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あきらめと希望の間を生きる

なにかを変えたいのに



やりたいことがない
(絶対に)欲しいものもない
行きたいとこもない

でも、仕事はしたくない

今一番楽しいことと言えば
全然希望も語らず子どもらと適当に話していること
感性に任せてお金を使って服を買ったり
筋トレして体を作り替えたり


意味もなく

雲の写真をとること。

よくわからんが、頑張ることとか、努力することでたどり着ける世界とか、そういうアーチーチアーチーなものに興味が一切なくなった。



日々、曇天である。


最近は毎日 くも・おじさん


どうやって生きていけばいいかわからない


以前は土日も仕事に行き、暇があれば登山に行き。
とにかく海外に旅行したり、マラソンしたり。

余白を許せない自分がそこにいた。

「努力をすれば自分は変われる!」
「時間を無駄にしてはいけない!」
「俺が教育界を変えてやる!」

みたいなことを思っていた。
絵にかいたようなアーチーチアーチーである。


しかし、そんな毎日が楽しかった。
頑張る自分も誇らしかった。
一人で生きていくことだって何にも怖くなかった。


けど、いつからか


突然、生きていくことにバテた(笑)


この春が一番やばかった。

周囲の助けのおかげで、なんとか平常?に戻ることができた。


でも今でも


できるなら仕事も趣味も休みたい。
平日もずっと寝ていたい。
誰にも邪魔されないでひっそり生きていきたい。


と、熱く熱く願っている。
アーチーチアーチーの方向性が完全に変わった。


だがしかし・・・


それなのに・・・

「どこかでまた火がついて、信じられないくらい生き生きできる自分に戻れるのではないだろうか」


って

あの、コーヒーゼリーについた薄い食べれるフィルムくらい
なんか、うっすらうっすら、心の奥底で思っている自分もいる。


でも、そんな努力は1mmもしていない。


刺激にバテたのに、刺激が欲しい。
なんかの中毒、依存症みたい。

もはや、雲の写真のニーズさえも考えずにUPし続ける


あきらめと希望の間に


最近は、家族が増えて、週末にめいっこちゃんに会いに行くのがちょっとした楽しみになっている。

一方で、老いていく父や母への愛情も深くなっており、会える時は会おうと思って実家に帰るようにもしている。


諦めや、無気力感に苛まれる一方で、自分ができることを考えて、少しでも
誰かの役に立てたらいいなと思える自分もいたりする。



30代の前半までは「希望のみ」で生きてきた。


30代の半ばからは突然「諦め」が心の大半を占拠しはじめた。


最初は、そんな自分を許せなかったけど、最近は受け入れないと呼吸ができない感じがして、思う存分ダラダラ生きている。脱・アーチーチアーチー。


20代の頃は共存できなかった二つの感情。
それが今では微妙な温度で交じり合えるようになってきた。


今の自分の限界とか、特徴を知ったうえで、できることやできないことを見極めること。

でも、ちょっとでも誰かのために力になりたいって思うこと。

そんななかで、ちょっと新しい自分に自惚れて、希望をもって生きていきたいということ。


30代。
それも、独り身でどこにも逃げられない。

だから、いつも自分を見つめ続けて生きてきた。


最近もずっと苦しかったけど

希望と諦めの間に生きるしかない

ってことが、なんとなくわかってきた。


晴れでもなく、雨でもなく。

曇りくらいが、今はいいのだろう。

半分くらいでいい


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