インドリトリートへの道(連載)#8
内なる多様性に出会えば、旅はもっとおもしろくなる
さて、いよいよ来月11月はインド。10/17(木)夜に最後の無料説明会があります。そのあとも1回はオンラインでインドの話をする予定。
10月13日には、府中インドの会主催の「府中INDIAバザール」がありました。ぼくは東京外大のベンガル語学科の先生タリクさんと「多様性」をめぐって対談しました。彼はおもにインドの多様性を、ぼくは心と日本の多様性に触れ、お互いに多様性を求めることが共存の道という理解が深まった気がします。
インドは目に見えて多様性がむき出しになった国と言ってもいいでしょう。人種、言葉、文化、宗教も様々で、それらが入り混じってダイナミックに共存したりぶつかり合ったりしています。ある意味わかりやすい多様性と言えるかもしれません。
一方で、日本は単一国家だという人もいます。それはあまりにも少数派を無視した言葉だと思います。歴史的にも、また実際に今でも日本は多様性に富んだ国です。ただタリクさんの言うように、日本はほとんど一国家一言語という世界でも珍しい条件の国です。だから、一様であると勘違いしやすいのでしょう。
上のリンクは、13日のマルシェの報告です。集まった人たちもじつに多様でした。対談のタイトルが多様性だったので、なおさらだったでしょう。
日本に多様性がないと思うのは、「内なる多様性」に気づいていないからです。私たちは育つなかで多くの人のお世話になり、様々な体験をし、情報をたくさん取り込みます。現代の体験の総量は、一世紀前と比べて何十倍にもなると言っても過言ではありません。
現代人が1日に接する情報量だけでも、平安時代の人々が一生かけて接する情報量、江戸時代の人々が1年かけて接する情報量と言われています。上の図で見るように、過去10年でそれは530倍にも増加しており、私たちの処理能力をはるかに超えています。これで多様性がないと言えるでしょうか? 選択肢は無限にあります。問題は、ただ受け身に流されていくことです。
現代ほど自分が本当に何を望んでいるのかを知り、何を選んで何を捨てるのか決断することが重要な時代はないでしょう。
そのためには、まずはいったん「離れてみる」こと。毎日の忙しさの激流から飛び出して、違う環境に身を置いてみる。いったん止まって自分を休ませ、見つめてみる時間が必要です。
旅はその機会を提供してくれるひとつの方法でしょう。ふだんと違った時間と空間に身を置き、五感を開いていろいろなものに触れてみる。それが新しい体験の門を開きます。
今までの自分を対象化して見つめ、自分との対話が始まります。忘れていた好奇心、冒険心、なつかしさを思い出すこともあるでしょう。枠を外して自分を自由に解き放てば、子どものころから何が好きで、何を求めていたのか、見えてきます。人生を俯瞰し、掘り下げ始めるのです。
日常の中ではタブーが多すぎて、なかなかその本当の望みに触れることが難しくなっています。このツアーの目的の一つは、この機会を「人生のターニングポイントにする」ことです。
10月27日(日)夜には、まずそのための第1回のワークをしようと思っています。それがインド行きの準備の最初の一歩になります。
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