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復職後、岐路に立っている
燃え尽き症候群で正規の教員を辞めて、臨任講師をやっています。
どうも、けすうよです。
かつては教師として、授業のレベルを高めたり、学級経営の力を研鑽することに楽しみを得ていました。
いつの間にか大好きだった仕事に違和感を持つようになり、無気力になり、なんとか復活し、今に至ります。
これまでは、仕事に生きる人生を過ごしてきました。
仕事のためのセミナー、仕事のための本、時間、すべてそこに注ぎ込んできました。それが、最高に楽しかったからです。
途中、さらに研鑽をするため、大学院へ行きました。
たぶん、異変が起きたのはそのあたりです。
あんまりに突っ走って生きると、孤独になる。
それでは、本当に変えたいものも、変えられない。
人の中心に立つためには、もっと人とつながることもしなければいけない。
そう知ってから、突っ走ることをやめて、調和を大事にするようにした。
ちょうど、働き方改革が叫ばれていた時期。
ぼくは、迷うことなく残業をやめ、土日出勤をやめ、アフター5や週末を充実させ、みんなに笑顔で接し、より一般的な生活?をするようになった。
たしかに友達はたくさんできた。
彼女もできた。
でも、そういう日々が楽しかったのは、少しだけだった。
まず、アフター5にワクワクが存在しなかった。
大好きなソフトボールでも、ワクワクを感じなくなっていった。
そうなってくると、なにもかもに希望が見いだせなくなっていきました。
「なんのために頑張っているかわからない。」
「休んだっていいやろ」
「頑張ってもないのに、うまくいってるの気持ち悪い」
その夏の昼休み。
誰もいない音楽室で「自殺相談SOS」みたいなやつに電話をした。
生きる希望がもてなくなってからは、自分の心の消耗がとってもはやかった。それまで長かったはずの夕焼けが、最後バーッて、一気に終わっていくみたいな感じで。
結局、最後は誰かにうまく頼ることができないまま、ぶっ倒れて、動けなくなってしまった。
そこからは、教育委員会や、管理職、両親との押し問答の日々。
結局、誰の言うことも聞かずに仕事を辞めた。
その選択が合っていたかはわからない。
ただ
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たくさんの子どもたちに出会い、たくさんの愛をもらい、勇気をもらい、そしてまた楽しい毎日を過ごすことができた。
この子たちに会えたんだから、自分の選択は絶対に間違っていなかった。
そして、本題はここからだ。
勇気が出た、元気が出た。
だからと言って、僕はこの世界に対する希望をもったわけではない。
子どもはかわいい。最高だ。
だが、それと自分のワクワクが一致するわけではない。
相変わらず、海外に比べて遅れている教育の中身は変わらない。
未だに学力主義から抜け出せない。いや、抜け出そうとしない。
非認知能力の育成に舵を切れないまま。
業務の精神的搾取が大きい。
みな疲れているにも関わらず、中教審の答えは「残業代増やします」だ。
何年かけて、その答えなんだよ。
結局、何年間も変わらないことを、ずっとやっているっていうか。
まあ、俺が長いこと同じ場所にいれないのもあるけど。
そんな世界で、みんなが求めていることはなんだろうか。
そこで、自分になにができるだろうか。
わかんね。
わかんなすぎて、なえる。
難しいこと。
みんなの困り感に。
自分の能力をぶっつけたい。
ワクワクして突き進みたい。
ただ、それだけ。
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