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ディグダグ。

頭を思い出した。

いつでも初心者だ。

アレクサンダーテクニークは
何かの知識を詰め込むのではなく、
自分を見つめ掘り下げる方向に学びがある。


最初に書いた頭は、わたしの
さわることができる頭のことです。

その頭が前に上に行くんだった、
ということを思い出しました。

呪文の中身を唱えていても、
首がフリーと、背中が広くなること
ばかりを気にしていて、
頭のことをほとんど忘れていました。

気にし始めると、
そのことばかりが気になる。

これってわたしだけじゃない、はず。
(と思いたいくらい!)

あー、これだ、と
いい経験をすると、途端に
そればかりを気にして
他のことをおろそかにします。

おろそかにしていたのが、
わたしの、頭、だったわけです。

そもそも、頭が前に上にいっていないと
その下にある背中は、
長くも広くもなれないんだった。


こんなことを繰り返しています。

ほんとにいつでも初心者だ。


こいうことって
知識じゃないんですよ。

自分を観察して、掘り下げて
自分ってなにをしているのか、を
知っていくしかないんです。

こうすれば、こうなる。
なんてことはこれっぽっちも
重要じゃないんです。

もっというと、邪魔でしかない。

アレクサンダーさんは
何かの知識を使ってテクニックを作り上げたのでしょうか。
違います。

観察する手助けとしての知識であって、
知識を積み上げたわけじゃない。

積み上げたのは、経験です。

こうしたから、こうなった。です。

こう動いたから、こういうことになった。
こう考えたから、こういうことになった。

結果を事実として受け止め、
その原因となったことを探究していったんです。

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