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漆黒の闇とラズベリーの芳香を想う 宇宙に漂う甘い香り

 私は子どもの頃から宇宙の話が好きだ。宇宙の話というのは、ちょっとした蘊蓄みたいなものとか、ハッブル宇宙望遠鏡がとらえた何億光年も離れたなんとか星雲の姿とか、そういう話。
 難しいことはわからなくてもワクワクするし、いつもそれはあっさり自分の想像と予想を超え、そんなことがあるのか、と驚かせてくれる、だから好きだ。

 宇宙はワクワクする感覚を私に与えてくれる一方、映像で見る暗闇や途方もない広さは、もぞもぞと落ち着かない気持ちも呼び起こす。ただ怖いというのではちょっと説明のつかない、圧倒的な未知が私を襲う。この怖さの原因のひとつは、子どもの頃、父とテレビで宇宙映画を一緒に見た記憶であるかもしれない。タイトルなどは覚えていない。画面には静寂と暗闇、船外活動をする宇宙飛行士。そして、やっぱり起こってしまう事故。宇宙飛行士が足を滑らせるとともに、宇宙船と彼を繋いでいたロープが外れてしまう。あ、と思った時には彼はすごいスピードで船から離れていく。仲間が無線で呼びかける。しかし何もできることはない。雑音、パニックで激しく息を切らす呼吸、途切れる声。姿が見えなくなっていく。そしてまた静寂と暗闇。
 あの人はどうなるんだろう。宇宙ってどこまで続くんだろう。子供にも恐ろしさはわかった。今思い出しても怖い。

宇宙ってどこまで続くんだろう

 昔からずっと疑問だったことがある。地球に似た星には生物がいるかもしれない、という仮説についてだ。一方向については異論はない。確かに今ここにその偶然の(または予期された?)成功例があるから、他にもあるかもしれない、と考えるのは妥当ではある。だけどその逆は納得がいかない。例えばある星について、地球とは温度も違うし水もない、そんな環境に生物はいないだろう、と結論づけているらしいことは、素人として理解しがたい。いや、地球の生き物にとって地球の環境が必須なのは当たり前で、そうでないところにはそうでない生物がいてもいいじゃないか、と子どもながらに思っていた。
 地球という星で、1Gの気圧を受け、窒素や酸素を2つある鼻の穴から吸い込んで生きている生き物の常識を、他の星の生き物に当てはめてどうするのだ。深海の生き物ですら、人類の常識をあっさり超えている。地球にも空気を嫌う細菌だっているではないか。それに、星には生命が宿るという発想も、ある意味で地球の成功例に引きずられている。特定の星の上で重力の影響を受けて存在する生物だけではないかもしれないし、そもそも宇宙そのものが生き物かもしれない、とは飛躍しすぎなのか。どうだろう。
 いずれにせよ、きっといつか人間のその思考の入り口の狭さと、そして自分たち自身がその持つべき想像力を小さく折り畳み、見るべきものを見ないでいたことに気づく日が来るのだろうと思う。

 実際、人類の科学の歩みは日進月歩の勢いであるらしい。私が朝起きてコーヒーを飲み、それから地球という星の自転に合わせて1日を過ごし、大したことも成し遂げずにまたベッドに戻る間にも、なにか新しいことが発見されたり検討されたりしているのだと思う。以前は当たり前に信じられていたことが、今は当たり前に、そうではないと否定されていたりする。

 例えば、宇宙空間はずっと昔は何もない真空であると考えられていたらしい。何にもない、空気もない、だから音もない、ただ静かで寒い空間、だと信じられていた。
 しかし、やがて宇宙はただ真空であるわけではない、と説明されるようになった。なんらかの粒子や、ほんの少しの大気も存在するらしい。以前、宇宙飛行士のインタビューを読んだ時、私はまたわくわくした。
 宇宙はラズベリーのような香りがするのだという。

 これは、船外活動の経験がある宇宙飛行士の「証言」によって知られるようになった。船に戻りハッチが閉まると気圧の調整が始まる。宇宙服を脱いでよいタイミングが来たら、装備を外す。すると、ラズベリーのような甘い香りが宇宙服からたちのぼるのに気づく。人によってその表現は異なり、焼けた金属のような、とか、ステーキを焼く時のような、とか、必ずしも甘い香りではないように思われるものもある。がしかし、なんらかの独特な香りが宇宙空間には漂っていることを予感させる。
 宇宙服についた何かが、気圧調整によって化学変化を起こしたことにより発生した匂いである、という説明もあるようだ。今のところ、宇宙空間で実際に嗅いでみることができないので、確認はできない。人によって様々な表現がされるものの、おしなべて不快な匂いではないようだ。

 宇宙はラズベリーの香り。

 そんなことを、かつて月を見上げ、望遠鏡でクレーターを観察していた人々は知っていただろうか。かつて月を仰ぎ、そこへ着陸せんと日々技術革新を目指していた人々が知っていただろうか。
 甘酸っぱい芳香とは無縁に思われる、ある意味無骨で野生味を帯びてすら思える漆黒の宇宙。そのちぐはぐなバランスと、人の脳が編み出す思考なんて太刀打ちのできない圧倒的な有限かつ無限に、くらくらするような感覚を覚える。でもそれは、人が宇宙の一部でもあるからだろう。内側にいながらにして外側から眺めようとするなんて、アクロバット的な難しさがある。そして、ちぐはぐであることは、バランスがとれているなんらかの存在を暗示する。だからきっと、なにもかも、そこでは辻褄が合っているのだろうと思う。

 そう、だた知らないだけで。でも、もう答えは出ている。

 もしかしてどこかに、ラズベリーの香りのする星や、ラズベリーの香りのする生物が存在するかもしれない。彼らは初めて出会った地球人に、あぁひどく窒素くさい生き物ですね、と言ったりするかもしれない。鼻の穴が2つしかないんですね、不便でしょう、とわらうかもしれない。わたしたちにとって無臭でも彼らにとってどうであるかわからないし、わたしたちにとって過酷な環境でも、彼らにとっては楽園であるかもしれない。

 ある日あっさりと、それは悠然とずっとそうであった、ということに気付かされることがあるものだ。
 1Gの気圧を受け、窒素や酸素を2つある鼻の穴から吸い込んで生きている存在が当たり前に信じているものは、いつかきっと覆されるだろう。

 ないはずのものは、あるかもしれない。
 あるはずのものも、もしかしたら。

ないはずで、あるかもって?

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最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。
お気軽にスキ・コメント残してくださると、飛び上がって月へ行って帰ってくるくらい喜びます。
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