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「頼りたいけれど、頼る人がいない」のは実際そうだと思う

■ 周囲が心配しても、何とか一人でできてしまう


「何か困ったことがあったら相談してね」
「一人で問題を抱え込むのは良くないよ」

周囲からこのような声をかけてもらった人は多いと思う。

しかし、実際に相談する人はどのくらいいるのか?
大抵の場合、相談しないまま一人で問題を抱え込んで、一人で何とかしようとするのではないか?

このような状態を受けて、周囲は声を掛けた手前もあって「何も言ってこないけれど、大丈夫だろうか?」と心配する。

しかし、そんな周囲の心配をよそに、人間は意外に一人で問題に取り組んで、一人で何とかできてしまう。

物事は時間をかければ何とかなるし、悩みごとも経験や年齢を重ねるほどに「何であんなことで悩んでいたんだろう」と思うもの。それどころか、悩みが大きかったことほど、だんだん手の抜き方を覚えていく。


■ 相談してこないのは、相談するに値しないと思われているから


しかし、そこまでの過程で相談しようとしなかったわけでもないし、一人で問題を抱えたいと思っていたわけでもない、という事実もある。

それは、相談しようと思っていたが、周囲だって忙しいからと気兼ねしたり、「相談して変だと思われたらどうしよう」という心配だってある。あるいは何をどう相談して良いのか分からないということもある。

その結果として、一人で何とかしようとすることになる。これは誰もが何となく分かる話だと思う。

しかし、誰にも相談せず、一人で抱え込んでしまう理由として、もっと根深く辛辣なことも考えられる。

それは「何かあったら相談してね」と言ってきた相手が、自分にとって相談できるに値する人と認識していないから、という理由だ。

何やら上から目線であるが、この理由に同意される方もいるだろう。

例えば、「何かあったら相談してね」と言った人に相談しようとしたところ、いつも忙しそうにしていたり、相談したいタイミングでその場にいないことがあると、いつまでも相談しようがない。
こんな状態だと「悪いけれど、この人は相談相手にはならない」という認識になってしまっても仕方がないと思う。

もちろん、現代ではスマホやらアプリやらでつながることもできるが、それだって結局は相手のタイミングに合わせてのことになる。また、顔が見えずに口頭やテキストベースだと誤解を招くこともある。


■ 相手が頼りがいがないと、頼ろうと思わない


少し似たような話として「もっと頼ってほしい」「周囲に頼ったほうが良いよ」という人たちもいる。これは良い顔をしたいわけではなく、善意や1つの人生指南として伝えてくれていることも分かる。

しかし、これもまた辛辣なことを言うようだが、そのように言ってきた相手が実際に頼るに値するかと言えば「うーん」となることがある。

善意や指南としてはありがたいし、頼れるものなら頼りたい。しかし、そこでポイントになるのは、悩みや課題を抱えている側から見て、その人が本当に頼れる存在かどうかではないか。

いくら頼りたくても、上記のように常に忙しそうだったり、過去に頼ろうとしたら予定やスキルなどの要因から断られたり、あるいは自分が大変だったときに口だけで傍観してきたり・・・という背景や経緯があれば、いくら相手が手を差し伸べようともノーセンキューとなってしまう。

その結果、誰にも頼らずに何とかしようという人が誕生してしまう。
しかし、それはそれで良いのではないかと思う。見方を変えれば、自立しているとも言えるし、人間は結局のところ孤独であるという話にも行き着く。


■ 孤独により生まれるサバイバル精神


誤解ないように言うと、自立とは「誰にも頼らない」ということではないという点はご理解いただきたい。自分のできる・できないを分かったうえで、できないことを周囲や社会資源に依頼することは大切だ。

その一方で、何とかできそうことは、現状で出せる力と知恵でやり遂げる努力だって大切だ。

他人の手を借りれないと分かったら「仕方ない、ここは自分の力で何とかするしかない」という覚悟が生まれる。そこで培われるサバイバル精神だってあると思う。

ちなみに私は「何かあったら相談して」「もっと頼っていいんだよ」とは言わない。それは自分自身に置き換えたとき、果たして自分は相談相手として、または頼れる存在として十分かと考えるからだ。

もちろん、困っている人や困っている様子の人を、完全に突き放すつもりはない。仕事において私が助言できることならば「●●については随時相談してほしい」と言うし、自分の立場やスキルとして手を貸せないことは「✕✕については、△△さんへ問い合わせしてみて」という道しるべは示す。

また、「午前中はつながりにくいけど、夕方になれば話せるから」とか「明日の午後に話をする時間を作るから、そのときまでに課題点があればまとめておいて」と伝えておく。

頼られる存在になるならば、完全でなくてもいいから、頼られるための受け入れ体制を提示することだって大切だ。


――― 何だか自分勝手な話だが、私は自分でそこまで有能ではないと思っているし、とうぜん完全な人間ではないことも知っている。一方で、人間は一人で生きているわけでないということも理解している。

だから「あの人は誰にも頼らない」「いつも一人で仕事をしているけれど大丈夫か」などと思うことはあるが、それは「もしかしたら、自分が頼れる存在だと提示しきれていないかも」と思うようにもしている。

何だか面倒くさい話であるが、相談するのも頼るのも、双方の受け入れ窓口が解放され、それぞれがマッチングがあってこそではないだろうか。

ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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