親孝行ってのを考えた時

みなさんは、いったい誰のどのような行動を見て

親孝行やな。

と感じますか?
もちろん、正解なんてありません(゚∀゚)

もちろん家族環境も全く違うし
状況も全然違うでしょう。
それぞれが、それぞれの親孝行というのがあるでしょうね(^^)

みなさんとディスカッションしてみたいものです。

以下、僕の愚見を述べます

僕の考える親孝行は、
自分の人生を、自分の力で、幸せに生きること。

と考えています。
この思考に至るのは祖母の影響が強いです(^^)

今でも印象的に覚えているのは
石川県能登市という山と海しかない少数村で産まれた僕は
人生初の大阪へ旅行に行く事になった時。
まだ小学生低学年やったから、テンションあがってあがって!

で、祖母と祖父に
お土産は何がいい!?
って聞いたとき、ふたりとも

楽しんできてほしい

って答えました。
当時は 
ん(・・? 

え?º‿º 

これって何がほしいって意味なんやろ?

ってなりましたね。
その言葉の本質的な意味が分かりませんでした。

でも、この意味を小さいながらにずっと考えていたってのはあります。
どういう意味?ってどこかにずっとありました。

今は、分かります。
いや、わかるような気がします。

完全なる利他的思考。

自分に何かをしてほしい。のではない
僕が楽しんでいてほしい。という思考

そう。
思い出してみれば、
僕の両親。特に母親は、ずっと僕の事を心配してました。
学校の先生から協調性ゼロと言われ
挙げ句発達障害と言われ
社会では生きていけないとまで言われて。

今では、
発達障害の知識も広がってるし
社会での生き方も多様ですが 

その当時のモデルってのは、
誰もが有名大学に入学を目指し
誰もが大企業への就職を目指し
年功序列で給料は上がっていき
終身雇用でずっと働ける場所
定年退職後は莫大な退職金で余生を過ごす。

という時代。そんな時代に、ボロクソに言われた母はものすごく心配したんやと思います。

荒れてた時もあるし、
僕に病院を紹介した事もあるし、
入学できる大学を探してた事もあるし

でも、よく考えたら
母親は、自分の事ではないんですよね。
母親は母親の人生がある。
やから、それを優先すれば良いのに
僕の人生の為に、行動してたなって。

でね、今日言いたいことは

相手が自分の子供やからって事ではなく、
自分以外の他者の幸せが、自分の幸せやと
根底から思考する人間が世の中にはいるって事です。

それが分かって行動してたわけではない
僕の10代と20代。
もとから僕は、個人主義。
自分の人生を豊かにする為に
自分がストレスなく生きれるように
自分が幸せでいれるように

自分という人間を、どのようにして社会に適合させるか?

をずっとずっと自分で研究してきて、ずっと考えて生きてきました。

そして今30代で考えるのは
自分が幸せに生きることを、喜ぶ他者がいる
という事を理解した上で、
僕は自分の人生を 改めて 大切にしています。 

確かに10代、20代と変わらず
個人主義ではあります

主義には変わりはありませんが、
その根底にあるのは
自分の事を大切にすることが、
自分の足でしっかり立ってる事が、
自分で幸せを見つけに行く行為が、
他者にも良い影響を及ぼせるはず。と考えています。

利己的なようである、利他的。
という不思議な感覚。

僕が幸せを感じて楽しく生きていく事が、祖母・祖父含め、家族への最大の孝行やと考えています。

別に今日の内容は「親・両親・家族」に限定していません。

あなたの事を愛している人がいると思います。

あなたが笑っていてくれる事を願い、あなたが幸せに生きる事を願い、あなたが自分の足で歩いていけている事をうれしく思うような人間はいるはずです。

やから、改めて「誰かの為に」という意味でも

自分の事、もっと大切にしていきましょう(*'▽')

それでは、よい1日を('ω')




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