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ケアンズで襲われた話


神聖な民族アボリジニ

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アボリジニという言葉を聞くと、「オーストラリアの先住民族でウルルの森・エアーズロックを守り、神や自然の精霊たちと繋がって生きている神聖な民族」というイメージが私の中にはあった。

2019年の夏にこんなニュースを耳にした。

エアーズロックの登山が観光客の間で長年人気だったが、その裏側には「聖地に登ってほしくない。」という先住民族の悲痛な叫びがあり、オーストラリア政府と先住民の代表が議論を続けた結果、2019年10月26日からエアーズロックの登山禁止が正式決定した。

アボリジニにとってエアーズロックは非常に重要な場所で、小さなくぼみや穴にも精霊が宿ると考えられているそうで、観光地でもテーマパークでもない、彼らにとっては「聖地」なのだ。その神聖な場所がようやく守られることが決まり、地元に暮らすアボリジニの方からは歓喜と安堵の声が溢れたという。

そんなニュースを目にして、やはりアボリジニと呼ばれる人たちは今も神様と繋がり続けていて、自然を守るために一生懸命な民族なのだと思った。

しかしケアンズに住み始めた当初、現地に暮らす日本人の方から「アボリジニに気をつけてね!夜は一人で出歩かない方がいいよ。」と忠告を受けた。

ケアンズではアボリジニによる窃盗や暴行などの犯行が横行しており、日本人は狙われやすいとのことだった。

私は内心「ん?神聖な民族が人を襲うことなんてあるの?」と疑問に思ったが、その忠告が嘘ではないと気付くのに時間はそうかからなかった。

アボリジニのおばはんにどやされた日

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ケアンズに着いて4日目。

昼過ぎにマッサージの研修が終わり、研修先で友達になった子の家に行こうとしていた。その子から自転車をもらう約束をしていたのだ。一度その子の家の前を通ったことがあり、家の場所は何となく覚えている程度だった。

現地で使えるSIMカードをまだ購入しておらず、外では誰とも連絡を取ることが出来ず、Google Mapも使えない。

そして、私の記憶と野生の勘は全くアテにならずすぐ迷子になった。

「この道をまっすぐだっけ、、ここで曲がるんだっけ、、?」

と迷いながら歩く足取りは非常に遅い。

迷子になり、携帯も使えず、人に道を聞こうにも目的地はかすかな記憶の中にある友達の家なので説明のしようがない。

海外というだけで地に足が付いていないような感覚なのに、さらに道に迷うことで新たな不安がのしかかって来た。

ふと気付いた時には私の目の前にアボリジニのおばさん2人組が歩いていた。

何か覚えてるものはないかと時折立ち止まりながら周りの建物や看板を見ながらゆっくりと歩いていたら、

アボリジニのおばさんにものすごい形相で睨みつけられ、

"Go away." と低く太い声で言われた。

目は殺し屋の様で顎を動かし、「どっか行け!」と言わんばかりの指図を受けた瞬間、全身に悪寒が走り「なんかヤバイ!」と感じた。

たった一言だが、目つきと顎の指し方も伴って、
あの一瞬でいろんな意味を受け取った。

「なにちんたら歩いとんねん。」

「しばいたろかワレコラ。」

日本語訳するとこんな感じだろう。

とにかく本当に怖かった。

私の何が気に障ったのか全然分からなかったが、もし仲間を呼ばれて集団に襲われたら怖すぎるので訳もわからないまま、

"Oh Sorry."

小声で一言謝まってその場をささーっと抜け出した。怯え過ぎて眉毛はハの字になり、肩をすくめていた。


全身に心臓の音が響き渡るくらいドキドキしていた。

「怖っ!」

「やばっ!」

「ここどこ!」

そんなことが頭の中を駆け巡りながら、どこに向かってるかも分からないままとりあえず走った。


アボリジニのおばさん二人組の姿が見えなくなるまで走った後、少し落ち着いてくると段々イライラしてきた。(まだ迷子。)

「何も悪いことしてないのに何でうちが謝らなあかんねん。道に迷っただけやのに、、。何やねん…。もお〜むかつくわあ〜。」

イライラを一人で抱えきれなくなった私は近くの椰子の木に愚痴ってみた。

「あのおばさん達何なん!?ムカつくわ〜。うち何もしてへんやん!」

そう言うと、

「何も思わないであげて。」と返事が返ってきた。

「どゆこと?」

「アボリジニは民族として傷つきすぎてるんだ。だから何も思わないであげて。」

「ほお、、、。」

「ここの土地(オーストラリア)は元々彼らが大切に守ってきた場所だったけど、急に白人が入ってきて、アボリジニを迫害して生活も文化も土地も人権も奪った。アボリジニという民族の血を根絶やしにしようとした存在がいて、彼らを人として扱わず、無残に殺されすぎた。今でもアボリジニというだけで差別で苦しんだり、酷い扱いを受けて、ずっと傷付き続けてるんだ。だからまた傷付けられるんじゃないかと常に恐怖を感じているから、他人に対して攻撃的になってしまうんだよ。」
と教えてくれた。

「ふーん、、そうなんや…。」

言われたことをゆっくり自分の中に落とし込みながら、

「なんかそれ分かるかも。」と思った。

ちなみに私が植物と会話するときは耳で聞き取るのではなく、頭の中に言葉達が意識として入ってくる感覚だ。あまりに自然と入ってくるので自分の思考と勘違いしそうになることもあるが、自分の知らない情報であったり、私が考えていることではない内容なので、ああこれは他の存在が教えてくれているのかなと受け取っている。


私はオーストラリアに来てから、自分は日本人でアジア人だということをすごく感じていた。

日本にいる時は電車に乗っても街を歩いてもすれ違うのはほぼ日本人だから、改めて自分が日本人でアジア人だということを認識する機会はほとんどない。そして日本で日本人とすれ違ってもなーんにも思わない。

しかし、アジア圏以外の海外に行くと自分がアジア人であることを強制的に認識させられる。

ヨーロッパの街を歩くとすれ違う人は皆、手足が長く、顔も小さくて、シュッとしたスタイルで颯爽と歩いている。

美男美女達とすれ違いながら、ふとショーウィンドウガラスに映った自分を見ると、顔が大きくて手足は短く身長も小さい。周りにいる人と自分を比べてしまうと、どれだけお洒落をして出かけていてもちんちくりんに見えるのだ。

周りがどう思ってるかなんて分からないのに、「うわ、アジア人や。」って嫌がられてないかなと不安になったり、素敵な服屋さんを見つけても「自分に似合う服なんて売ってないやろうな、、。」と思ったりしていた。

英語の発音はネイティブではないし、髪の色も、肌の色も、骨格も周りと違う。

ヨーロッパで可愛い雑貨を見つけてワクワクしつつも、すれ違う人々と自分とが全く違うことを少し残念に思うこともあった。

海外のレストランに行った時、アジア人というだけで軽視されたり、冷たい差別的な態度を取られると傷付く。

だから冷たい態度を取られた時はこちらも強めな態度を取ることもあった。

そうやって自分の体裁や心を守っていたのだ。

しかし、海外で素敵なサービスを受けたことや親切にして頂いた経験も沢山ある。日本ではなかなか味わえないようなフレンドリーなサービスやストレートな自己表現が素敵だなあと思うことも多々あったし、海外に行くのは大好きだ。

もしかしたら冷たい態度だと感じたのも私の被害妄想だったかもしれない。
その頃の私は常に周りと自分を比べる癖があり、日本人であることの素晴らしさを全然分かっていなかったから余計にそんな風に感じてしまっていたのだ。

人種も国籍も関係ない。
この地球に生まれて来ただけでも凄いことだ。

誰かに遠慮して自分を押さえ込んだり、周りの目を気にして自分らしさを失う必要はないのだ。

目は口ほどにものを言う

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アボリジニのおばさん2人が目の前を歩いてると気づいた時、

「あっ、アボリジニや、、。」

と瞬間的に少し嫌だなと感じたことを思い出した。

アボリジニに気を付けろという忠告を何度も受けたり、道を歩いていたら急にアボリジニに瓶を投げられたことがあるという話を聞いて、私自身の中でアボリジニは危険だというイメージが出来上がっていた。

そしてアボリジニのおばさん2人を目の前にした時、「うわっ…。」と心がざわついた。

きっとそれが伝わってしまったのだろう。

だから強く睨まれて、「早くどっか行け。」と言われたのだ。

何もしてないのに!と思い込んで被害者ぶっていたが、私が先に「うわっ…。」と思ってしまっていたのだ。

それが返ってきただけのことだった。

だから、

「『何も思わないであげて。』、、か。」

ようやくその言葉が附に落ちた。

日本で日本人とすれ違う時に何も思わないのと同様に、アボリジニとすれ違ってもなーんにも思わないでいよう。いちいち反応せず、怯えたりせず、普通でいよう。

そう決めてからは、道を歩いていてアボリジニのおばはんにどやされることは一度もなかった。

やはりどこまでも自分次第なのだ。

自分の非を認めず、被害者意識で生きていくのは簡単だし楽だ。

そして他人を責めているだけでは何の発見も精神的成長もないのだろう。

その選択でもいい。

でも他人を通して気付きを得たり、もやもやした時に自分に目を向けてみるとハッとさせられるような発見がある。

毎回その発見は心が震える程、

「うわ〜人生って面白いなー!人間ってすごい!!」と思える。

それが割と楽しいので、日々自身に目を向け続けることに努めている。

人生はエンターテイメントだ。

何でもいい。

どんな風に生きてもいい。

自分の生きたいように生きたらいい。

制限なんてない。

制限があるとしたらそれは自分が思い込んでいたり、頭の中で決めているだけだったりする。

大事なのは自分が今どう生きているか。

どう生きたいと思っているのかを自分自身が知ることだ。


スリで生きていく子供達

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ケアンズに暮らし始めて3ヶ月経った頃、生活にも仕事にも慣れ、友人にも恵まれて充実した日々を送っていた。

極力SNSに触れる時間も減らして、自然と対話したり、自分と向き合う時間をとても大切にしていて、毎日気付きと学びに溢れていた。ここで学べることは全て吸収したい!という気持ちが強く、とにかく仕事に一生懸命だった。


ある日、私の一時帰国に合わせてお疲れ様会を開いてもらえることになり、帰国1週間前に職場の仲間と初めてディナーに出かけた。

オーストラリアでは夜レストランに入店する際、パスポートによる年齢確認をされることがある。その時のために「パスポート持ってきてね!」と言われていたのだが、夜の食事や飲みに出掛ける習慣がなかった私はパスポートの持参をすっかり忘れてレストランに来てしまった。

パスポートを取りに帰るのが面倒くさかったので「私は余裕で二十歳以上だし、今日は私のフェアウェルパーティなのでどうにかお店に入れてくれないか。一生のお願い!」とガードマンに懇願したが全くの無意味だった。
スマホのデータを漁りまくっていたら携帯からパスポートの写真を見つけたので、それを見せて説得するとガードマンは渋々入店を許可してくれた。

職場の仲間達と楽しい時間を過ごして、2軒目にケアンズで1番美味しいピザを食べに行こうという話になってそのお店に向かっていた。

その時点で22時前だったのだが、ピザ屋さんに向かう道中で8才〜12才くらいの女の子5人組が歩いているのを見掛けた。

「こんな時間にあんな幼い子達が歩いてる。お母さん心配せえへんのかなあ。」と内心驚いたが、特に気には留めなかった。

そしてお店に到着して自転車を停めようとした時、先ほど見かけた子供達が近づいて来た。

“Where are you from?”

“What’s you are name?”

観光客と思われたのか、簡単な英語で話しかけてきた。

その問いに答えようとしたら、
「相手にしちゃダメだよ。」と先輩に止められた。

「えっそうなんですか?」と聞くと、

「ダメダメ。からかってきてるだけだから。無視するのが1番だよ。」


子供たちは私たちのそばを離れる様子なかなか見られなかったので、自転車を盗もうとしてるのかな?と思い、その場を離れることにした。

自転車をまた動かそうとチェーンに手をかけた瞬間、

「あ!盗られた!!」
同僚の1人がそう叫んだ。

「えっ!?」と言ってその子を見た瞬間、

サッと私のカバンも盗まれて、
「うわっ!!!やられた!!」と私も叫んだ。

子供たちはバラバラの方向に猛ダッシュで逃げたので、私と友達もカバンを盗んだ子供が逃げた方向に向かってそれぞれ走り出し、必死に追いかけた。

子供たちの足は信じられないほど速かった。

スケボーで来ていた韓国人の同僚が私の後ろから追いかけてくれていて、

“Where is she!?”
と聞かれたので、

“That way!!”
と叫び、子供が消えていった方向を指差した。

彼女はスケボーでその方向へと走り、引き続き追いかけてくれた。


呼吸が苦しくなって立ち止まり、ふと周りを見渡すと薄暗い駐車場のようなところに来ていた。

反射的に走り出した私は窃盗犯の子供を捕まえることしか頭になく、どのくらい走ったのか、今自分がどこにいるのかすら全く分からなかった。

息を切らしながらようやくふと我に返った。

「えっ、ここどこ…?気味悪くて怖いな。」

人影のない場所で不気味でめちゃくちゃ怖かった。

もしここが犯行グループのアジトの近くで集団が隠れていたら、、

もしその集団に連れ去られてレイプでもされたら、、

携帯も財布も失った私は助けを呼ぶ手段がない。

「これ以上1人でおったらあかんわ。みんなの居るところに戻らないと。」

身の危険を感じ、足早に元来た道を戻った。


「神様助けて下さい。お願いします。」
「どうか皆が無事でありますように。」
泣きそうになりながら何度も何度もそう祈った。


皆の元に戻ると、見ず知らずの白人男性2名が皆と一緒に居た。

白人男性2人はアイルランドからの旅行客で、この窃盗事件が起きたすぐ側にあるホテルに泊まっており、部屋からこの窃盗事件の一部始終を見ていたそうで、何か自分たちにお手伝い出来ることはないかとわざわざ部屋から出てきてくれたという。

なんて優しい人がいるんだと憔悴しながらもめちゃくちゃ感動した。

たったこの数分の間に人の優しさと非道さに触れ、天と地を味わったような気分になった。

そしてアイルランド人2名と先輩が「iPhoneを探す」の機能を使って、私の携帯を取り返すために犯行グループのアジトに行こう!と話し合い、すぐさま自転車で追跡しに行ってくれた。

同時に、ある同僚は警察に通報していてパトカーを呼んでくれていた。

また別の同僚からは盗まれたカードを不正利用されないようにカード会社に電話する様に言われ、携帯を借りてクレジットカードとキャッシュカードをすぐに利用停止にした。

全てが同時進行で進んでおり、あっという間の出来事だった。

なんと素晴らしいチームワークだろう。

その時出来ることをそれぞれが行動に移し、私も言われるがまま動いた後、ようやく緊張の糸が緩み、全身の力が抜けてその場に座り込んでしばらく放心状態だった。

そんな私の代わりに多くの人が動いてくれていた。

職場の仲間も、知らない人までも。


しばらくしてパトカーが来てその場に残っていた全員がパトカーに乗り、警察署へ向かった。

その時点で23時過ぎだった。

1人1人個室での事情聴取が始まった。

それぞれの主張が一致しているかを確かめているようだった。

子供達全員の肌の色や髪の色、身長や体型、身に付けていた服や靴は何色でどんな形だったか、大体何歳くらいに見えたか、彼女達はどのような発言をしたのか、身体に触れられることはあったか、暴力はあったか、それは何時ごろの出来事だったのか等、事細かに聞かれたので事情聴取は長かった。

特に私は盗まれた当事者だったので聴取時間が大変長く、何を盗まれたのか、鞄には何が入っていたのか、それはどこで手に入れたものなのか、どのように盗まれたのか、実際に起きた様子を再現しながら英語で説明し続けた。

ケアンズに来てこの時が1番英語力が伸びた瞬間だったと思う。
人間は窮地に立たされると異常なまでの力を発揮するのだとこの時に知った。
私は自身のことをそんなに英語が得意ではないと思っていたのだが、この時はあまりにもスムーズに英語を話すことが出来ていて自分でもびっくりしていた。
自分の底知れぬ力を発揮する程に必死だったのだ。


事情聴取が一通り終わった頃に聴取を担当していた警察官から、

「1人で追いかけた時とても怖かったでしょう。でももし今度こんなことがあっても危険だから絶対追い掛けちゃ駄目だよ。ナイフや銃を持ち歩いてる子もいるから。中には殺されてしまう被害者もいるから、あなたは怪我もなく命があって本当にラッキーだったよ。」

と言われた。

そう言われて改めて命があって本当に良かったと思った。
そして私の代わりに追いかけてくれた仲間達が怪我を負うこともなく、再び集まれた時は本当に安心した。

更にもし他の誰かが襲われたり、怪我を負っていたらもっと辛かっただろう…。

みんな無事で本当に良かった。


自分自身の聴取が終わった後も友人の聴取に通訳として個室に入り、何度も警察に同じことを英語で説明している内に、今起きてるこの現実が普段生きている世界とかけ離れすぎていて何だか映画の世界の出来事のように思えた。

パトカーに乗っている時も、待合室で過ごしている時も、聴取室にいる時も、これは現実なのだろうか…と信じ難く、何だか夢見心地のようなふわふわした気分だった。

大変なことが起きたとは思いつつも、「海外のパトカーに乗れて、事情聴取を受けれるなんて!!貴重な体験だ〜!」と少し興奮してる自分もいた。


犯行グループを追い掛けてくれていた先輩達も警察署に着き、同じように事情聴取を受けた。
追跡している途中に警察に声をかけられ「犯行グループのアジトは危なすぎるから個人で行ってはいけない。」と止められて途中で追うことを断念したと後から聞いた。それからアイルランド人の2名はホテルに戻ったそうだ。見ず知らずの日本人の携帯を取り返す為に全力を尽くしてくれた方々に感謝の気持ちが止まらない。
残念ながら最後に直接お礼を伝えることは出来なかった。
その後も二度と会うことはなかったが、もしどこかで困っている方を見掛けたら声を掛けて力になろうと心に誓った。
こうして優しさや助け合いの輪を広げることで今回の恩返しが何か別の形で出来たらいいなと思う。


盗難にあったもう1人の同僚はしばらく女の子を追いかけていたら、たまたま通りかかった車が女の子の行く手を阻むように停車し、その車に乗っていたドライバーが女の子に何か言葉をかけたという。

すると女の子はくるっと同僚の方を向いて、歩いてきたと思ったらなんとカバンを返して来たそうだ。同僚はカバンにパスポートも入れていたので無事に返ってきて本当によかった。

その同僚はショルダーバッグを使っていて、カバンは自分のお腹側に身に付けていたが、背中側にあったショルダーバッグの留め具をカチッと外されて盗られたそうだ。

何というやり方、、。

彼女たち完全に盗み慣れている!!

日本が平和すぎるから日本人は平和ぼけしていると言われるが本当にそうなのだろう。カバンを身体の前側につけているからと言って安心してはいけない。出来る限りの防犯対策をしておくべきだと学んだ。

その同僚とは普段から仲が良く、仕事終わりもよく一緒に帰っていろんな話をした大事な友人であった。

その友人が愛され、守られていることを感じて本当に嬉しかったし、その同僚と神様って本当にいるんだねとその後何度も話した。

ドライバーが女の子に何と声をかけたのかは聞こえなかったそうだが、たまたま通りかかった車に救われるなんて本当にすごい!と感動した。


私は不幸中の幸いでパスポートを持っていなかったので、被害は現金(日本円で2〜3万円)・クレジットカード・キャッシュカード・口紅・iphone2台で済んだ。翌週に帰国予定だったので、パスポートをうっかり忘れたことが功を奏した。

ただ、盗まれたカバンは二十歳の誕生日に幼馴染の友人達からプレゼントしてもらったcoachのミニバッグで思い出深い物だったので、それを盗まれたのが悲しかった。

でも命には変えられない。


神様は乗り越えられない試練は与えない。


盗難にあったのは6人いた中で私たち2人だけ。
事件が起きた時は本当に怖かったけど、この経験は偶然が重なって起きた神様からのギフトだ。

だからしっかり味わいきって自身の糧にしていく。

その時は感情がぐちゃぐちゃになっても、どれだけしんどくても、いつかはこうして話のネタになる日が来るのだ。

やっぱり人生はおもしろい。

防犯カメラが捉えた衝撃の瞬間

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同僚の事情聴取を待っている間、警察署にある大きなモニターを見ていた。

防犯カメラの映像でケアンズの街が映っていた。

その画面になんと私たちに絡んできた子供達3人が歩いてる様子が映った!カバンを盗んだ2人はいなかったが、その仲間の子達に間違いなかった。

警察官に向かって、
「こいつらやー!!!!この仲間の1人が私のカバン盗んだんやー!!!捕まえてー!!!」とモニターを指差して訴えると、

「分かってる。分かってるから。」
「今仲間が追ってるから。まあ見といて。」
と腕を組んで落ち着いた様子の警察官に言われた。


「えっそおなん?」と言って、またモニターを見るとその子達が歩いてる路地の側に大きなパトカーが3台やってきた。
子供達を目がけてパトカーが停まったと思いきや、凄い勢いでガタイの良い警察官が何人も飛び出してその子達を一気に囲んだ。

ケアンズの防犯カメラは画像品質が大変高く、薄暗い夜の街も繊細に見えた。

モニターではその子達がよりよく見えるようにクローズアップされ、幼い3人の姿を鮮明に捉えていた。

3人は逃げられない様に警察に囲まれ、その場に追い込まれて壁に沿うように座らされていた。

警察官に何かを問われたのか、全員で大きく首を横に振っている。
きっと盗みのことを問われているのだろう。

首を横にぶんぶん振ってる様子を見て、
「ううんちゃうねん!やったやろー!」とヤジを飛ばした。

するとまた警察官に、
「分かってるから。笑」と少し落ち着く様に諭された。

「防犯カメラ班が今回のことを既に全て確認してるから。彼女達はこのまま連行されるよ。」と続けて言われた。

盗難事件が起きたのは街の中心地だったおかげで、事件の一部始終が全て防犯カメラに映っていたそうだ。

しばらくモニターを見ていると、彼女達は大きな体格の警察官達に引っ張られる様にパトカーに乗せられていた。

そして監視カメラの性能が良すぎたことで、怯える彼女達の表情を嫌というほどしっかり見せられてしまった。

「悪いことしたらやっぱり自分に返ってくるんやなあ、、。」と静かに友人と言葉を交わした。


「連行された後、彼女達はどうなるの?」と警察官に聞くと、

「あなた達の証言と防犯カメラで捉えた出来事が一致しているかを確認して、彼女達に有罪か無罪か判決を下す。有罪となれば子供用の刑務所に行く。その判決次第だから、今の段階ではまだ何も分からない。」と答えてくれた。

盗みを働いた子供達が捕まってひと安心した気持ちもあったが、子供達の怯えた表情を見た瞬間の気持ちはなんだか切なかった。


あの子達は本当に悪い子だったのだろうか。

どうしようもない、救いようのない犯罪者なのだろうか。


その後、何度も何度もその事について考えた。


全ての事情聴取が終わったのは午前4時頃で、大きなパトカー2台に私たちみんなと全員分の自転車を乗せて家まで皆を送り届けてくれた。

私はケアンズの警察がこんなに素晴らしく動いてくれることに感動していた。

事情聴取も本当に丁寧だったし、質問内容が分かりやすいようにジェスチャーを加えながらゆっくりと発音してくれたり、簡単な英語で確認してくれていた。

防犯カメラ班まで稼働させて、パトカーも全部で4〜5台出動して、犯人逮捕に全力で協力してくれていた。

彼らにとっては仕事の一環でしかないだろうけど、外国人のためにここまで動いてくれてることに正直驚いた。
職場のオーストラリア人の経営者からオーストラリア政府や警察組織についての話をよく聞いていて、

「オーストラリアの警察は終わってる。アボリジニによる犯行は仕方ないと見なしたり、見逃すことも多いからアボリジニによる犯行が終わることはないんだ。」

と頻繁に言っていたので、漠然とオーストラリアの警察に対してあまり良くないイメージを持っていたが今回の出来事でそのイメージが覆された。

間近で警察官の働く様子を見て、手を抜いていると感じたり雑な印象は全く見当たらなかった。

被害者が外国人だろうと、犯人がアボリジニだろうと子供だろうと、そんなことは関係なく懸命に動いているように見えた。

約5時間に及ぶ事情聴取後に家まで送り届けてくれて私はケアンズ警察に対して感謝の気持ちでいっぱいだった。


やはり百聞は一見に如かずだ。

人それぞれ感じ方や受け取り方は違う。

だからこそ自分の目で見てもいない、味わってもないのに、いろんな情報に左右されて何かを決めつけたり、判断することはやめようと改めて思った出来事だった。

家に着いた時完全に疲れ果てていたが、まだ心が落ち着かず興奮状態と放心状態が入り混じったような状態で眠ることが出来ないまま朝を迎えた。

放心状態のままグレートバリアリーフにある島の店舗へ船で行き、朝から夕方まで仕事だったが、心身ともに疲労困憊すぎてその日の記憶はほぼない。笑

しかし、事件翌日もその次の日も子供達についてはずっと考えていた。

貧困であることは可哀想なのか


今頃あの子達はどうしてるんだろう。

もう判決は下されたのかな。

あの年齢で犯罪歴が付いてしまったらこの後の人生はどうなるんだろう。

パスポートを作ることも出来ないだろうし、
将来就く仕事も限られるだろう。

あの一瞬の出来事で彼女たちの未来が潰れてしまったのだ。

もしかしたら今回の窃盗は彼女たちにとって初めてでは無いかもしれない。慣れた様子だったからきっと初めての窃盗では無いのだろう。

でも警察に捕まったのは初めてかもしれない。

パトカーが来て警察官に囲まれた時の子供達の表情を思い出すと、銃を持った大人達に囲まれてめっちゃ怖かったんだろうなあ…と思う。

いや、でも自業自得だ。

それは事実だ。

事実なんだけど、、

そもそもなぜ彼女たちは盗みをしなければならなかったのか。

彼女たちにとって盗みは生きるために必要不可欠なことかもしれないし、もしかしたらただのゲームかもしれない。

真相はわからない。

ただ、事実として私はこれまで自らが盗みをしなければならないような状況に追い込まれたことが無い。

お金にも、住む場所にも、食べるものにも、着るものにも一度も困ったことがないからだ。

正直、子供達が捕まる瞬間を見るまでは「あのくそガキー!」と怒りと悲しみの感情があった。

しかし、捕まる様子を見て刑務所行きの話を聞いた後から子供達の生い立ちについて考える時間が圧倒的に増えた。

そしてふと、あの子供達がガリガリに痩せていたことを思い出した。

私から盗んだ数万円であの子達が何か美味しいものが食べれるなら全然いいやと本気で思うようになった。
iPhone2台で何か楽しむことが出来るならそれでいいし、ブランド物のカバンを売ってお金を作って、またそのお金がその子達の役に立つならそれでいい。

いつの間にか怒りの感情は綺麗さっぱり消えていた。


私には「夜遅くに出掛けたら危ないよ。」と言ってくれる両親がいる。

学生時代、塾や習い事で帰りが遅くなる時は必ず車でお迎えに来てくれていた。
今でも時間関係なくよく送り迎えをしてくれる。

何歳になっても両親からは子供扱いされたり、連絡せずに帰りが遅くなったら心配されて小言を言われることをたまに鬱陶しく感じていた時期もあったが、あの時間、言葉、行動、全てが両親からの大きな愛だったのだ。


私は自分の生まれ育った居場所が素晴らしい愛に溢れており、ものすごく恵まれていたことに初めて気付いた。

当たり前すぎて気づかなかった。

親がいること、家があること、毎日美味しいご飯が食べられること、季節に合わせた服や靴があること。

全て私の人生に必要なものは与えられて来た。

愛も、経験も、環境も、物質的なものも、精神的な成長も与えてもらっていた。

私は28年間生きて来てその当たり前だと思い込んでいたことが当たり前ではないと知り、ようやく心から感謝することができた。


この大切な気づきをくれたのはあの子供達が私のカバンを盗んでくれたおかげだ。

盗まれた当本人にならないとここまで考えなかったかもしれない。

盗むターゲットに私を選んでくれてありがとう、心からそう思った。


事件のことは瞬く間に職場で話題となり、同僚や先輩から様々な言葉をかけてもらった。

「怪我もなく無事で良かった。」

「帰国前にそんなこと起きるなんて最悪だね。」

「大変だったね、、生活費とか食べ物必要だったら言ってね!」

「使ってない携帯あるからそれあげるよ!」

言葉はその人自身をよく表している。

私はこの出来事を通して周りの人々の価値観や優しさを知ることができた。

会った瞬間に力強くハグをしてくれた同僚もいた。

事件のことを聞いた職場のオーナーは中古のiphone7を買ってくれた。

本当にいろんな人が助けてくれて、有り難みと幸せを感じていた。


事件から数日後、iphone2台を取り返せたと警察から連絡が来た。

帰って来たiphone

すごい。

凄すぎる。

ひとつのiphoneは画面がバキバキに割れた状態で返って来たが…。

「iphoneは使用できません」という表示が出てるということは、パスコードを間違えまくったのだろう。

パスコード1111やったのに。

そんな簡単なパスコードにするやつはおらんと思って変化球を試しまくったのだろうか。

とにかくケアンズ警察官達よ、、

お主ら、凄すぎるぞ、、!(語彙力ww)

ということは、盗んだ子も捕まったのだろう。

「今頃拘留されていて、これから裁判を受けるのかな。」

またしばらく考えて込んでいた。

アボリジニは過去に酷い扱いを受けて来たことが理由で、ケアンズでは毎週水曜日に国から全アボリジニにお金が支給されるという。子供を産めば産むほどお金が多く支給される。
支給されたお金をお酒やタバコ、ドラッグに使用し、子供を沢山作るものの育児放棄する親が多いと聞いたことがある。育児放棄された子供達は、子供達のコミュニティで生きていくしかないのだろう。

そのコミュニティが非行グループになっているのかもしれない。

もちろん中にはちゃんと子育てをしている人もいるだろうけど、実際にケアンズではアボリジニやアイランダーと呼ばれる民族の素行の悪さが社会問題になっている。

あの子達には、夜22時過ぎてから子供達だけで外に出掛けても心配してくれる親が居ないのかもしれない。もし親がいたとしても、遅い時間に子供達だけで外に出ても何も言わない親なのだとしたら、普段の食事はちゃんと与えてもらえてるのだろうか。教育は受けさせてもらえてるのだろうか。

私は盗みをしなければならない環境に生まれた彼女たちのことを可哀想だと思った。

あの子達に何をしてあげられるのだろう。

盗みをするということは「道徳心が育っていないのでは?」と思ったのでオーストラリアでの道徳教育に携わるのはどうだろうかと考えた。

でも、恵まれた国に生まれた日本人が急に目の前に現れてありがたーいお話をしたところで一体誰が耳を傾けるのだろうか…。
きっと誰も聞く耳を持たないだろう。

ではその子供達が窃盗をせずに暮らせるだけの生活の経済的支援が出来るのかと言えばそんな莫大な資金は無い。


私に何か出来ることは無いのだろうか。

しかし、考えても考えても答えが出ない。

大それた力も資金も権力も名誉もない。


また私は無力であることを突きつけられた。


もやもやとした感情を抱えたまま一時帰国し、岡山の田舎にあるお寺へ行った。

そこである老師に出会い、事件のことなどは何も伝えていないのに急にこんな言葉をかけられた。


人を可哀想やと思たらあかん。

人間は平等や。

可哀想やと思った瞬間、自分は相手よりも上なんやと相手を見下すことになる。

相手にはそこで生き抜く強さがちゃんとあって、

あらゆる壁を乗り越える勇気を持って生まれて来てるんや。

地球でどんな経験をしたいか、

どこでどんな風に生まれるかも、

生まれる前に自分で決めて来てるんや。

人間は平等や。

上も下もない。

人を可哀想やと思うたり、見下してはいかん。

力強い言葉にハッとした。

あの老師は何者だったんだろうか、、。

心の中を見透かされたようにこの言葉をかけられ、驚きすぎて言葉が出てこなかったが、少し心が軽くなっていた。


誰かのために何かしてあげようという気持ちは素晴らしい。

でも、

相手が可哀想だから何かしてあげようという情けは要らないのかもしれない。

私が子供達に何かしらの支援をしたいならすればいい。可哀想だと思ってするくらいならしなくていいだろうし、支援をすることが心から幸せだと感じるならしたらいいだろう。

私は恵まれた国に生まれ、温かい家庭で育ったと思い込んでいるが、アラブの石油王が私の生活を見たら、なんて質素で可哀想なんだ、、と思うかもしれない。
でもアラブの石油王に何かしてもらいたいことなどは特に無い。

私の人生で起きることは乗り越えられることしか起きないからだ。

やっぱり、

私に出来ることは私自身のことだけだ。

私自身に集中して、自分自身を愛で満たす。
そして溢れた愛を周りの人に注ぐ。

迷うことなく力を貸してくれたあのアイルランド人の方々のように生きよう。

優しさは更なる優しさを生む。


今の私に出来ることはささいなことだ。

自分自身に優しく接して、心にゆとりを持つ。
そして、私の周りにいる人に心から優しく接する
というシンプルなことを全力でしようと思った。


それくらいしか出来ないのだ。

その出来ることを一生懸命するだけだ。

出来ることがあるだけで素晴らしい。


あの子供達がこんなに大きな気付きをくれたのだ。


あの時は怖かったけど、、

盗んでくれて本当にありがとう。


自分自身を見つめる

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日本に帰ってから思ったことがある。

私自身も含めて、自分にあるものには目を向けず、ないものばかりにフォーカスしていて恵まれていることに全然気付いてない人が多いと感じた。

例えば、CAの友人は皆美人でしっかり者で心優しくて素敵な人が本当に多い。

会うだけで幸せな気持ちになるし、そこにいてくれるだけで癒される。

側から見ると本当に恵まれているように見えるだろう。

誰もが知ってる企業に勤め、生活も雇用も守られている。

そして心身ともに美しい。

でも皆仕事についてこのままでいいのだろうかと悩んだり、心身の不調を抱えていたり、孤独を感じたり、自由に旅行が出来ない窮屈さに苦しんでいたりする。

みんな生きてくれているだけで素晴らしいのに。

それぞれの生きる世界で真剣に苦悩と闘っている。


私には友人がお花のように見える。

貴女がそこにいてくれるだけでその場の雰囲気が柔らかくなったり、明るくなったり、華やぐのだ。

大好きな友人に会う度に、

出会えて本当に良かったなあ。

私と仲良くしてくれてありがとう。

生まれてきてくれてありがとう。

健康でいてくれてありがとう。

そんな気持ちになる。


時に友人が涙を流すことがあれば、

素直に感情を表現することが出来るピュアさや、

一生懸命生きている姿が美しいなあと思う。


私も未だに「ない」にフォーカスする時がある。

先日東京の銀座を歩いていた時、お店には見たことがない物やあらゆるもので溢れていた。

いろんなお店を見ている内に「あれも持ってない、これも持ってない。」と「ない」にフォーカスしていることに気が付いた。

では明日着るものや食べるものがないのかと聞かれたら「ある」のだ。

自分が持ってないものや、自分にないものを見ていると無意識に「ない」にフォーカスしてしまうことに気付き、私は少し怖いなと思った。

これは私のあるあるパターンなのかもしれない。

Instagramで他人の日常を見ている時も同様だ。

彼らの生活の中には自分にとって「ない」もので溢れている。

他人の生活の一部なのだから当たり前だ。

美味しそうなご飯を一緒に食べてい「ない」し、

素晴らしい景色を一緒に見に行ってい「ない」。

自然と「ない」にフォーカスしてしまって、なんだか空虚感を感じるくらいなら見なくていいし、そこに時間を使わなくていい。

生きる上で必要なものはもう全て持っている。

「ない」ものでどうしても必要なものがあれば手に入れたらいい。

不必要なものを自分の身の回りに置いておく必要はないのだ。


命がある。

肉体がある。

心がある。

生きている、もうそれだけで無敵なんじゃないだろうか。

さらに私たちには個性が「ある」。

「ある」を見つめて、ノートに書き出して見ると自分が思っていた以上に自分には多くのものが「ある」ということに気付く。

虚しさやもやもやした気持ちを抱えている人がいれば試してみて欲しい。



ケアンズでのこの出来事は私の宝物となった。


何が起きても生きてさえいればどうにでもなるのだ。


皆様が自身の「ある」に気付き、豊かな心で穏やかに生きれますように。


長くなりましたが最後まで読んで頂き、ありがとうございます。


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