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漢方逸話③ 華岡青洲について

漢方薬のほとんどは今から2,000年前に中国で制作され日本に伝わったものであるが、しかし日本で創作された漢方薬もいくつか存在する。

その日本の漢方開発における、代表者の1人が華岡青洲(はなおかせいしゅう)である。
今回と次回の2回にわたり触れたいと思う。


花岡青洲は江戸末期の医者で、西洋医学(オランダ医学)と東洋医学(漢方医学)の両方を学び、「内外合一 活動窮理」を提唱をされた。

この言葉の意味は、日本の伝統医学である漢方医学と外国から伝わったオランダ医学を区別せず、机上の空論ではなく、実験や実証を重んじるという意味である。


有名な医学上の功績は、1804年に世界で初めて全身麻酔薬を用いて乳がんの手術を成功させたことであろう。

通仙散という麻酔薬を開発するのであるが、マウス、ウサギ、犬など種差により効果が大きく異なり、ヒトへの投与量の確立が非常に難しかったといわれている。


この実験台になったのが青洲の妻で、失明という大変な不幸を伴ったが、この画期的な処方を完成させたのである。

歴史的にも内助の功と称えられているが、やはり犠牲の大きさは否定できないだろう。


その後、約140人の乳がんの手術を実施した実績が残っているとされている。

しかし、投与量の難しさや副作用の大きさから世界的な麻酔薬となることはなかったのである。


今回はここまで。
読者の方に少しでも興味が生まれ、漢方に触れるきっかけになれたなら嬉しく思う。

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