ニーチェ

『事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。』

これは、ニーチェの言葉。僕がこの言葉をはじめて聞いたのは中学3年生。衝撃と共に、そこからニーチェの本を読み漁りました。

彼はニヒリズムです。だからこその、この言葉がでてくるのでしょう。

例えばね、極論を言うと伝わるかなと思うんですが

AさんがBさんをナイフで刺し殺した。という事象があるとします。

が、しかし。これは事実ではない

もっと言うと、人間によって事実は変える事ができるのですよ

Aさんは平気で「殺していない」と発言。その気になりゃ、精神疾患のフリをして幻視・幻聴が原因にもできる。

利害関係者の弁護士はそれを証明する。

その弁護士のバックにいる政治家によってAさんがナイフで殺していない事になっていく。

事実は簡単に創造する事ができる。

これが分かりやすく表面にでてくるのが「冤罪」ってやつです

「それでも僕はやっていない」という映画が流行りましたが、あれも痴漢冤罪の典型例を映画にしています。

僕は刑務所で勤務していたので、分かる事もありますが「冤罪」は本当に多いのですよ。

つまり、この世は必ず「事実」で進んでいるのではないんですね。

その事実は「人によって」変わっていくのですよ

ニーチェの言う「事実はなく、解釈だけ」というのは言い当て妙です

昨日の、日本人ってなに?
という記事もそうですが
日本人っていうのも、一つの解釈なだけでありまして
事実というのは、どこにもありません。

というか、さらに極論いえば
今の歴史書物は全て誰かの解釈なので
全てが嘘である可能性も
全てが誰かの冗談である可能性もあるのです。

だってそのはず
動画なんて残ってないのやから。

やからこそ
今どこにいこうが
手に入る歴史書は、誰かの解釈です。

残っていた書物が、その当時生きてた人間が
フィクションで書いただけの可能性もあるのですよ。

つまり、世の中に本当の事実なんてのはない

ニーチェは
その境地にたどり着きます。

だからこそ、何がいいたいか?

それは昨日も言った通り

みなさん1人1人が考えていくのです

善悪なんてないのですから、
あなたが決めていけばいい

やっと時代全体が、その事を少し
理解してきた昨今。

事実なんてのはない。
ってことが、本当の意味で分かってくると
僕はめっちゃ楽に生きれると思います。

全ては、他人が創った世界観であることが
分かってくるからです

親孝行?なんそれ°o°)
結婚しなくちゃいけない?
子供を産まなくてはいけない?
仕事しなくちゃいけない?
年寄りは敬うべき?
障害者は守るべき?
ヤクザは淘汰すべき?
暴走族は取り締まるべき?
お金は稼ぐべき?
目的をもって生きるべき?
明るく生きるべき?
人にやさしく?

そろそろやめませんか。
人に思考操作する概念。





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