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「仕方のない事」は、実は、‶仕方ない”で済まされない事である(2)

前回は、私がかかわったトレーニングの参加者のなかに、「‶仕方ない”で済まされない事」を「仕方のない事」とおっしゃる方が多かった話をしました。今回は、なぜ、そのようなことになるか、そして、そのような状況にどう対処していくのが望ましいかを考えていきます。

前回はこちら:


1.「仕方のない事」と思ってしまう理由(その1)

 
 自分にとって本当は‶仕方ない”といって済まされない状況を「仕方のない事」と思ってしまう理由は、ひと言でいって、その状況を自分が望ましいと思う方向に変えるのが、大変に困難なことだからです。

 ただし、困難の内容が、単に労力がかかるからということなら、トレイニーの方たちは、その困難を避けようとしたりはしていなかったはずです。

 役職定年になった方たちは、役職に就くまで職場の中で人一倍汗をかいて頑張っていました。

 人事考課の一次考課者は、一般社員時代の努力と実績を評価されてマネジャーに抜擢された人たちです。やはり、ひと一倍汗をかいて頑張った人たちなのです。

 二代目社長になる方たちの中には、甘やかされて育った‶ボンボン”みたいな方がゼロではありませんが、ほとんどの方は、新卒後は武者修行のために他の会社に勤めて、そこで一人前と認められてから父親の会社に戻ってきています。武者修行先では、汗をかいて頑張った方たちです。
 
 この方たちは、自分が知っている方法でひたすら頑張れば乗り越えられる障害なら、それを「仕方のない事」だとは思わない方たちなのです。

 彼/彼女 たちが、自分たちが直面している状況を「仕方のない事」と思ってしまう―—より正確に言うと、思おうとしてしまう――本当の理由は、今までの自分のやり方で頑張るだけでは乗り越えられない障壁だからなのです。

《役職定年された方の場合》
 
役職に就くまでは、経験とスキルを重ねるにつれ職場での地位が向上し続けました。その過程では、先輩のことを 兄/姉 や 父/母 と思って敬い従い、後輩のことを 弟/妹 や  息子/娘 と思って可愛がり指導してくればよかったのです。
 経験とスキルが周りの誰よりもあるのに、周りと同じ階層のいちメンバーであるというのは、初めて経験する立場なのです。また、自分の後輩を上司として敬いつつ、かつ、その後輩に自分のスキルと知見を伝授しなければならないというのも、初めて経験する行動様式なのです。
 だから、その立場と行動様式がとほうもなく難しいものに思えるのです。

《人事考課のフィードバックに悩むマネジャーの場合》
 
マネジャーに抜擢される方たちの多くは、会社から高く評価されてきた人たちです。こうした人たちは、頑張れば順調に給与と地位が上がってきた人のです。
 彼/彼女たちにとって、頑張っている部下が制度的な制約で昇給・昇格できないという、ある種理不尽な状況は、それまで体験したことのない場面なのです。
 だから、この状況に自分が納得できない。自分が納得できないことを、部下に対して、部下が納得できるように説明できるはずがない――そう思うから、人事考課を部下にフィードバックすることがとてつもなく困難なことに思えてしまうのです。

《オーナー企業の二代目社長になられる方》
 
多くの方の場合、武者修行先の会社から父親の会社に戻った当初は、全社の方向性に影響を与えるほどの権限は与えられません。仕事の上で接する古手の管理職の顔ぶれも限られています。
 ところが、次期社長——役員中の筆頭格——になったその日から、古手の管理職全員を指揮する立場になるのです。中には、これまで業務上の付き合いがまるでなかった管理職もいたりします。
 すべての管理職から信任を得て、彼ら/彼女ら を引っ張っていかなければならないというのは、まったく初めての経験なのです。

 初めて経験する難しい状況を乗り越えるためには、これまで自分の成功を支えてきてくれた行動様式とは異なる、新しい行動様式に切り替える必要があるのですが、どのように変えたらよいのかわからない、あるいは、どのように変えたらよいかの見当はつくが、自分が、本当にそれをうまくこなせるのか自信がない

 このような理由で、腰が引けてしまう。腰が引けるから、「仕方のない事」と言って済ませようとするけれども、決してそれで納得できるわけでもないという中途半端な状態になってしまうのです。。

2.「仕方のない事」と思ってしまう理由(その2)


 「仕方のない事」として済ませたくなるのには、もう一つ、別の理由が隠れている場合があります。それは、《現状維持の方が楽だから》というものです。

《役職定年された方の場合》
 
今は上司である 後輩 に対して、意見も提案もしなければ、お互いの間で感情がもつれる危険はありません。周りから「先輩風ふかせて」とか「小姑みたい」とか非難される心配もありません。「物言わぬは腹ふくるる」思いを自分が我慢してさえいれば、職場に波風立てずに定年までいられるという意味で、現状維持の方が楽なのです。

《人事考課のフィードバックに悩むマネジャーの場合》
 
人事考課で正当に報われないかもしれない部下には挑戦的な仕事は与えずに、今までどおりの仕事で成果を上げてもらっている方が、人事考課のフィードバック面接でお互いにイヤな思いをせずに済んで楽です。
 しかし、この方たちの場合は、楽に済ませられる可能性はあまりないのが実情です。会社は力のある部下を遊ばせておけるほど甘いところではありません。出来る部下、頑張ってくれる部下に難しい仕事を割り振っていかないとマネジャー本人の首が回らなくなってしまいます。
 結局、マネジャーは、その部下が人事考課で報われるかどうか不安を抱きつつも、出来る部下、頑張ってくれる部下に頼らざるを得ないのです。

《オーナー企業の二代目社長になられる方》
 
古手の管理職が抵抗を示すような案を出さずにおとなしくしていれば、古手の管理職、特に、自分が子どもの頃から知ってくれているような管理職には「坊ちゃん」「ボン」と言って、可愛がってもらえたりします。日々をつつがなく過ごす上では、その方が圧倒的に楽です。

 人事考課のフィードバックで悩むマネジャーをのぞけば、現状のままでいることに、捨てがたいメリットがあるのです。

3.対処法=《大人ブレーキ》を緩める

 ここで、私は、人間として成長するために現状維持で楽したい誘惑に打ち勝って新しい行動様式を身につけるべきだ等々のお説教を垂れるつもりは、全くありません。

 他人から「……すべき」と強要されたことをそのとおり行う人生はつまらないし、不毛だと思っているからです。人間は、次の2つの優先順位に従って生きればよいと私は信じています。

(優先順位1)自分がしたい事をする。

(優先順位2)それをしないと自分が大きな不利益をこうむる事は、
       自分を守るために、する。

 乳幼児期の子どもは、行動のバリエーションが一定期間内に増加する速度と言うモノサシで人間の成長を測るとしたら、大人とは比べ物にならない速さで成長します。それは、好奇心が赴くままに「したい事」をするからです。

 自分では「したい事」だけしていて、「したら危険な事」・「したら周りに迷惑な事」を親や周りの大人から教えられ行動を修正しているのが乳幼児です。基本のところでは自分が「したい」に忠実だから、成長に勢いがあるのです。

 それに対して、大人は「したら危険な事」・「したら周りに迷惑な事」を自分で考え自分にブレーキをかけます。それは、子どもが親と周りの大人に躾けられ、社会に出ても困らないように仕上がった姿です。このブレーキのことを《大人ブレーキ》と呼ぶことにします。

 《大人ブレーキ》が備わっていることは、自立していて自律できる成人の必須条件ですが、時に、《大人ブレーキ》を強くかけ過ぎてしまうことがあります。

 「したい事」を「できなくても‶仕方ない”」と済ませようとするのは、《大人ブレーキ》を強くかけ過ぎている状態です。「したい事」をするには、まず、⦅大人ブレーキ》を緩める必要があります。

 《大人ブレーキ》を緩めるのには、コツがあります。それは、自らの行動をチェックするのをいったん止めることです。何か「したい事」を思いつき、それに向けて動き出そうとすると、「これは危険な事ではないか?」・「これは周りに迷惑な事ではないか?」というチェックが働くのが大人の習性です。
 成長の過程で親と周りの大人から「したら危険な事」・「したら周りに迷惑な事」を徹底して教え込まれたため、自動的にこの2点をチェックする癖がついているのです。

 ここで『1.「仕方のない事」と思ってしまう理由(その1)』・『2.「仕方のない事」と思ってしまう理由(その2)』を振り返ってみてください。
 理由(その1)は、今までに経験していない行動へのためらいです。これは「したら危険な事」チェックが働いた結果生まれる感情です。
 理由(その2)は、現状維持への誘惑です。この感情には「今までに経験していない行動へのためらい」と「周りとの摩擦回避」という二つの側面があります。つまり、この感情の背景では、「したら危険な事」チェックと「したら周りに迷惑な事」チェックの両方が働いているのです。


4.「したい事」をするための工夫

 
 ここでの「したい事」は、「したいけれども、実際にするのには困難が伴う事」ですから、それを実行するには、色々な工夫が必要になります。
 工夫の各論となると、その人・その人が置かれた状況に応じて色々なバリエーションがあるので、ここでは取りあげきれません。

 そこで、ここでは、どのような状況でも当てはまる工夫をだけ挙げて、このエッセイを締めくくりたいと思います。

【一般的に当てはまる工夫(その1)】=よく見ること・よく聴くこと
【一般的に当てはまる工夫(その2)】=考え方の引き出しを増やすこと
【一般的に当てはまる工夫(その3)】=現実感覚を持つこと


(その1)よく見ること・よく聴くこと

自分に「したい事」があるのと同じように、周りの人間にも「したい事」があります。周りの人間には「したい事」を一切認めず、自分だけが「したい事」を押し通せるというような虫のイイ話は、現実にはありません。
必ず、どこかで、自分の「したい事」と他人の「したい事」の折り合いをつけなければならない場面が出て来ます。その時に備えて、周りの人間の行動をよく見ておくことが大事です。また、周りの人間の言葉に耳を傾け、その思いと考えをよく理解しておくことも必要です。

(その2)考え方の引き出しを増やすこと

今までの成功の方程式が通用しない状況に取り組むのですから、自分の経験から導き出せる考え方だけでは不十分なことは明らかです。本を読み、人の話に耳を傾け、考え方の引き出しを増やす必要があります。引き出しが多ければ多いほど、次々と状況が変化してもそれに対応していくことができやすくなります。


(その3)現実感覚を持つこと

現実感覚というのは、なにかをした時にその結果が「満点でなくてはいけない」・「最低でも70点以上でなくてはいけない」というような硬直した合格点を設けるのではなく、時々の状況に応じて合格レベルを柔軟に変えていける感覚のことです。
映画やテレビドラマで、主人公が自分の信念どおり行動すると決めたとたんに迷いや悩みが消えるというような場面があります。
ああいうのに影響されて「『したい事』をすると決めたのだから迷いや悩みはなくなる」というような合格レベルを設定してしまうと、たちまち行き詰まります。「したら危険な事」チェックと「したら迷惑な事」チェックは長い年月をかけて染みついたものだから、止めたつもりでも出てきてしまい、そのせいで迷ったり悩んだりすることは、すぐにはなくならないからです。
「迷いと悩みはあっても、以前に比べたら『したい事』が出来ているからOK」という線を合格ラインにしておくほうが、努力が長続きするものです。
(その3)でお話した自分の「したい事」と周りの人間の「したい事」の間で折り合いをつけていくことも、現実感覚のひとつです。「自分の『したい事』が7割以上できていないといけない」というような厳密な基準を設けてしまうと、他者との間で無用の軋轢を起こしてしまうものです。

 さて、「‶仕方ない”で済まされない事」を「仕方のない事」にしてしまうケースについて二回にわたって検討してきたこのエッセイを、ここで終わりにしたいと思います。 
 「したい事」をするための工夫について、もう少し各論に踏み込んだ話を、また改めて書いてみたいと思っています。
 ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

『「仕方のない事」は、実は、‶仕方ない”で済まされない事である(2)』
おわり


 


 















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