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「介護施設は何でもしてくれる」といった社会の認識が、介護業界を衰退させる

■ 介護施設は何でもしてくれる・・・わけではない


介護施設は「24時間、何でも対応してくれる」という認識を社会から抱かれやすい。

それは施設見学や入所契約などの説明の場面、入所後のご家族とのやり取りの中で実感することである。

もちろん事前に説明と同意はする。これは介護に限らず、説明責任と同意はどんな事業であっても現代では必須だ。

しかし、いくら説明しても、同意を得ていても、それらを幾度も行っても、いざその場面になると「そういう話だとは思わなかった」と言われることもある。


■ 介護施設が「できないこと」


例えば、入居者が急変して手術や入院を要するとき、ご家族から「判断や手続きは施設さんにお任せします」と言われることがある。

それはおそらく、介護施設ならば適切な判断ができるという信頼であろう。また、自分たちの生活で手一杯だからという状況もあるし、そもそも自分の親に関わりたくないといった隠れた事情もあるだろう。

しかし、入居者の治療・手術・入院といった判断や手続きは、原則として介護施設はできない。ご本人やご家族、あるいは法的に認められた代理人が行うべきものだ。

これは原則としての話であり、医療機関も交えた事前協議に沿って、介護施設が一部を対応することもある。しかし、決して推奨されるものではないし、その対応範囲も限度があるとご理解いただきたい。

介護施設は生活環境と生活支援を提供する役割であるが、治療や延命などの生命に関する判断はその役割を超えている。

介護施設側で「入居者の生命に関わることなので、何かあっても当施設で責任をもつので治療して下さい!」と言うのは、人道的に良くても越権行為である。

だからこそ、介護施設あるいは介護サービス事業所は、契約前に「できること」「できないこと」を説明するのだ。

サービスを提供する側は「何でもできますよ」と安易に言わないのはもちろん、サービスを受ける側も「何でも任せられる」「任せれば問題はなくなる」と思わずに、ちゃんと話を聞いておくことを勧める。


■ トラブルになったとき、責任の所在は誰にあるのか?


それでも「介護施設なのだから、それくらい家族の代わりにやってくれても いいじゃないか」と思われるかもしれない。

では「仮に」施設の責任と判断で手術や入院したとしよう。
しかし、その後に想定外の状態異常が起きたり、大きな後遺症を残したり、最悪として死亡したとなったら・・・その責任は誰にあるのか?

さらに医療機関の明らかなミスによって、結果として上記のようなトラブルになったとしたら・・・「判断した側(施設)」と「直接対応した側(医療)」どちらに責任があるのか?

このような事態になったとして、ご家族は「私たちが施設判断で良いと言ったので、責任は追及しません」となるだろうか?
医療機関は「施設に判断を確認したのはこちらですので、責任は病院側にあります」と施設をかばうだろうか?

・・・それは誰にも分からない。ここまでこじれたら、おそらく裁判沙汰になるだろう。

実際、この手の裁判はケースは違えど起きている。そして、多くの場合は施設に一定の過失が認められる。介護施設は一定の責任(リスク)を被ることになる確率は非常に高い立場にあるのだ。

このようになる背景は、冒頭でもお伝えしたように、社会における介護施設への認識が「何でもやってくれる」となっていることに由来しているからだろう。


■ 理不尽な責任を課せられる業界は衰退する


ただでさえ介護の担い手が不足して、かつ低賃金と言われている介護職。

そんな認識が社会で共有されているのに、その社会が「何でもやってくれる」「何かあったら介護の責任」と考える。

介護の役割を超えた責任まで課そうとする、そんな理不尽さがまかり通るならば、介護の仕事はハイリスク・ノーリターンである。介護の担い手はどんどん減るのもうなずける。

おそらく、正規の役割を超えた責任を課せられやすい業界や業種で、人手不足が生じているのだと思う。

そして、そのような業界は衰退する。少子高齢化や人口減少といった要因もあるだろうが、理不尽な役割や責任を課せられることで、その業界や業種から離れる人もいるのは確かだろう。

また、(本記事では詳細を割愛するが)社会が理不尽に役割を超えた責任を課す状況や風潮こそが、低賃金の問題にも影響していると思う。


■ 「社会の認識」を変える必要性


何が言いたいのかと言うと、本記事において言えば「介護施設は何でもやってくれる」という「社会の認識」を改める必要があるという話だ。

それは介護施設だけでなく、介護サービス事業においても同様だ。

直接の顧客たる利用者・入居者、間接的な顧客のご家族といった生活支援を要する人たちに手を差し伸べるのが介護の基礎だ。

できるかぎりの支援はしてあげたいと思っても、事業所の規模や制度上の対応範囲としても対応に限度はある。
事業所もそれを工夫して何とか対応しようとするが、どこかで線引きしないと、介護職はただの「お手伝いさん」「何でも屋」となってしまう。

それはもはや専門職ではない。すでにケアマネ―ジャーという厳しい関門を突破してきた人たちは、専門性を発揮する以前に御用聞き状態になっている。このような実態を放置すると、どんどん事態は悪化する。

介護保険制度におけるサービス利用であっても、もっとビジネスとして、事業として、専門的スキルを有した集団として、社会は介護という仕事の位置づけを見直す必要があると思う。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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