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退職することにした。

こんなタイトルの記事、めったに書けないね(笑)。今の気持ちを忘れないようにしようと思いながら、ゆっくり書いていきます。所詮は自分語りですけど、お付き合いください。

大学を出て丸2年とちょっと。働き始めて3年目。今年度の3月まで働いたら、地元に帰りたいと思っています、と上司に告げた。

地元から離れた土地の、公立中学校で働いている。なぜ地元じゃなく?というと教員採用試験で拾っていただいたからで、不思議なことに私の職場には、私と同じように「地元じゃないけどここで働いている」先生が割と多くいる。

思わぬ合格で急に地元を離れることになり不安もあったけれど、大学の教授が「とりあえず3年、修行のつもりで頑張れ」と言ってくれたので、その言葉をお守りにここまで折れずにやってきた。

いよいよ、その「とりあえず3年」が迫ってきた、という感じです。

さて、3年近く経って私が使い物になる人材へと成長できたかというと正直微妙なところです。同年代の先生たちが仕事出来すぎマンで無意識に自分と比べて落ち込んだり、膨大な仕事を丁寧にこなせず本来ちゃんとやりたい仕事が煩雑になったり、経験を積んで慣れていかないとなのに、年々仕事量が増えてミスが1年目の時より増えたりしています。キャパオーバーして、ぼーっとすることも増えてしまったし、軽く体調を崩すことも増えた。

あまりに能力が乏しくて仕事ができないので、せめて頑張っているようにだけでも見せたいと思い続けた3年間でした。とりあえず廊下は走るようにした。「いつも走ってるね」は褒め言葉。

さて、退職したい旨を告げて、その日の業務を終え、帰路についた時、心からこう思ったのです。「人生が動き出した!」と。

一つの区切りがついて終わりが見えたことによる安心感。だからこそ3月まではめいいっぱい頑張りたいっていう、仕事へのモチベーションの高まり。来年の4月からどうしようかな!っていう前向きなワクワク感。

今年度は1学期だけで死にそうになった(というか同僚からマジなトーンで「そのままだと死んでしまいますよ」と言われた)のに、2学期はそれを超える忙しさだと聞いて戦慄している。けれども、今ならちゃんと立ち向かえそうな気がする。責任感をちゃんと持って本当に最後までつとめたい。

「終わりが見える」ことって私にとって大事な価値観なのかもしれないと思った。これまでの人生、例えば部活なら「引退するまで」、バイトや習い事は「学校を卒業するまで」と、何か一区切りつくまで頑張る、という精神の保ち方をしてきた。

たぶん、社会ではその考え方は失格で、終わりが見えないところでも頑張り続ける忍耐力とか、継続力とか、本当はそういう力の方が生き抜く力なのだと思うけれど。今まで3年とか4年とかのスパンで区切りをつけて生きてきた私にとっては、ここで「あと40年」というまとまりを生き抜く心構えができない。たぶん、そう感じるのは私だけじゃないとは思う。現代、そういう人って多いんじゃないかなって勝手に思ってる。

そう思えば小学生ってすごくないですか?6年も継続して頑張るのってめちゃくちゃすごい。努力の継続の天才。尊敬するわ。

長年キャリアを積み重ねている人生の先輩たちからしたら、「何腑抜けたことを」と呆れかえられることでしょう。「これからなのに」という声が聞こえてきそう。だから、定年退職が近い上司に、今年度いっぱいで退きたいと話すときにはめちゃくちゃ勇気がいった。

もっと働けとか、あともう1サイクル(同じ学年を3年間担当すること)経験した方が良いとか言われるかなと不安になっていたのだけど、上司は私の話に快く賛成してくれた。

おまけに私のできるところを褒めてくれて、応援しているとまで言ってくれた。泣けた。この人に褒められるとなぜか泣けてくるんだよなぁ。

しかも、今年度中に次の仕事のことを考えて動き出したら目の前の2学期が辛くなるから、先は長いんだし、ゆっくり考えるべきだと言ってくださった。つまりそれは次の年度ですぐ働き始めなきゃいけないわけじゃない、ということを暗に伝えてくれたということ。かけてくれる言葉の全てが救いだった。

女性の上司なので、女性ならではの視点でも話をしてもらった。結婚して子どもができることも考えたら絶対に地元にいた方がいい!でも専業主婦じゃなくて働いた方が絶対いいよ、と。そうしようと思う。

学校っていう(包み隠さず言うと)ブラックな職場で、くそったれと思うことも多かったけど、この人々に囲まれて仕事するのがあと半年とちょっとかと思うと、急に少し寂しくなった。人にだけは本当に恵まれていた。

どうしたら恩返しができるんだろう。という気持ちになる。


今は夏休みで、充電期間。2学期に入ったらまた何度屍になるか分からないけれど、せっかく入学したときから見てきた子達なんだから、ちゃんと卒業まで見送りたい。これまでもそう思っていたけど、より一層、その信念みたいなものが強くなった気がする。死なずに頑張ろう。

少し休んで、自分を見つめ直して、また就職するとき、今と同じ現場を選ぶかどうかは分からない。「学校の先生やってます」と言えるのはこの半年でもうおしまいかもしれない。続けるかもしれない。分からない。

そういえば子どもの頃の将来の夢の一つが「先生」だった。私って夢叶えてたんだな。ちょっと不思議な気分だ。それを手放すなんてって気持ちがないわけでもないけれど、いや、やっぱりワークライフバランスを考えないとなのよね。

人生の中でほんの数年だけど、やりたかった職業に就けたことは幸せだったし、周りの人々に恵まれて、大切にしてもらえて、社会人として育ててもらえたことはラッキーだ。ただ、他人を評価したり、団体のイニシアチブをとってまとめたりっていうのは、ちょっとしばらく、お腹いっぱい。自分はそういう器じゃないなって思う。

人より少しだけ黒板に字を書くのが得意ってくらいか。それくらいなら誇ってもいいかもしれない(笑)。


ちょうど今年、自分の母が私を産んだ年齢になった。だからといって焦りとかはないけれど、晩婚化の時代なんだな~と実感する。自分が今子どもを産んで育てられるかって考えたら、経済面でも仕事面でも絶対無理。

これ一生言い続けると思うけど、「自分が想像してた○○歳ってもっと大人だと思ってた」ってマジでその通りで、こんな人間がもう25歳になってしまったんだよなぁ。25歳ってアラサーなんですか?25歳独身女性ってバリバリのキャリアウーマンみたいなイメージないですか?そうでありたかったよ。

自分の長所を自信ありげに堂々と言えてた子どもの頃って、無敵で、何でもできるような気がしていた。けれど実際の私は不器用で、あんまり生き方が上手じゃないってことがやっと分かってきたから、これからの人生はもっと自分を理解してあげながらゆっくり歩んでいきたい。

子どもというのは時たま、ズドンとくるようなすごい一言を発することがあって、この間は中3の生徒から「人と比べたら不幸になりますよ」と言われた。何だよその名言。ぐっときた。

というのも、私の勤めているところは大規模な学校なので、一つの学年に国語の先生が2人いる、という感じで、同じ教科でも複数の担当がいる。子どもは先生を選べない。だからどうにかして相方の先生と同じくらいレベルの高い授業をしないと、私が担当する子が損にならないようにしなければと、ぐるぐると囚われたように考えていた。

それがその子に伝わってしまったかは定かじゃないけれど、もしそうなら教師失格もんだな(笑)。子どもの一言ではっとさせられる経験というのは面白かった。あと半年、15歳のエネルギーと言葉をいっぱい浴びようと思う。


だらだらと書いてきたけれども。

この仕事は辞めるけど、病気になったとか、精神を病んだ(実際ちょい病んだこともあるけど)とか、ハラスメントがあったとか、そんな理由じゃなく、人生の一つの区切りだと思って、人生を次に動かすために、仕事を辞めます。

上司、「あなたが気持ちよく辞められるようにする」と仰ってくれた。その一言に全てが詰まっていて、働き始めてから、それなりに、自分なりに頑張ってきたことを見ていてくださっていたのだなという喜び、上司の理解の深さに感謝。あと半年、役に立てるように頑張ります。


今、校長先生が自宅で取れた野菜を職員に配ってる。和やか~。






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