【介護施設】なぜ利用者にいちいち行き先を聞くのか?
施設運営をしていると、現場に対して色々と気になることが出てくる。
ある程度の運営年数が経過した施設だと、そこで働く施設職員が自らが行っていることに疑問をもたなくなる傾向にあるため、色々と調査をする。
その中で、最近気になって黙って観察していたことがある。
それは施設に入居されている利用者に対する ”声掛け” である。
施設系の介護職員のなかには、次のような声掛けをする者がいる。
「〇〇さーん、どこに行くの?」
これは今まで共用スペースにいた利用者(高齢者)が、ふと立ち上がって歩き始めたとき、それを見た施設職員が声を掛けるのだ。
何だか別に問題ないように見えるが、何人かの施設職員がこの声掛けを頻繁にしているので疑問を抱いた。
個人的には「利用者がどこに行こうが、好きにさせれば良いのでは?」と思っている。
そもそも、介護施設は食事の時間帯など決まっているが、基本的にそれ以外は自由であり、利用者の行動を施設職員が制限するものではない。
しかし、施設職員からすれば不安要素なのだ。
利用者によっては歩行不安定で転倒リスクがある方もいれば、どこに何があるのか分からずに館内を迷い歩く方もいるし、一人でトイレに行って衣類を汚すなどしてしまう方もいる。
これらを施設職員は心配している ――― いや、おそらく「利用者が一人で動いて、面倒事を引き起こしてほしくない」というのが本音だろう。
そこで、なるべく行動を予想したくて、利用者に「どこに行くの?」と確認するわけだ。
しかし、利用者からしたらどうか?
自分が「立つ」「歩く」そのたびに、施設職員が「どこに行くの?」なんて声を掛けられることに対して、「ああ、ここの施設の人たちは自分のことを心配してくれているいい人たちだ」なんて思うだろうか?
――― おそらく、うっとうしいと思うだろう。
―――「好きにさせてほしい」と思うだろう。
――― 人によっては「馬鹿にするな!」と憤慨するかもしれないい。
施設に入所しているとは言え、利用者(高齢者)はそれまで自分の足で歩いて生きてこられた。自由を掴もうと苦労して努力してきた。
それが施設に入った途端、急に制限されるのは不快だと思う。
それなりに施設職員の世話になっていると思っていても、自分が動くたびにいちいち行き先を聞かれるとなると、それは監視や支配をされているように思ってしまっても仕方ないと言える。
もちろん、施設としては転倒リスクなどは考える必要がある。
ご本人は良くても、施設入所を決めたご家族だって安全に暮らして欲しいと思っているものだ。
だからと言って、リスクに対して何でもかんでも制限してしまっては、それこそ何のために生きているのか分からなくなる。
それこそ、自尊心を守るための介護のあり方と矛盾する。
――― またまた個人的なことを言うが、介護施設においては利用者が自力で歩行しているならば、そこまで干渉する必要はないと思う。
黙って遠目で様子を見ているのも、介護のあり方であり技術である。
それを介護では「見守り」と呼ぶ。
心配ばかりして口や手を出すのは、介護のプロとしては未熟だと思う。
相手によっては「黙して見守る」ことも大切だ。
それでも、あるとき転倒することはあるし、施設内で迷ったり(ときには外に出てしまったり)、トイレで排泄を失敗することだってある。
多忙な介護現場においては「面倒事を増やすなよ」と思う気持ちはすごく理解できるし、このような記事を書いている私だって、そのような黒い感情が湧くことはある。
しかし、想定外に起きてしまうトラブルはある。
それに対してスキルをもって粛々と対応するのがプロではないか。
”自由”と”責任”とはよく言うが、高齢者介護においては”自由”と”事故”はセットである。
高齢者の自尊心を守るならば、その先に事故ありきとしての自由を与える寛容さも必要ではないだろうか。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。
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