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日本よ!これが褒めまくる会だ!

あの人のこと褒めたい! 日頃の感謝を伝えたい!
みたいなことありませんか?

でもわざわざ連絡して「あれよかったよ!」とか「いつも素晴らしいと思ってんるんだ!」とか言うのも気が引ける。ラテンなノリをお持ちな方であれば別かもしれませんが、奥ゆかしき日本社会で育ち切ってしまった私なぞはやはりちょっと躊躇してしまうわけです。
もちろん「褒められたいという欲求」は誰にだってあるわけですが、それだけじゃない「褒めたいという欲求」が我々には溜まっているわけです(たぶん)。

ちなみに1980年度生まれ(僕も一緒)の星である星野源さんですら、あちこちオードリーで「全然褒められない」って言ってたんです。星野源さんですよ?TV Bros.で細野さんと連載もって全てのサブカルピーポーが羨望のまなざしを向けていたら、いつの間にか逃げ恥に出て、恋が大ヒットして、最終的にはがっきーと結婚したあの星野源さんですら褒められないのなら僕らが褒められるわけがない!つまり間違っているのは僕らの側ではなく社会の側だ!ということなのです(たぶん)。

なので、思いっ切りその人のこと褒めまくれる会をやりたいなと思い、始めました
〇〇さんを褒めまくる会」。

実は2020年5月から実施していてすでに16回も実施しています(すごい!)。どんな会なのか、なんでそんな会を始めたのか、書いてみようというのが今回のnoteです。

どんな会なのか


やり方はめちゃくちゃ簡単です。

まず褒める対象の方を決めます。友人に「誰か褒めたい人いる?」と聞いて、その人にオファーを出す。「褒められたいんです」というオファーもありますが、やはり主旨からすると「褒めたい」という欲求を満たしていく方が合ってますし、なにより主催する側としても楽です。

ただ、周りから褒めたいと思われるような方ですから、その多くはとっても謙虚。「いやいや、自分なんかとてもとても…」といった感じでお断りされることも多いです(そんなあなただからこそ、周りが褒めたいと思うんですよ!と僕は心の中でいつも一褒めしています)。

もちろん慣れない「褒められ」を照れくさそうに受けてくださった方には最大限の感謝を伝えます。

褒めの対象が決まったら、次は褒める側の募集です。褒める側の人たちのことをこの会では「褒めンテーター」と呼びます。褒めのコメンテーターですね。

もちろんどんな褒めでもいいので「めっちゃステキですよね」みたいな抽象的なものでもOKなんですが、可能なら具体的なエピソードで褒めてもらえるとより解像度の高い褒めになって個人的には聞いてて楽しいですね。

あと、褒めンテーターが多いとどうしても同じ褒めが出てきてしまいますが、それもむしろ推奨しています。その人にとっての大きな褒めポイントが可視化されるということですからね(「重ね褒め」と呼んでいます)。

当日の開催はZOOMです。もちろん他のオンラインコミュニケ―ションツールでも問題ありません。

会は大きく分けて2部制になっています。

1部 「褒め」パート

このパートでは、褒められる人はカメラオフ・ミュートの状態で、ひたすら自分が褒められるのを聞いててもらいます。これが最大のポイントで、つまりは「自分のいないところで誰かが自分のことを褒めてくれている」のを盗み聞きしているような感じになるわけです(あくまで疑似です、だっていますからねその場に)。これは、この会を始めるにあたってまず自分で「どういう褒められがこれまで嬉しかっただろうか…」と考えて出した一つの結論です。つまり「そういえばこないだあいつがお前のことを、〇〇さんて超オシャレですよねって言ってたぞ」的なやつです。これはね…マジで嬉しい。そして思ったのは「これを疑似体験できるような場を作れないだろうか?」ということなわけです。

2部 感想パート

褒めが一巡したら、褒められる人に戻ってきてもらいます(カメラオン・ミュート解除)。開口一番「どうでした?」と聞くと、皆さん高確率でめちゃくちゃニヤニヤしながら「いやぁ~…これやばいっすわ…」と言いますね。僕も1度褒めていただいたんですけど、完全にこうなりました。自分で始めといてあれですけど、ヤバい会始めちゃったなこれと思いましたね。気持ちよすぎる。

そこからは本人に「こう言われてたけどどうでした?」「こういう行動が褒められてましたけど、意識してやってるんですか?(たいてい意識してやっている)」みたいなことを聞いて、本音みたいなものを吐露してもらう時間になります。ここで褒めンテーターからの「追加褒め」が入ることも多いですね。「それ狙ってやってたの!すごい!」とか。

なぜ始めたのか


そんなヤバい会をなぜ始めたのか。理由は2つあります(毎回の会で説明してるので参加したことある人は聞いたことある内容です)。

1つ目は「消えた16mmフィルム」という映画。

これはネットフリックスオリジナルのシンガポールが舞台のドキュメンタリー作品です。主人公の映画監督がアートスクールで映画を学んでいた90年代初頭。メンター的な年上のアメリカ人男性がいて、その人が中心となってシンガポール初のインディー映画を撮って、撮影は終了しこれから編集だ!と盛り上がっていたタイミングで、そのアメリカ人と撮影したフィルムが姿を消してしまう。
そしてその数十年後、彼の奥さんから彼の死とフィルムが残っているという連絡がきて…というあらすじ。

------ここからは「消えた16mmフィルム」のネタバレを含みます------

結論から言うと、彼はいろんな土地で若者をそそのかして映画を撮らせ、でも最後の最後の段階になってちゃぶ台返しをしてしまうという悪い癖を持った大人だったんですね。関わった人たちはみんな怒っていた。せっかくの努力と時間をムダにされたと。

そのアメリカ人男性はクリエイター志望で、目の前で若い才能が爆発するのを目の当たりにした時に、最初は興奮したような気持ちであっても最終的には嫉妬心が強くなって邪魔してしまっていたわけで。おそらく「自分で作品を作り上げる才能」はあまりなかったんでしょう。

でも、そんな被害者な人たちがもう1つ口を揃えて言っていたのが「撮影していた時は、自分たちのことを無敵に思えた。すごい作品ができるぞとわくわくした」というもので。

つまり彼には「誰かにすごい作品を作らせる才能」はおそらくあって。いわゆるプロデューサー的な才能はあったんじゃないかと思うんです。でも、誰からもそういう風に言ってもらえなかった、もしくはきちんと受け止めていなかった、そういうところから産まれた悲劇なんだろうと僕は理解したんです。

こういうことってきっと世界中のいたるところで同時並行的に起きていて、誰かがはっきりと褒めていれば、「あなたにはプロデューサーとしての才能がある」と誰かから言ってもらえていたら、避けられたかもしれない悲劇なんですよね。


2つ目は「人事異動」。

異動させられる側は「人事なにもわかってないよ」とか言いがちじゃないですか。でも人事も思ってると思うんです「あなたの適正、何も説明してくれないじゃないか」って。

自分の適性、長所、なかなかうまく説明できないですし、そもそも照れちゃいますよね。アピール上手い人なんてそんなに多くはありません。

自分で自分を語るのが難しいのなら、誰かに褒めてもらってそれを「(自分ではよくわからないんですけど)ともだちはこう言ってくれましたね」って言えれば、それは1歩前進できるんじゃないかなと。

つまりは「友人曰く」という武器を手に入れるということです。


自分の気づかない長所、才能、そういったことに気づく機会。
そして「友人曰く」という武器を手に入れる。

褒めまくる会を通じて、誰かのそんな機会になったら嬉しいです。

版権フリーですので、どんどんパクってあなたが褒めたい人を褒めまくる会をぜひ開催してくださいね。

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