「労働」と「価値」の本質を考える
■ 「労働」とは何か? 「価値」とは何か?
――― 労働とは何か?
このような問いに「決められた時間に課せられた業務をこなすこと」と答える人は多いと思うが、それは違う。
それは雇用されている労働者の視点であり、労働の本質ではない。
労働とは「価値の生産」および「価値の提供」である。
――― では、価値とは何か?
それは社会全体あるいは個人における「困ったな」「何とならないかな」という課題を解消しようとすることにある。
あるいは社会の一部あるいは個人における「こうなったらいいのにな」という期待(妄想)を実現しようとすることでもある。
それぞれ課題解決や期待の大きさと、それらを求めている母数が大きいほどに価値も高まる。それがいわゆる「需要」と呼ばれるものである。
それに対して「自分ならその問題を解決できる」「その期待に応えられますよ」という人たちがモノ・サービスを生みだして、社会や個人へ提供する。これがビジネスと呼ばれるものになる。
■ 「価値」は身近なところにある
とは言え、大袈裟に考える必要はない。他者の困ってることや期待というのは探せばすぐに見つかる。
例えば私の場合、先日職場で「パソコンに保存していた作業データが見つからない!!」と焦っている職員がいたので、キーボードを借りてフォルダ内検索方法を教えたところ、データはあっさり見つかった。
こんなの大した対応でもないのに、その職員からはとても感謝された。検索の仕方を知っているか知らないだけの話だが、その職員にとっては価値ある対応だったらしい。
ついでに、その職員と一緒にパソコン内のデータ整理を行った。デスクトップ上には作業データのアイコンだらけなうえ、重複データや不要データも多かったからだ。すると「以前よりもデータを探す手間が少なくなった」と明るい顔で言われた。
これも大した対応ではないが、その職員からするとこれまでパソコンのデータ整理なんて概念を学ぶ機会はなく、整理することで効率化が図れるなんて思いもしなかったらしい。
■ 「価値」は誰でも生み出せる
何を言いたいのというと「価値」なんてこの程度の話だということだ。
実際のところ誰でも「価値」は提供できるし、ちょっと調べたり工夫すれば自分の基礎スキルに上乗せする程度でも「価値」を生み出せる。
それが社会か個人による「需要」として形になったときにモノやサービスとして誰かが生産・提供する活動をして、さらにビジネスという形になったときに求められている(だろう)価値を提供する・・・その行為が「労働」なのだ。
しかも、労働として価値を提供する側が思う100%の価値でなくても問題なく、求めている側にとっての最低限の価値で十分なのだ。
本来ならば「価値」の生産や提供、そして「労働」に対して過度に気負う必要はないのだ。
それは「価値」も「労働」も、「ちょっとしたお手伝い」であり、それが一時的か継続的な対応になるかの違いくらいである。
■ 「評価して欲しい」という病
しかし、実際のところ労働に対して苦しんでいる人たちは多い。
その1つは賃金が低いという話がある。これは賃金が低いというよりも、どちらかと言えば賃金と労働量が見合わないという不満だと思う。
これはその業界における価格設定や社会全体の価値に対する認識を改める必要があるので、おいそれと変えるとは難しいだろう。
また、労働に対して「評価してほしい」という欲求からも苦しみが生まれていると思われる。個人的な考えだが、これはもう1つの病だと思う。
元来、労働という行為に対して価値を提供し、その対価(お金)を受け取れば話は終わりのはずである。
しかし、多くの人たちは「上司や同僚から評価されたい」「顧客から感謝の言葉がほしい」「世間から注目されたい」といったプラスアルファの対価も要求する傾向にある。
ここまでお伝えしたように「労働」と「価値」のあり方を考えれば、そんなことは不必要なのに、自分の労働や価値の提供に対して「評価されてしかるべきだ」と思うので、それが得られないと不満につながる。
そして、評価されないという孤独な苦しみを抱えていく。
■ 労働に対して過度に期待しない
このような評価されない苦しみから解放されるには、労働という行為に対して過度に期待をしないことが大切だ。
上記でもお伝えしたように、労働とは価値をモノ・サービスなどにより提供する行為であるが、その多くは誰でもできたり、ちょっとした努力で実現できてしまうものばかりだ。
そこに対して「評価してほしい」と懇願するよりも、自分が労働したことにより価値を受け取った相手が満足して、さらに対価(お金)をもらえることができればラッキーくらいに思えばいい。
「労働=評価されるもの」なんて考えていると苦しくなってしまう。あくまで「労働=価値の生産・提供」とドライに考えたほうが健全だ。
――― 仕事でメンタルを病んでしまう人たちが現代では多いようだ。
しかし、私は仕事なんてもっと気楽で良いと思う。
周囲を見渡して困っている人の課題を具体化し、それを自分のスキルとちょっとの努力をもって解決するくらいでいいのだ。
そうして、しだいにそれが料金化していくうちに仕事の責任が湧いていき、よりよい価値を提供することができれば、自然と評価というものがついてくるだけだ。評価なんてポイントを貯めて交換できる景品くらいなものだ。
仕事で評価うんぬんで悩んだり不満を抱いているならば、まずは労働とその価値について振り返ってみてはいかがだろう・・・。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。
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