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教育は全く平等じゃないのでキレます。

学習塾のアルバイトのシフトを終えた。もう21時。お腹が空いた。バイト前に食べた冷凍パスタは完全に消化され、僕の腹には無い。外は寒い。家に帰って温かい味噌汁でも飲もう。そう思い、事務室で退勤の打刻を終え、颯爽と職場を後にしようとした。最後に挨拶をしようと教室を眺めると、塾長と中学2年生の男女2人が話していた。そこで、塾長の話を聞けるのも滅多に無い機会だし何を話しているのか気になったので少し長居することにした。その話題は大学受験であった。大学受験となれば少しくらい僕の口からも生徒に有益な情報が与えられると思い、話に入ることにした。
その話から、僕が感じたことはこうだ。

教育は全く平等じゃない。

これに尽きる。これは一個人の見解ではなく、その場にいた僕よりも何年も長く生きている塾長の見解も同じであった。

ここで少し塾長の話をする。
彼は、大学生の僕から見ても苦労人であった。彼は青森出身で、スポーツ万能であったが怪我の連続で断念を余儀なくされた。それに何度も。大学卒業後、26歳で交通事故に遭い首の骨を折る大怪我を負う。それから2年間のリハビリ生活をしながらも、独身で四人の子供の世話をしなくてはならなかった。それでも投げ出さず、早朝に新聞配達、昼は派遣で整形を立てていた。給料日1週間前には財布には600円しかない生活を送っていた。そんなフィクションのような過酷な生活を送りながらこう思っていたと彼は言った。
「学生時代、もっと勉強していれば、」と。
現在では、その後悔にも似た信念をもとに個人塾を経営し、日々生徒と本気で向き合っている。

そんな塾長が教育は平等では無いと言った。言葉の重みが違う。目が違う。圧が違う。目は口ほどに物を言うとはまさにこのことか。そう感じさせられた。気圧された。

ここからは僕の実体験も交えて話す。僕は現在、慶應義塾大学に通っている。僕は入学してすぐに開かれたクラス交流会で、突きつけられた現実に中指を立てた。大抵の学生は桜蔭、東海、筑波大附属などといった名門中の名門。その上、親は商社マン、社長。
対して僕はどうだろう、平気でクスリに手を出す、暴走族に入る、そして刑務所に入る同級生が周りにいる。親は商社マンでも社長でもない。予備校だって通ったことがない。奨学金のことをいつも頭の片隅に置いて生活している。僕と恵まれた彼らになんでこんなに差があるのか。その中でも、何より恵まれなかったのは、治安の悪い僕の地元のことでも、自分が貧しいことでもない。
同じ18歳の人間にここまで差があることを僕が18歳になるまで知らなかったことだ。

僕が18年生きてきた環境が彼らから見れば恵まれていないと知らなかったように、同じく彼らも、僕から見れば恵まれていることを知らない。恵まれた親元に生まれ、恵まれるルートを辿り、恵まれた人生を送る。そして恵まれていることに気づかないで生きている。こんな不条理を僕は許せなかった。誰だって安定した生活、豊かな生活、自由な生活を欲している。それなのにそれを手にできるのは元から恵まれた人間だけで、おまけに彼らにとってはそれが普通で、僕は異端なのだ。交流会の夜、僕は心の中で不条理に中指を立て続けた。

この不条理の連続を終わらせるための最短ツールは何か。それが学生時代の勉強なのだ。死ぬ気で勉強して偏差値の高い大学に入る。もちろんそれがゴールではない。しかし安定した生活、自由な生活を得るためのパスポートを手にすることができる。

大事なのは0→1の力
行動力

僕は運よくパスポートを手にしたにすぎない。全く満足していない。違和感に囲まれて生活している。「クソが」と思って生きている。塾での1時間はこの不条理をぶち壊そうと本気で思えた1時間だった。


現実を教えてくれる大人であり、目がマジな塾長に見てもらえている生徒を羨ましいと思いながら、彼らを見送る。お節介だとは思うが、生徒たちの記憶に少しでも残る有益な時間を与えられていたらいいなと思う。勉強する理由も、起業する理由も、こんな記事を書く理由だってなんだっていい。理不尽に対する怒りをエンジンに頑張ってもいい。教育は平等では無いのだから。

そういえばお腹が空いていたんだ。急いで家に帰って温かい味噌汁を飲もう。湯船に浸かろう。塾の戸を開けると外はとっくに冬で、吐く息は白くなった。持っていたカーディガンを羽織り家路についた。


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