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友達100人できることに価値と意味があったわけ

 友達が多いほうが良い、という感覚があった。
 あった、と言いたい。

 私が子供だった頃、子育てをする世代は団塊の世代の終わり頃に生まれた人たちが最も多く、私の親もその例外に漏れずであった。今思えば、であるが、親の世代の感覚はすでに私たち子供世代が醸成しようとしているものとはまったく異なっていた。

 当時の私は知る由もないことだったが、彼らは人口の多さと右肩上がりにしかなりようのない経済成長の恩恵と、もちろんその弊害も同時に受け取ってきた。数の競争が激しい世界であったものの、戦後の復興とともにこの世に生まれてきた、数多くの子供たちへの社会の期待と投資は積極的であり、世の中の仕組みのあり方にも影響を与えた。彼らの成長とともに、社会も完全ではないものの成熟しようとしつつあった。
 社会の変化そのものの、その中心にいた人たちであった。

 数の中で、数と闘い、数とともにあった。
 数の力も信じていたことだろう。

 めまぐるしく変化し続ける社会に慣れ親しんだ人たちは、やがて親となったが、依然として次々に新しいものが生み出されることを当たり前だと感じ、惜しみなく使ってもまた新しいものが目の前に差し出されるだろうと安心していた。
 お金は現物がなくても、使ってよかった。どうせまた入ってくるし、それこそが、成長と変化の大原則であると信じていたからだ。何かが減るなんてことはない。なんだって待っていれば増えるのだ。持てるだけ持ち、背伸びしてでも手にいれる。そのうち自分と自分の財布がそれに追いつくもので、世の中は基本的に右肩上がりにしかならない。
 世界は動き、いつだって前に進むものだから。
 この国は進歩し続ける。この国は、他の国の憧れであり続ける。

 同じように続くはず。
 これからもまた必要な時に与えられるはず。

 数の力は強い。みんなが同じ方向を向き、同じことにエネルギーを注ぐ時、それは膨大なパワーを生み出した。ひとりひとりの価値は薄く見えるが、数が生み出すものが大きければそれでよかった。みんなが同じことをして、同じものを持ち、同じことを望んだ。
 人々は団塊であった。

 そんな彼らが世に送り出した子供たちの世代は、団塊ジュニアと呼ばれた。親の人口が多いから、当然この世代もそれなりに数が多かった。社会が戦後の復興と重ね合わせ期待を込めて子供達を育てた時代には、その数が社会の力のもとであった。しかし、日本を取り巻く世界の状況はすっかり変わっていた。親の世代のモデルはもう通用しなくなっていたのだが、社会には変わろうとする積極性はなかった。その代わりに、いままであったものにしがみつき、その成功体験を再び再現しようと躍起になっていた。

 同じようにできるはず。
 これからも同じように続くはず。

 超氷河期世代の子供たちは、社会から与えられるものより、差し出すように仕向けられることの方が多いことに、社会に出るずっと前から気づいていた。親や学校の先生が言うことが、実態とはなんだかずれているような気がすることも、言語化できないまでも多くの子供たちは知っていた。大人の言うことなんて、そもそも信じられない。それはうつろな理想だった。
 数なんて、足かせにしかならない。競争が激しいことは親の世代と同じであるが、分け合えるパイはもう残っていなかった。ずっと前に、誰かがすっかり食べ尽くしてしまっているからだ。新しく生み出せる計画もないままに。

 親の世代にとって、氷河期の就職の厳しさなどというものは、新聞の見出しになるものの、実態が理解できないどこか空虚なニュースのひとつに過ぎなかった。そうは言っても、どうにかなるだろう。大学を出たのに仕事がないなんてこと、あり得ないじゃないか。ダイソツだなんて、泣く子も黙るレッテルなんだぞ。

 実際はもちろん違った。
 探しても探しても、手に入れられるものはほとんどなかった。

 同じように続くはず。
 しかし、誰もが知るとおり、同じように続かなかった。

 そうやって、ようやく、がらがらと世の中の常識と当たり前は壊れ始めていった。当事者から見れば、それは遅々たるものであったが、親世代が主役である社会にとっては衝撃的な負の変化であった。変化とは右肩上がりであるもので、壊れたり弱ったりするようなものが、変化であるはずがなかった。
 人口は増えることが前提であったし、それが証拠に人口が減ると立ち行かなくなる仕組みが社会にますますの綻びをつくり、ようやくそのモデルがいつでも機能するわけではないことを、否応なく明るみに晒した。


 かつて人々は社会に出るとほとんど同時に世帯を持ち、車や家を購入しようとした。所有は豊かさの象徴であったし、みんなが持つものには価値があった。やがて夫婦と同じかそれ以上の人数の次世代の子どもたちが生み出されることで、社会はずっと平和に機能するはずだった。
 学校を出たら就職をする。就職先がないなどということは想定されていなかった。世の中は働き手を求めていたからである。就職をしたら、家庭を養えるだけの収入が得られる。それから世帯を持って自分の子供を望む。それが、みんなそうであること、であった。
 みんながやっていることが、世の中の正義で、正解だった。
 みんなが同じことをして、同じ方向を向いていることで、ずっと社会は機能してきたのだ。

 人々は数を信じ、数の多いことに価値を見出してきた。
 数の力を実感し、それこそが復興の力であったことを知る人たちは、多いこと、豊かであること、ふんだんであること、に価値を見出してきた。 
 たくさん持っていること、それはすばらしいこと。


 やがて、数の力はそれだけでは機能しなくなった。むしろ、それによって自らの首を絞めることが増えた。椅子は取り合わなくてはいけない、誰かを出し抜かなければいけない。抜け出すことが難しければ、ひっそりとどこかに留まり続けるしかない。道はふたつにひとつで、それは自由な選択のもとにあるわけではなかった。
 さらに、ここにもうひとつの困難があった。みんなが同じであることは、数多くの現役の親世代によって依然として社会における共通の価値であり続けていたのである。同じ方向を向くこと、同じものを欲しがり同じものを良いと感じること。
 もう世代は変わり始めているのに、世の中はまだ変わっていなかった。

 みんなと同じでは、数の競争から抜け出せないのに、みんなと同じでないと社会からはみ出してしまう。


 当たり前の矛盾なのに、ずっとそれは見過ごされてきた。両方を叶える行動は、限られている。競争を諦めて、社会からはみ出ないようにすること。数の中で、みんなと同じを選ぶこと。もしくは、競争に打ち勝って、孤高の人生を歩むことだ。
 多くの人は、競争に打ち勝つことができない。それが競争の原理だから当然である。勝ったもの同士、また競争するのだから、世の中には負けた方が多くなるに決まっている。
 結果が見えている負け戦に臨むようなパワーはもう残っていない。はみ出さないでいるようにすることが、唯一で最善の選択肢になる。

 数の力はもう信じることはできない。もし、数の力が依然として有効であるのなら、数多くの若者が路頭に迷うことを世間が放置するはずがない。数が多いことは、もはや社会を変える力を持たない。仕組みを変える力もない。まるで見慣れた駅前の風景のように、それは社会の一区画を占めているに過ぎない。

 数が多いことに、もはや価値はなくなった。そもそも、たくさん何かを得る、ということ自体が難しくなっている。同じようにしようとすれば、限られたパイを、かつてないほどに細かく、もはやそれがパイであったことが信じられなくなるほどに、分け合うしかないのだから。

 そもそも矛盾が存在したのにはわけがある。表裏一体の、相反することが同時に必要だからである。数の力は信じられないけれど、人は一人で生きていくことはできない、ということである。数の力には期待できないけれど、ずっとはみ出したままでいることもできないのだ。
 そこで、人はより小さなコミュニティを求める。もう大人数で粉々になったパイを分けるのはごめんだ。分け合うものがないなら、形のないものを生み出すしかない。そして、人に渡しても減らないものを分け合うのだ。

 数の多さを競うことはなくなり、より少ない人数のコミュニティで共有できることを探す。それは体験や知識や情報であったり、または嗜好であったりする。分けても減らない。むしろ、増幅するかもしれない。形のないものを共有することで、人々はこれまでと異なる方法でつながり合い、多いこと、ふんだんであることよりも、分けることで増えるものに価値を見出し始めている。はみ出すことはなく、それでもただ留まって埋もれてしまうわけでもない。ふんだんでなくていい。たくさん持つ必要もない。そもそも持っている必要もない。見えないものを共有できれば良いのだ。

 ひゃく、という数字は、小さな子供にとっては途方もない大きな数字である。なんだかわからないくらいいっぱいある、といいたい時は、100個くらい!と大袈裟に両手を広げてみたりするかもしれない。たくさんあることに価値があったなら、友達もひゃくにんいた方が良いのだろう。でも本当はたくさんはいらないのだ。もちろん、共有して増幅するパワーは、コミュニティの大きさに比例することはある。ただそれももう、たくさんであったり、ふんだんであったりする必要がないのだ。そこに価値と意味はない。余るほどあるものではなく、誰とでも共有できるわけではないもの、どこにでもあるわけではないものに、価値が見出される。

 フリーランスで働く人が増えていると言われる。かくいう私もその1人である。大きな組織から離れ、個で働く時、人と同じでは仕事を得ることもできないし、生み出すこともできない。何か違うこと、自分にしかできないことに価値と意味を見出そうとする。新しい試みを試す時、こんなものを必要とする人がいるんだろうか、と頭をよぎることがある。しかし、結論として、自分がこんなもの、と思うものが欲しいという人がいる。誰もが同じ方向を向いているわけではない。みんなが同じものを好きなわけではない。大きなビジネスでサービスを成功させるには、大きな分母を狙うことが鉄則だったかもしれないが、小さなコミュニティや個人がその個性を活かしたい時は、数が小さくても深く響く人がいればそこに価値は見出される。
 100人集めなくたっていい。たくさんであることや、ふんだんであることよりも、共有して増幅できるほんの少しの人とつながり合えたら、それで良い。

 負け惜しみやこじつけを言いたくてこれを書いたわけではないが、私個人について言えば、友達は少ないと思う。100人なんて、あり得ない。一生かけてもおそらく無理だろう。ただ、なんら困ってはいないし、増やしたいと思ったこともない。友達が多い、と言えば社交性が高く、協調性にあふれた感じの良い人を想像するし、その反対は言わずもがなだ。だけど、それにも負や非はない。

 価値のあり方が変わった、ただそれだけのことだ。  
 たくさんはもうたくさん。友達は少なくていい。

 友達が多い方がいい、という感覚がかつてあった、と言いたい。


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