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「文化がちがう」と言っても仕方がない

わたしがワークショップ(マナラボ 環境と平和の学びデザインによる『世界を旅しよう!』)をする理由は、ごく簡単なことだ。「開放性」を身に付けること。自分の生活や人生が安定していればいるほど(あるいはまったく逆に不安定であると)、人は変化を嫌う。変化を嫌うと、他者が邪魔で面倒なものになる。少なくともわたしにはそのように見えることがある。でも、まったくちがう価値観を持ち、まったくちがう生活をしている人たちが、同時代にいる。こんな面白いことはないではないか。

社会人は開放性を学ばなければならない。そうなのか? わたしにはそれは反対に聞こえる。開放性を備えているからこそ、その人は成熟しており、また社会的なのだ。

ワークショップに参加する子どもたちは、最初から「開放性」を持ち合わせているかに見える。「あそことうちとは文化がちがう」などと大人のわたしたちはつい言ってしまう。この「文化がちがう」とは、一種のカテゴリー生成の宣言である(属性を作り出し、それにしたがってレッテルを貼るといったこと)。そのカテゴリー化によって、わたしと彼らとはちがうのだから、それ以上は関与しないよ、ということをしばしば意味している。オトナのわたしたちはそういうことをつい言ってしまいがちだが、子どもの口から「文化がちがう」という言葉はあまり聞いたことがない。

孫美幸さんとは、日本国際理解教育学会で知り合った。いまおこなわれている「地域論プロジェクト」で、民話を通したこれからの学びについてともに考えている。孫さんが書かれたある本に、お子さんとのエピソードが紹介されている。

孫さんが、わが子とサンタクロースの絵本を読んでいたときのこと。ページをめくると、サンタクロース村の学校で小人たちが勉強している場面が描かれている。教室の壁には、世界地図(ヨーロッパだけを模した地図のようだ)が貼ってあるが、その地図には国境線が引かれていない。それを見た息子がこう言った。「おかあちゃん、この地図にはどうして『ひび』が入っていないの?」

「グローバルな教育」を受けていない子どもが、「あっち」と「こっち」を乗り越える視点をちゃんと教えてくれる。大学でおこなわれている「グローバル社会で活躍する人材育成」ってなんだろう、と孫さんは問いかけている(孫, 2017: 83)。
(※孫さんの論点とは直接関係はないが、人は「材(=原料となる物質。役に立つもの)」ではないので、わたしは世間で使われるこの「人材」という言葉にいつも、とても違和感がある。それを「人財」と言い換えたところで、その違和感は変わらない。しかし案外、こうした論点の問い直しが中心的課題であったりするので、書かずにいられなかった。「人材」という言葉は、だれが、だれに対し、どんな文脈で用いているのかいつも再考すべきである。)

わたしが「文化学習のワークショップをしている」というと、世界の文化についてしかつめらしく子どもたちに教授している、と思われるかもしれないが、そうではない。

学ぶというキーワードで、いつもわたしが思い浮かべる言葉が、「わたしと一緒にやりなさい(fait avec moi)」という言葉だ。ジル・ドゥルーズの言葉で、「わたしと同じようにやりなさい(fait comme moi)」と対をなす言葉である。哲学者・思想家の國分功一郎さんによると、シーニュとの出会いの空間を作り出すのが、この「わたしと一緒にやりなさい」と言う教師である。

では「シーニュ」(フランス語で「記号」を意味するが)とはなにかを言い出すと、難しい言葉であるためここでは深入りしない。ただ、さしあたりここでは「ふいに思考を強制する学びの対象や状況」と考えてよいだろう。こうしたシーニュへの応答を実際にやってみせるのが「わたしと一緒にやりなさい」と言う教師だという(國分, 2012)。「習得」とは、自分なりのシーニュとの出会いの空間を作り出すことであるとしたら、一人の人物がどのようにしてそれを学ぼうとするのかは、あらかじめだれにも分からない(國分, 2012: 76)。

文化学習のワークショップのなかで、わたしが目指しているのはこれに近いことである。そのため「狩猟採集社会のバカの文化とはこういうものだ」とか「クリンギットの社会はこういうものだ」といった語り方にさいしては、なるだけ「こういうものだ」の部分を、断定から推量に変換したり、さらに、こうした社会の民話をモチーフにして、創造的に民話を創ってみる、というワークを採り入れたりしている(「実在する民話をただ演じる」のではなく、「その民話をもとに新たな民話を創る」という発想は、マナラボの代表を務める飯塚宜子さんが言いだしたことだった。わたしは最初それを聞いて、何を言っているのかよく呑み込めなかった)。ワークショップで講師を務めるわたしは、子どもたち、そしてお父さん、お母さんたちと一緒に文化を学ぼう、民話を考えてみようという、「いち実践者」に過ぎない。

こうした教師のあり方は、近年言われている「関係性の専門家としての教師」(川島, 2018)や「教えない授業」(鈴木, 2019)の議論で述べられている教師のあり方とも通底している。

でも、この一方的に文化を学ぶのではなく、むしろ一緒に民話を創ったり、演じたりすることで一緒に考える、というパフォーマンスで経験する身体経験は、じつは人類学者がフィールドに飛び込んで参与観察するときの身体経験ととても似ている。一緒にやってみるから、直接経験にさらされた自分の身体がいろんなことを考えるのである。

海外に実際に行くことは簡単なことではない。でも本や教科書を通した読書を通じてではなく、フィールドをなまで体験した講師や、または現地に暮らす当事者らとともに、自分の身体をそこにさらけ出して、文化を直接経験するというのは、とても大事なことである。こうした直接経験を経た文化の学びからは、簡単に「文化がちがう」と言って切って捨ててしまうようなそれとは異なる身体性を得るからだ。わたしの文化とあなたの文化のひびはどこにあるのか。そんなものをそもそもだれが引いたのか、よく分からなくなってくる。国境線を「ひび」と、さりげなく言ってしまえる身体性を少し取り戻すと、世界がもっと面白く見えてくるのではないか。

※わたしは、『思想』 (1060) 69 - 94 2012年8月 で國分さんの論文を読んだが、たぶんここに同じ内容があると思われる。


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