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「マウントをとる」という愚かさ、勉強して視野を広げる意義

■ 「マウントをとる」は高齢者虐待の予兆


最近、介護職員の勤務状態を眺めながら、高齢者虐待の兆しを考えることが増えた。それは何気ない言葉遣いや態度、介助中の声掛けなど、介護従事者にとっては普通の感覚でも、高齢者にとっては自尊心を傷つける恐れがあるからだ。それは認知症において症状を悪化させることにもつながる。

主に何を軸にして眺めているのかというと、介護職員が高齢者に対して「上から目線」になっていないかを見ている。

と言うのも、そもそも介護を要する高齢者は社会的弱者という位置づけをされている。実際、老化や疾患等により心身状態は衰えるため、生活面においては一定の支援を要するようになる。

このような高齢者を弱者と見なすのかは別として、高齢者を直接支援する介護者は、無意識に高齢者を弱者と決めつけてしまうことはある。

ここで相手が弱者だから「より慈愛の心で接しよう」「丁寧な介護を行おう」と思うのか、相手が弱者だから「自分のほうが立場が上だ」「介護をしてやっているんだ」と思うのかで話は変わる。

あくまで主観であるが、介護者とは、大なり小なり後者の感情を抱いていると思う。だからと言って、それを表面に出す介護者はほとんどいない。
しかし、どこかで弱者に対する認識を改めないと、介護者はいつしか介護を要する高齢者に対してマウントをとるようになる。それが高齢者虐待につながるという点に注意したほうが良いと思う。

そのような傾向を見逃さないように、監視的ではあるが、私は身近な介護職員の動向を注視している。


■ 「マウントをとる」は支配欲の1つ


高齢者に対してマウントをとる、なんて言うと馬鹿みたいな話だと思う。
しかし、実際問題、介護を仕事としているプロフェッショナルであっても、そのような傾向を臭わせる介護従事者はいる。

それは、介護を仕事にしているとか、プロフェショナルとかいう以前に、人間には大なり小なりの「支配欲」が備わっているからだと思う。

このように書くと、「自分には支配欲なんてない」と反論する方がいると思う。しかし、そのような方であっても、おそらく他人と比較することはあるはずだ。

他人と比較するということは、他人と自分のどちらが優れているかを見極めようとしているからだ。そこで自分のほうが少しでも上であると思ったら、安心感や悦びが出るだろう。

もしそのような感情が湧くとしたら、それも1つの支配欲と思ったほうが良い。それは、自分のほうが上でありたいという欲求があるからだ。


■ 自信がないからマウントをとる


では、なぜ人間はマウントをとろうとするのか?
言い換えると、人間は支配欲があるのか?

その理由の1つとして、「自信がないから」ということが挙げられる。
自信がないからマウントをとろうとするのだ。

マウントをとるというと、その当人に優位性があるからと思いがちだが、本当に能力がある人は自分の優位性をアピールしようとしない。なぜかと言うと、そんなことをしなくても周囲は勝手に寄ってくるからだ。

一方、周囲に認められない人は「自分はこんなにすごいんだよ!」とアピールする。そうしないと、周囲は自分のすごさを分かってくれないと思い、焦りと不安が生じて自信を失っていく。

そこで弱者(と思われる人)を見つけると、アピールしなくても優位に立てると思って近づく。それは、弱者のそばにいれば自信を取り戻せると錯覚しているからだ。
そうして、聞いてもいない自慢話をしたり、自分の大変さを大袈裟にしゃべったり、得意なことを見せつける。

つまり、弱者(と思われる人)に対してマウントをとるのは、逆説的な話として、自身のなさの表れであると言える。


■ 視野が狭いからマウントをとる


もう1つの理由として、「視野が狭い」「世間知らず」だからマウントをとるということも挙げられる。やや馬鹿にしたような言い方をすると、「子どもだから」とも言える。

これは自分の置かれた環境だけがすべてになっているため、そこで何とか自分という存在をアピールして、その場で一目置かれた存在になろうとする試みとして、マウントをとろうとするのだ。

これ自体は別に問題ない。群れで生活をする生物としては自然であり、社会という人間が集団で生きるうえにおいても当然の心理である。

しかし、多くの人は誤解しているが、何も今自分がいる環境だけが全てではないし、自分が活動している場所だけで一目置かれる必要はない。

特に現代はありがたいことにインターネットでつながることができ、アイディアひとつでWeb上で一目置かれることことも可能である。
生まれ育った国にこだわらずとも、国外に出ることで自分の能力を重宝してもらえるチャンスだってある。

そう考えると、教室やら職場といった小さい空間で自分という存在をアピールし、「俺ってすごいだろ」とマウントをとっても、周囲は痛い奴としかみなさない。

このような視野が狭く、世間知らずな状態からマウントをとる痛い奴にならないためには、勉強することが1番手っ取り早いと思う。

勉強するとは、今自分が知らないことを知ること、できない分野に取り組むことである。別に完璧に理解できたり、プロ級になる必要はない。

自分自身の視野・幅を広げるために勉強していると、自分が今いる環境だけでマウントをとろうとすることの愚かさに気づくだろう。


――― もう、手近なところでマウントをとるなんてやめよう。
マウントをとるなんて愚かの極みだ。

1日5分でも勉強していると、マウントをとろうとする小さい自分なんて惨めに思えてくる。そのままさらに勉強すれば、マウントなんてとらなくても周囲は認めてくれるようになる。

さらに自己研鑽をしていれば、周囲に認めてもらいたい自分すらも超越できるようになるかもしれない。その状態になれたなら、人間関係における支配欲から解脱できるかもしれない。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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