ローカル

石川県に帰省したりすると思うのが、
昔からある店が潰れずに営業している持続性の凄さです。
飲食店なんてのは、都会じゃ3年で終了。
長くて5年なんて言われており
その実、コロコロと店が変わるものですが
地元では名は知られてなくとも、
100年なり60年なり
短かっても30年とか連続で営業しているってのが平気であるのです。

ここにローカルカルチャーの強みを感じるのです。

昨今はもう家で寝転びながら指を動かせば
飲食も服も本も家電も何から何まで家に届く魔法の時代です。
もうここまで来ると、人間は物を
誰から買うか
というのが大切な世界線になります。

別に人に会いにくいわけじゃないような
コンビニやらスーパーやら家電屋やらってのは
レジにせよ、サービスにせよ、案内にせよ
すべて機械になっても何ら問題はないと言われがちです。
スムーズやし、嫌嫌仕事するなら辞めてほしいし、機械以下の接客にイライラさせられる事もないので良いかもしれません。

この前知り合いが眼鏡を買いに行った時に、
その人から買いたいという店員さんが不在やったから買わずに帰ってきたという話がありましたが
まさにこういう時代なのですね。
物よりも人なのです。
物は一緒やが、あの人から買いたい!というね。

この視点を辛口視点で見れば

人間にしかできないSKILLをもっていない人材は不要になっていく

って事です。

そうなると
やはり都会の飲食では
店員さんや女将さんや親父さんに会いにくいなんてのよりも
味や立地や安さや早さなんていうロジックだけを求められる事も多くなり
結果的に持続は困難にもなります。

人間はどこまで行っても感情の生き物です。
ロジックなんてのは実際は弱い因子です。
例えば
人間の味覚なんて所詮知れてます。
目隠しされたら10万の肉と900円の肉の差も分からない程度なんです。
それに舌は順応が早いので、すぐに飽きてくる。
毎日毎食同じモノを食べないでしょう。
流行ってくればその立地にライバル達はすぐに乱立するし
そうなりゃ安さバトルで殺し合いが開始する
安さバトルがはじまりゃ必然的にあっという間に質は低下する。
客も人を求めてない以上
ロジック的に飽きたり堕ちたりしたら行かなくなって終わりです。

人間はロジックだけで繋がっている関係では弱いつながりなんですよ

ローカルはその対岸にいたりします。
人に会いに行ってるのがメインやったりするからです。
僕らの地元では、
店主であるおばあちゃんに
近況報告に行ったり
昔を思い出して家みたいにくつろいだり
普通に配膳手伝ったり
深い話を聞きに行ったり
と、ほぼほぼ人がメインです。
他にもそこに居たら
知ってる人が客でたくさん来たり
地元の林業や漁師さんとかが来て普段聞けない話を聞けたり
そういう空間という価値創造もあります。

こういった店の場合
値上がりしても
地元人が引っ越ししても
ライバル店ができても
人と人というローカルカルチャーで繋がっているので、強いんですよ。

流行ってる店+持続できている店ってのは
新規客をドンドン引き寄せているんじゃないんです。
リピーターが多いんですよ。
また来たいと考え、実際に再来店する確率が高いんですよ。

人間にとってそれは
味でもなければ
立地でもなければ
店の綺麗さでもなければ
安さでもなければ
品揃えでもない。
人なんですよ

結局
人間を救えるのは、人間なんですよね

僕の地元では
漁師が魚を集め
運送がそれを運び
研師が包丁を創り
料理人が魚を調理し
その魚を漁師も研師も運送屋も食べに行く

林業も同じ
その地でとれた木を
その地の者が運び
その地で使えるように職人が創る

地産地消
それによる共同体
それによる人同士の強い繋がり
それこそローカルカルチャーの強みですし
日本人の気質とマッチンしています。

昨今のグローバル世界線では
その地でとれたモノを
大量のガス巻き散らかしてものすごい距離を運送して
どこの誰かも分からん人が創り
何の関係もない人が使用する
何の共同体もないし
人との繋がりもないからこそ
大量に欲望だけが進む。

それが結局
グローバルサウスみたいなのを生む。
無駄に大量に生産して
無駄にガス巻き散らかして
無駄に使用する
それが完成する 
その根本には、
人間と人間の繋がりの薄さがあるんでしょう。
 
これだけ絢爛狂乱な時代を迎えた時
人間は改めて
人間と人間の愛の大切さに
気づきだしているんじゃないでしょうかね。

僕もまた
地元のおばあちゃんが営む和食屋にいきます。 

たかがモノや金では、
人は救えません






















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?