFO建築も

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7年ぶりの訪韓ドタバタ劇【6】駅を、想う。

7年ぶりの訪韓ドタバタ劇【6】駅を、想う。

 電車に、橋に、いろいろと昔を想いながら歩いてきた7年ぶりのソウルの街。

 ここからは改めて「電車」を想いに、歩を進めます。とはいえ疲れたのと日没かつ夜も更けてきたのでバスに…

 やってきたのは華陽洞、ソウル東部の住宅街&学生街。ごくごく普通の、韓国のまち。

 往十里から巡ってきたちいさな私鉄電車は、ここを通って漢江の広津まで向かっていました。その痕跡を探しに…

 今の建国大学の「うら」を

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京城の電車ゆめ語り -京城軌道- 3

京城の電車ゆめ語り -京城軌道- 3

 日本統治下で賑わうソウル、いや京城の街。日本人が続々と入植してゆく、京城の近郊。朝鮮時代から内陸水運の河川港として、また渡し場として賑わっていた纛島のまちも、生活の近代化や物流の増加など京城近郊の拠点として重要度はますます高まっていったようです。

 そんな中、大きな転機となる事象がありました。

 1925年7月、京城近郊は大雨に見舞われます。4日降り続いた豪雨により漢江沿岸の集落や施設は大き

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京城の電車ゆめ語り -京城軌道- 2

京城の電車ゆめ語り -京城軌道- 2

 ソウルの、いや京城のまちの電車ものがたりなどをつらつらと「ゆめ語り」しているのですが、初回からの続きをば…
初回記事はコチラに https://note.com/ktnh/n/n672fd69269da

 さて、ソウルが京城と呼ばれていたころの街は、今のソウルより、ずっとコンパクトでした。
 朝鮮王朝時代の首都だった「漢陽府」はヨーロッパや中国に多い城郭都市で、西大門・南大門・東大門、そして街

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