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介護の「タダ働き」を当たり前にしてはいけない。過重労働・低賃金などの要因になってしまう。

■ 「何でもしてくれる」の勘違いは、介護者側にも問題がある


先日の記事にて、社会が「介護施設は何でもしてくれる」という誤った認識についてお伝えしてみた。

要は、「社会は介護に期待しすぎ」という話である。

だからと言って、社会の介護に対する認識だけが全ての問題であると言いたいわけではない。

介護の過重労働が問題となっており、それが人手不足を誘発していることは既知のことだが、それは社会が介護に期待し過ぎていることも要因としてあるものの、介護業界および介護従事者にも要因があると思う。

そもそも、介護業界は「タダ働き」を許容しすぎである。
その「タダ働き」が過重労働や低賃金を生んでいることに気づいていない。


■ 書類手続きをタダで依頼する利用者たち


例えば、利用者(高齢者)が役所へ何かしらの手続きを行う必要があるとする。しかし、利用者単独では対応できないうえ、その家族も遠方だったり仕事があったりすると対応できないことはある。

この場合、利用者から「すいません、役所まで付いてきてもらえますか?」「一緒にお話を聞いてもらえますか」と相談されることもある。

これは内容によるが、介護保険サービスを利用することで役所へ同行したり、資産などに関係しない簡易な手続きなら代行で行うこともある。
もちろん、介護保険では適応できない場合、事業所によっては介護保険外サービスだって利用可能なこともある。

しかし、時には利用者やその家族から、
「そちらの都合でいいので、一緒に手続きしてもらえますか?」
「専門の方のほうが確実だと思うので、手続きしたら教えてください」
「(家族から)自分たちは時間がないので、代わりにお願いします」
などと言われることがある。

これは相談や依頼ではない。
結果から見ると「タダでやってください」と言っているのと同じだ。


■ 「タダ働き」に気づいていない介護職員


しかし、ここで問題なのは利用者とその家族ではない。

問題なのは、介護職員が気軽に引き受けてしまうことだ。
それは「タダ働き」である。

もちろん、「今後のサービスを利用してもらうために必要だ」「これも事業所として料金に含んでいる」といった、ビジネスとしての意義や体制があるならば否定はできない。
しかし多くの場合、何の意図もなく「すぐ終わると思うので、やっておきますよ」といった具合に対応してしまいがちだ。

これは介護施設でよく見受けられる。
それは前述のように「介護施設は何でもやってくれる」という社会的な認識が介護職員にも浸透してしまっているためと思われる。

入居者が手続する書類が施設に直接届いたり、行政から施設に手続きについて連絡があったりすると、本人やその家族に確認をしたうえで、施設長や事務員らで手続きをすることが当たり前になっていることもある。

ケアマネージャーも不当な雑務に追われているが、そのケアマネ―ジャーも介護施設に雑務を当たり前のようにお願いすることもある。(まあ、持ちつ持たれつと思えば良いが)

■ 「タダ働き」を続けていると、当たり前に思われてしまう


介護施設は入居者の心身の安寧のため、生活空間と生活支援を提供するのが基本的なサービスなのに、いつの間にか書類手続きといった雑務もサービス内容となっている。

すると、施設側が役所などの手続きを無償でやってあげると、入居者もその家族も「施設でやってくれるのだな」「施設料金に入っているのだな」と勘違いしてしまう。

それは入居者もその家族からすれば、ありがたい話であろう。
施設としても、入居者やその家族のための対応とも思える。

しかし、改めてお伝えすると、介護施設は生活空間と生活支援を提供するのが基本的なサービスである。

介護職の専門性は、”書類代行屋”でもなければ”御用聞き” のためにあるわけでもない。介護サービスを提供するためにあるのだ。

施設料金として料金化されているならば問題ないが、上記のように「料金化されていないけれど、何となく対応してしまっている」ならば見直したほうが良い。

何度も言うが、それは「タダ働き」である。
それは経営という観点からすると「給料を支払っている時間中に生産性のない働き方を積極的にしている」という見解になる。


■ 「タダ働き」の許容が、過重労働と低賃金になっている


経営という言葉を用いると、特に介護現場から「効率性や生産性とか言って、現場のことが分かっていない人の冷酷な言い分だ」などと、多方面から反論を受けるかもしれない。

では、そのようなことをおっしゃる方には、次の質問をしたい。

「そのタダ働きを続けていると、介護現場はもっとキツくなりますよ」
「そのタダ働きを続けても、あなたの給料は上がりませんよ」

・・・さあ、それでも「利用者のため」「ご家族の負担を減らせるなら」などと覚悟があるならば、何も言わない。

しかし、上記のような「料金化されていないけれど、何となく対応してしまっている」ことが介護職は多すぎるように思う。

それは高齢者本人やその家族のプライベートに踏み込んでいるがあまり、仕事としてのメリハリが損なわれてしまうことに要因があるからだろう。


■ メリハリをつけないと、事業所にマイナスを与える


しかし、仕事としてのメリハリが損なわれると、事業としての損失になってしまう。現場もキツくなるし給料も上がらないうえに、さらに所属している事業所にもマイナスを与えることがある。

それは実際、私の運営している介護施設の施設職員の、良かれと思っての「タダ働き」が経費を上げる状況を引き起こした経験があるからだ。

それは、その施設職員が生活援助サービス以外も、やたら洗濯機を回していることに気づいたのでその理由を聞いてみたところ・・・

「●●さん(入居者)は、他の入居者さんよりも衣類や寝具を汚してしまいます。でも、ご家族はお金に困っていると聞いたので、私が時間を見つけてサービス以外で洗濯をしているんです」

・・・とのことだった。

衣類や寝具の汚れに気づき、それに対応することは良いことだ。
ご家族の経済状況に配慮することも重要だ。

では、介護施設の運営としては適切であろうか?
洗濯機を回すことで電気代や水道代だってかかる。
洗濯物を干すならば、そのスペースだってある意味で場所代である。

そもそも、その対応をする施設職員としては、自分の空いている時間で対応しているから問題ないという認識だろうが、前述のとおり、業務時間中は生産性をもった労働が基本である。

もしも、業務時間中に生産性ない「タダ働き」を積極的にするというならば、それは事業運営として問題であろう。


■ 最後に


別に何でもかんでも料金化することを推奨しているわけではない。
私だってやむを得ず無償対応をすることだってある。

しかし、何でもかんでも「タダ働き」というのは容認できない。
特に「何となくやっているタダ働き」や「利用者がタダでやってもらえると勘違いしている対応」は是正すべきだと思う。

それは引いては、介護現場の過重労働の抑制になったり、適正な料金化によって売り上げにすることは介護職員の賃金改善にもつながる。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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