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丹沢の里山に暮らし、四季の自然の移り変わりと、農的暮らしを言葉で綴っていきます。 翻訳…

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丹沢の里山に暮らし、四季の自然の移り変わりと、農的暮らしを言葉で綴っていきます。 翻訳・執筆業。マインドフルネス瞑想講師。PSW,カウンセラー。大学講師。

最近の記事

インドリトリートへの道(連載)#7

旅の日々の始まり  上の写真は、最初のインド旅行のときのものだと思う。1987年ころ。思えばろくに写真も撮らなかったし、思い出に残すという発想も無かった。ただ遠くに行って、知らないものに出会いたい一心だったのだ。  そのころに読んだ写真家藤原新也氏の『メメントモリ』や『全東洋街道』『インド放浪』などがあこがれを搔き立てた。『地球の歩き方』はまだインド編がなく、イギリスの『ラフガイド』やオーストラリアの『トラベルシューストリング』などが頼りだった。(インドはあまり人気がなかっ

    • インドリトリートへの道(連載)#6

      不便さを楽しむ心  インドの旅は、いわゆるバックパッカー、なるべく安く済ませ様々な体験をするというスタイルだった。豊かな先進国から休日を利用して気ままに歩き回る旅行者とも言えるかもしれないが、できる限り地元の人の生活に触れたいと願っていた。  (写真は聖者ラマナ・マハルシの寺院~ラマナシュラマムに奉仕する菊地さんの自宅にて)  インドは貧富の差が著しいことでは昔も今も変わらないだろう。しかしあらゆる階層の人たちが、それぞれの制約の中で最大限に工夫しながら生きている。それがイ

      • インドリトリートへの道(連載)#5

         ついに『死の光に照らされて~自由に生きるための仏教の智慧』(株:薄月)が校了。あとは印刷、配本、販売に任せるばかりだ。2年間これほど手をかけた一冊はない。それだけ意味あるものになった。本当に苦労したが、多くの人の手に渡ってほしい本だ。 マザーテレサの「死を待つ人の家」  死についてたどっていくと、1987年、マザーテレサの「死を待つ人の家」でボランティアをしたことがきっかけだった。自殺衝動が強かった僕は、何度も未遂をして長く入院し、危ない状態だった。   そんなときに読

        • インドリトリートへの道(連載)#4

          旅の病気とその癒し  インドの旅ではカメラを持たないことが多かった。初めてコルカタからプリーへと向かったときにも、ぼくはカメラを持たなかった。旅を画像にして後から振り返ることに関心がなかったのかもしれない。  それでも初めての外国で、初めての空気を吸い、食べたり人と話したり、何を体験してもめずらしく、どんな写真集を見ても得られない興奮が呼び覚まされた。  プリーについてはベンガル湾に面した海岸の静かな町というくらいで、ガイドブックも持たないぼくにはまったくの未知。予備知識も

        インドリトリートへの道(連載)#7

          インドへ#3  捨てる神あり 拾う神あり

           インドは神様人口(?)世界一の国である。どこへ行っても神像があり、儀式やお祭りがあり、人々は毎日お香や花を供えている。インドでは様々なめぐり合わせとしか思えない体験をした。急速に現代化する社会の中で、何千年も途切れない信仰の世界が色濃く空気に満ちている。    インドに入国したばかりのぼくは、コルカタのめずらしい街の様子に興奮して、連日ほぼ一日歩き回っていた。人間の人口当時世界2位、大都市ではその密度も極端に高くて、まさにひしめいている。(ちなみにひしめくは「犇めく」って書

          インドへ#3  捨てる神あり 拾う神あり

          インドリトリートへの道(連載)#2

          はじめてのインドは、どんな体験だったのか?  1987年、長い入院生活のあと、札幌の安宿「すっから館」に仮住まいしながら旅の資金をためた。それもまた旅の一部で楽しさ極まるめくるめく日々だったのだが、本題ではないのでここでは触れない。目的地に発つ前に沈没しかかったほどだった。  なぜあれほど旅ばかりしていたのだろう? 7~8年の間、ぼくは旅に取りつかれていた。国内をひとしきり回ったあとは、病室で資料を見ながら温めていたインドへの思いが一気に爆発した。  当時80年代はバブル期

          インドリトリートへの道(連載)#2

          〈今〉から踏み出そう、インドリトリート(連載)#1

          こちらが坂もっちゃんのNoteの記事。ここからすべてが始まったのです。本当に出会いの奇跡はおもしろい。(近日中とあるのは少し前の記事だから)  ぼく(島田啓介)が初めてインドの地を踏んだのは1986年、入院中に写真家藤原新也氏の写真エッセイを読んだのがきっかけだった。もちろん入院は治療には必要。それでも2年近く病棟で過ごしていると、完璧に保護された環境が息苦しくなってくる。  そのとき、本のページで目にしたインドの広大な風景と、過酷な自然と交じりながら力強く生きる人々の姿は

          〈今〉から踏み出そう、インドリトリート(連載)#1

          マインドフルネスビレッジ村長日記第10~15話一気転載

          ★ゴールデンウィーク中は4年ぶりのプラムヴィレッジ僧侶団来日で、とてもうれしい再会続きでした。人と会うことが一番エネルギーを流します。さて、これからいろいろな展開があるでしょう。 このところお留守だったマインドフルネス・ビレッジ村長日記、一挙5回分公開。 第10回:日常の空白にマインドフルネスの天使が訪れる https://note.com/teachersapp/n/n582009934f6a 第11回:ビレッジのこころNVC共感のコミュニケーション https://

          マインドフルネスビレッジ村長日記第10~15話一気転載

          マインドフルネス村長日記10話転載

          ★2月からNote掲載を開始したマインドフルネスビレッジ村長日記を10話一気にまとめて転載します。 ★本稿は村長の島田が、今住んでいる伊勢原市善波の村の生活と、オンラインの学びと分かち合いの村『マインドフルネス・ビレッジ』をそれぞれ散歩しながら綴っていく日記です。 ★みなさんもぜひぶらっとお立ち寄りください。まずは文章の小道へ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 《ビレッジ村長日記リスト》 【第1回:村内散歩編~一緒に読むからもっと深まる「読書

          マインドフルネス村長日記10話転載

          今、会いにいきたい人

          今会いたい人は、弱い人。多くを語らず、静かに古い傷を温めている人、寝そべっている犬みたいにして。 今会いたい人は、声高に語らず、自らにつぶやく人。そして山よりも、はるか向こうに漂う白い雲を目で追う人。 今会いたい人は、そう遠くないところにいる。たぶん歩いていけるくらいの距離に。乗り物を使わなければならないとしたら、今日会わなくてもいいのだ。 今会いたい人には、すぐに会いにいかなければならない。ずっといるとは限らないから。なにより会いたいと思えているうちに。 今会いたい

          今、会いにいきたい人

          夏を悼む

          降るようなとんぼの群れ 北向きの崖の下             ぼくらは水たまりにしゃがみこみ お互いの井戸の中をのぞきこむ 魚たちは線となって ぼくらの影を水の中に織りこむ 水の記憶は はるか海まで連なる 夏と秋の間の居心地のいい陶皿のくぼみ あなたが炎となって燃え上がると ぼくは碧玉に澄み ぼくが炎となって燃え上がると あなたはひたすら深くなる 向かい合ったぼくらの間に 昇るひとすじの煙 チャンダンの薫と 昏い石畳の重いイメージの残滓が 滝の音に混じり 空の奥から

          夏を悼む

          第59候 その2 朔風払葉11/27~12/1

          【半島に 群雲光り 師走朔】 *しわすさく 真鶴半島の原生林を歩き、半島先端の三石に至る。 今年最後の師走最初の日に、海にお参りした。空の下にあるものすべてに幸いがあるように。 12月といいながら、亜熱帯かと思われるほど、伊豆の入り口は暖かい。 毎週通い、温泉に入って帰って来るのが習慣になった。 (三石の沖、左から伊豆大島、初島、伊豆半島)

          第59候 その2 朔風払葉11/27~12/1

          第59候 朔風払葉 11/27~12/1

          【直会の 湯気温かき 冬日かな】 *なおらい、と読む 今年は田植えから収穫、そして食べるところまで全部やれた!  やはり自分たちで作った米は格別にうまく、毎日ご飯とみそ汁(これも自家製みそ)と畑の野菜だけでけっこう満足できる。 直会(なおらい)は、収穫を祝い、神前で捧げ、食事をともにすること。 いくつかの田んぼでとれた米を、玄米、白米、赤飯などに炊いて、友人たちと食べ比べた。 (写真は収穫時のはざ掛け)

          第59候 朔風払葉 11/27~12/1

          第58候 その3 虹蔵不見 11/22~26

          【一冊献上 さやけしや朝 森の道】 新刊書が上梓され、売れ行きも上々のようだ。 余裕ができたので、毎朝のように目の前の丘の森の中を散策している。 半日遊び、半日仕事する、サイクルができればいいのだけど、次の締め切りのことは考えずに楽しもう。

          第58候 その3 虹蔵不見 11/22~26

          第58候 その2 虹蔵不見 11/22~26

          【吾妻と 添い登りゆく 冬の段】 かつて住んでいた南足柄市の大雄山最乗寺へ行く。紅葉が盛りで、連休のあと人は少なかった。 350段がだんだん身にこたえるようになった。 「添い登りゆく」というより実際には、「待ってくれ~」といった感じに…。 最近歳の差がはっきり出てきたようだ(笑)。

          第58候 その2 虹蔵不見 11/22~26

          第58候 虹蔵不見 11/22~26

          【十六年 妻と来し日々 羊雲】 (畑から見た空) 11月22日はいい夫婦の日だそうだ。 夫婦のことを詠むとどうしてもつまらない感じの句になってしまう。しかし、まあいいか、仲がいいなら。 今年はコロナのおかげか、家族の時間が増え、自然を楽しみながら過ごすことができる。そして、空の瞑想もしている! 空を見上げながら、妻と来た日々を想う。 今日も羊雲! 『空の瞑想』 https://note.com/kskdah/n/nac565b71877a

          第58候 虹蔵不見 11/22~26